第4話
【アカデミー:港湾区】
各地に向かう輸送船が港外まで並んでいる。
アキラ・ユガワラはスーツケース一つに詰め込んだ荷物を引いて、L2行きの船を探していた。
「坊主、L2行きか。一便目がさっき出たばかりで、次は昼だな。それを逃したら明日の夜まで船はこないよ」
「乗り換えはありますか?」
「L1経由でトランクウィリティ・ポリスに降りて、そこからL2行きがあるな。だが待ち時間が長すぎる。昼まで待つのが最短だ」
「そんな……」
【地球航路:輸送船】
デイル・ハラルドソンは既に地球行きの船に乗り込んでいる。
一等船室の個室には彼の他三名、ともに欧州に向かう同期たちだ。
「......久々の重力だな」
「流れる穏やかな風、降り注ぐ暖かい日差し、すべて懐かしい」
「俺は土の匂いが嗅ぎたい。うちの農場はもう麦の収穫を終えた頃だろうか」
船室の窓からは徐々に遠ざかるアカデミーが見えた。
「一か月の休暇の後、無機質なコロニーの空気の中に戻れるか不安だよ」
「お前たちは重点育成プログラムが続くんだろ?大変だな」
「......そうだな」
「まぁ、慣れた」
五班のクウェト・バックマンとデイルは言葉少なく返す。
同席した二人は、無口な二人の代わりにしゃべり続ける。
「俺たちだって、まぁまぁいけるって思ってたんだぜ?でもあの試験見てるとなぁ」
「自信無くすよな」
「二年次の中盤の試験も見てたけど、お前らのほうが動きにキレがあったぜ」
中間試験の実技は、通常カリキュラム組にも見られている。
彼らは基本動作から始め、今でもシミュレーター訓練を繰り返している。
コロニー外に出たのはまだ数度。
そうやって一年次後半から二年次前半にかけて実機で錬成していくのが通常のカリキュラムであった。
「俺なんて、最近やっと黄道面を把握できるようになったんだぜ」
「それは遅くないか?」
「だって実機に乗れないんだぜ?せっかく専用のランドグリーズがあるってのによ」
彼らとて、席次は二桁代。三百名の学生の中では間違いなく上位だ。
「十四班の......誰だっけ、二百八十五番っていうだろ。労働者階級上がりで、支援する企業もないのに。よくあれだけの機動ができるよな。俺だって宇宙に出られればなぁ」
「それなら二十八班のほうが変わってるぜ。三人とも労働者階級だろ。確かに作業用フレームに慣れてたとしても、慣れるのが早すぎる」
二人の声色に妬みや嫉みはない。
ラングレン家やバックマン家の友人となれる人物だ。学生とはいえそれくらいの腹芸は当然としている。
「それで、二人はまっすぐ帰るのか?」
まだ輸送船は月の表面に浮かぶL1から地球への航路に出たばかり。二日はかかる旅路である。Gを無視できる無人の輸送船や急行する軍艦はともかく、客船は燃費のいい速度で進むからだ。
「テネリフェに降りたら、俺たちはカサブランカに行くつもりだんだ」
「来るか?いいホテルを取ってあるんだ」
輸送船は大西洋モロッコ沖、スペイン領テネリフェ島に向かう。
大西洋のハブとなるテネリフェ島からは、欧州アフリカ各地に便が出ている。
「いや、俺は家族が待ってるモナコに行かなければ」
「ならコート・ダジュール経由か。クウェトは?」
「......俺はリヨンだ」
「ならロワシー空港だな」
クウェトはフランス出身。レグザゴン連合の将軍の子。
レグザゴンは旧EUから脱退したフランスと、それに賛同する国々の連合である。南欧州のほかアフリカ、太平洋に構成国を持つ。
かつて、旧EUは加盟国の方向性の違いから徐々に亀裂が入り、ついにアンドラ合意の後レグザゴン連合、北欧同盟、中欧連合、に三分した。
「テトラルキア、帝国整序令、ベロヴェーシ合意、そしてアンドラ合意。大国の分解はよくあることさ」
「旧EU時代は外国人がどんどん国内に入り込んで治安も悪化してたらしい。大きな国は制度の隙間も大きくなる。小さくして正解だったな」
欧州北部の国やイギリスは北欧同盟を結成。その際スコットランドやアイルランドの独立運動が起こったが経済圏の安定とともに沈静化している。
中欧連合はドイツを中心とした、旧EUの色を受け継いだ勢力である。
それぞれ通貨、パスポートを別としたものの民間、企業間、国家間の関係は良好に保たれていた。
北欧のグリンヤルティと中欧のH&Tの関係もその一つだ。
「ま、暇なときがあったら教えてくれよ。ラングレン家のクルーザーには興味あるんだ」
【月面:南の都】
シャクルトン・ポリス。
月の南極、盆地に立つ街。
永遠の日差しと呼ばれる、常時太陽光を浴びる地点を中心に築かれた街。
地上に太陽光パネルがまず建てられ、そのエネルギーを利用して発展が進んだ。
今では工場等はほとんどがコロニーに移り、月面上に残るのは研究施設や金融施設ばかり。
その一角、街の有力者たちが住む区画。
だが上空から見ても、それらの場所がわからないだろう。
「まったく、色気のない街だね」
「おかえりなさいませ、若様」
「ありがとう、ジェストン。お父様は?」
「議会に出席されております。奥様がリビングでお待ちです」
使用人たちに荷物を預け、執事とともに地球の六分の一しかない重力を歩く。
一歩踏み出すたびに浮かび上がり、ゆっくりと降りる身体。
かつての月面貴族たちは如何に優雅にこの低重力で歩くかを競っていたともいう。
「必要に応じて無重力から1G、高重力まで再現できるコロニーのほうがなにかと有利なんだよな」
「とはいえ、この地は人類が宇宙進出した記念すべき土地です」
「ボクはその墓守になるつもりはないよ」
「良い向上心でいらっしゃいます」
扉が開かれれば、LEDで再現された暖炉の火のそばで編み物をする女性の姿。
暖炉にしろ、手縫いの服にしろ、この月面で有意なものではない。
それを言えば、貴族という制度事態意味があるかは怪しいとすら思っているが。
「おかえりなさい、ミシェル」
「もどりました、お母さま」
「お父様はアメリカ政府との貿易協定に調印するつもりよ」
「これでポリス系は東海岸経済圏ですか」
「いいえ、東海岸が月とL1ポリス系コロニーの一部になるの」
欧州が分裂するのと同じように、北米大陸も分裂している。
合衆国という一つの国ではあるが、東海岸と西海岸で別の国同然の振る舞いをしている。
東側は欧州とつながりが深く、西側は環太平洋連合の一部だ。
「いまだに人口と資本の多くは地球に残っています。それを星々へ引き上げるための、第一歩」
「重たい金塊をマスドライバーで打ち上げる気ですか?こちらで採掘したものを重力に乗せて降ろすほうがエネルギー効率がいいでしょうに」
「それじゃお尻の重たいエスタブリッシュメントたちは動かないわ。彼らの座る椅子にロケットを取り付けたいなら、彼らがちょっと手を伸ばせば届くところにドーナツをぶら下げてあげるのが一番。労なく得られたものを彼らは自慢しないけれど、ちょっとお立ち台を用意してあげれば利益と名誉にこだわる彼らは我先に群がるわ」
月の産業は、もとよりコロニーへ移すことを前提として作られていた。
そのため、今の月には基幹産業と呼べるものはない。
「保険会社、証券会社、設計事務所。そういったホワイトカラーを税制優遇で囲うことで、シャクルトンは宇宙人類を指導する立場についているの。工場と違って彼らは何処にでも行ってしまうから、東海岸の金で縛り付けなくちゃ」
それらの企業は月に居住してはいない。低重力にもレゴリスにも月震にも影響を受けないL1のポリス系コロニーに本社を置いている。が、企業や戸籍をシャクルトンに置くことで減税や免税をはじめとしたいくつかの特権を得ている。
「そしてシャクルトンの収益のほとんどは、L1とL2からの光熱費。それから月連への上納金。ついでにエレクセオンのヘリウム掘削もあったわね。月に来なくても、とりあえず宇宙に出てくれば私たちに金を払う仕組みになるの。そういえば、あなたのお友達のヘンリーが送電プラントにいるらしいわ。後で会いに行きなさい」
「そうします、お母さま」
【アカデミー:港湾区】
アカデミーの食堂で食事を済ませたアキラは、船に乗るために港湾区へ戻ってきていた。
「朝の便に乗り遅れたの?遅れてて正解よ」
「シェンさん」
「おなじプログラム組なんだし、ズオでいいわ」
ズオ・シェン。月の裏側、L2を管理するマルドゥック社の重役令嬢にして、ライバルとなる五班の学生。勝気な表情はいつも通りだが、口調が柔らかいのはいつも口げんかしている相手がいないからだろう。
「午前の便、定員オーバーで低軌道軍に止められたらしいわ」
労働者階級の学生が大挙して乗り込んだせいだ。
荷物に潜り込んで三等船室に入り込んだ数名がIDチェックで見つかり、低軌道軍の摘発を受けた。定員オーバーの場合、事故が発生した際に避難設備の数が足りないなどの問題が起こるため厳しく規制されている。
「関わった連中、学籍はく奪でしょうね...ちょっと早く帰ろうとしただけなのに」
「仕方ないよ。安全規則は血で書かれてるんだから」
「へぇ......」
感心したように目を細めるズオ。やや高い位置から、面白げに見下ろされる。
「正直、見くびっていたわね」
「そう?」
「ええ。労働者階級の人って、そういうところ無視しがちだから」
これはアキラにも覚えがあった。
かつて、入学してしばらくの頃にアカデミー内のリフトに飛び乗ったところデイルから大目玉をくらったときに言われたのだ。
「安全規則を守らないと、余計な規則が増えてさらに事故が増える。最低限の絶対のルールをそれぞれが守っていれば無駄に事故は起きることはない、って」
「良いこと言うじゃない、地球人も。最低限のルールから想像力を働かせられない人が多いからこそ、いろいろ面倒なんだけどね」
港に船が入ってくる。彼らがいる旅客ゲートの前に静かに止まった輸送船の扉が開き、まず乗客と次いで荷物が下りてくる。
L2行きの学生がそれぞれ荷物を手に取り、ゲートに近づいていく。
「それじゃ、あたし席とってあるから」
「ええ、では良い休暇を」
アキラが買ったチケットは三等船室。
予約なしで乗れるかわりに固定の座席が並んでいる。
L1のいくつかのポリスを経由するため、到着は六時間後。規定以上の乗客を載せることはないため、席が足りないということにはならないものの、両隣の客と足を触れ合わせるほどには狭い座席だ。
「やっぱり二等にしたほうが良かったかな」
三等の倍はするが、足が伸ばせる程度には広い座席。
「それはけっこうな贅沢じゃないか?」
独り言を偶然聞いた客に、声をかけられた。
「よう、アキラ」
「なんだ、ヨナタンか」
ヨナタン・ドレイファス。二十八班のライバルにして、アキラと同じく労働者階級出身者。
「ヨナタンはL5だったっけ」
「そうだよ」
L5は地球と月のラグランジュ点の一つ。地球を回る月軌道の、月の後ろ側をついていくコロニー群。
そういえばヴァンセットはL5だったな、と思い出しつつ、狭い座席に並んで座る。
「ほんと、アキラたちがいなけりゃ落第してたかもな」
「別に大したことないよ」
アキラ自身が三人から教わったことを、そのまま教えているのだ。
人に教えるためには自分の理解が深くないといけないという事実に至り、二十八班に教えた後は自分が部屋で補習を受ける羽目になった。
お陰で中間試験の成績は良かったという自信がある。
「ツバメは頭がいいし、地位もあるけど……教えるのはそんなに上手じゃなくてな」
「だけど、連携はちゃんと出来てるじゃないか」
先の試験。あっという間に撃墜された三機は、しかしその代償にツバメを彼女の間合いに届かせた。
「ツバメはお淑やかで頭が良くて美人だけど......アホなんだ」
彼女が微笑んでいるときは、実は話がよくわかってないという意味だ。
ヨナタンが声を潜めて呟くーーー知りたくなかったな。
「近接の間合いに送り込むのが俺たちの作戦だ。引き撃ちされたら距離が詰まらなくて一方的に落とされるのが問題だな」
前衛三人の背中を預かる狙撃手のヨナタンは、三人と距離を離されたところを落とされた。
「狙撃手が孤立?」
「お前のところのラングレンがおかしいんだよ。突撃手の速度で機動しながら、相手の突撃手の位置を読んで狙撃するなんて」
「そうかな......そうかも」
アキラは自身がだいぶ毒されていることに気が付く。班長として、常識ある視点を守らなければ。
ターミナル港に船が入る。それじゃ来月からよろしくな、とヨナタンは船を降りた。
L5行きの船はここで乗り換えとなる。
そこから再び船は出向し、二時間ほどで月の裏側に到着した。
「よう、アキラ。元気してたか」
「お久しぶりです、先生」
L2に入ってさらに二時間。船は最も寂れたプリヴォルヴァ3に入った。
そのころにはほとんどの乗客が下りており、硬い座席でも広々と使うことができていた。
プリヴォルヴァ3の港では、手が空いた労働者たちが出迎えの列を作っていた。
「他の生徒は?」
「午前の便がまだ入ってないんだ。知らないか」
アキラと、数名の生徒たちを取り囲む労働者たち。
「なんだって、定員オーバーになったせいで船が止められた?たかがそれだけで?」
桟橋から見える無災害記録の日数表示はゼロのまま放置されて久しい。
アキラは規則違反を常識としている労働者たちの困惑に、不快を感じる自身に気が付いた。
「まぁまぁ、止められたとしてもL1のポリス・シェブロンの低軌道軍駐屯地だろう。伝手がある。少し調べてみよう」
L2標準時で夕方の今まで、船が止められた情報が入っていないほどには僻地なのだ。
労働者たちはそれぞれ、自身の持ち場に戻っていく。
「皆もお疲れ様。一か月の休暇だが......まぁゆっくりはできないだろうが、久しぶりに家族と会ってきてくれ」
L2の学生の中にはアカデミーに残った者も多い。
戻ったところで、休暇の間はL2で働くことになるからだ。
特にプリヴォルヴァ3はバカンスできる場所がない。労働者たちも他のコロニーに行って遊ぶには金がない。地球に親戚もないーーーそういった者たちの掃きだめだ。
家族がいるため戻ってきた数名は諦めをとうに飲み込んだ顔で古く、機械油と生活臭の漂う居住区へ消えていく。
アキラも叔父と先生に会うために戻ってきたが、叔父の姿は見えない。
「学生の労働。これは大きな問題だ。だが皆無視している」
先生とともに、プリヴォルヴァ3の管制へ。
数人の職員がけだるげに卓の前に座っているが、その一つを借りて先生が通信を行う。
前は分からなかったが、今ならわかる。
これは不正な通信だ。
ヴァンセットが何度か見せてくれた通信機と同じ、スクランブル化した違法電波を送信している。
ヴァンセットのそれがアカデミーの通信機を経由しているのに比べ、先生はそのまま発信している違いはあるにせよ、月連と低軌道軍が定めた通信法への違反は、輸送船への密航よりも罪が重い。
しばらくして、違法電波が帰ってきた。
「密航学生とその協力者、七名が逮捕だそうだ」
「そう......」
どこのコロニーの学生かは不明だが、バカなことをしたなと思う。
これで彼らは船を止めた分の負債を負い、故郷に送還され、そこで朽ちるのだ。
学園に行こうという若者は多い。しかし選ばれるのは技量と頭脳があるものだけ。
選ばれなければ、この不衛生なコロニーで危険な仕事を続け、死ぬ。
そういう人生だと諦観したものはともかく、外の世界は豊かだと知ってしまったものにとっては辛い余生だろう。
「まぁ、彼らが食っていけるよう手は打ってみるさ」
「戸籍でも作り直すんですか?」
「お、半年でだいぶ賢くなったな。悪い友人でもできたか?」
揶揄う先生。
「大丈夫だ。戸籍を作り直すには金がかかりすぎるが、ちょっと記録をごまかすくらいなら問題ない。そういう連中を集めた会社もある。半年とはいえ学園にいたのならそれなりにLeフレームも動かせるだろうしな」
「それなら......良かったです」
良いのだろうか、と疑問は残る。
定期便を止めた損害は大きい。七人で分割したとして、造船所の労働で払いきるには相当時間がかかるだろう。その余波は彼らの短い人生の間続く。
となれば、稼ぎが良い仕事を紹介しているに違いない。
技量を求められ、逃げ出すこともできない彼らでなければ続かないような危険度の高い仕事だろう。
アキラは人生で初めて、先生に疑いの目を向けた。それと同時に、疑いのない目を作った。
悪い友人=人の悪意に敏感な三人のお陰だ。
何かと日々に隠れる権力の影や誰かの意図を教えられるせいで、まさか身近にそういう存在がいたと気づかされるとは。
息を漏らすことなくため息をつく。
どうやら夏休みは気が休まりそうにない。
【L5:ヨコハマ・ノア】
ノア系ポリスの一つ、ヨコハマ・ノア。
L5第二の規模を持つ都市にして、ヴァンセット・ツィナーの帰る場所。
法的には家族であるが、血縁的には家族ではない。訳あって飼われているというのが正しい。
「戻りました、伯爵」
「おかえりなさい、ヴァンセット」
彼を飼うのは、ゲルトルーデ・ジオローパ伯爵。
ヨコハマ・ノアの管理を担当する貴族の一人。
屋敷があるのはアカデミー=ポリス・ハルディンよりも一回り大きな円筒形コロニーの、上方に位置する屋敷。
居住区と商業区が縞模様を作るコロニー内の、ほぼ中心部の行政区に隣接した高官用居住区。
集合住宅が二棟は立つ広さの庭は公園として開放されており、行政の金で庭を維持する貧乏貴族と陰口を叩かれている。
「相変わらず、アイシャドウが素敵ですよ」
「あなたが帰ってくるせいね」
化粧でごまかし切れない顔色の悪さは、ヴァンセットのせいだけではあるまい。
「ナガサキ・10マイル。獲れそう?」
「伯爵、私はまだ一年次ですよ。挑戦するのは来年です」
「自分に挑戦権があると確信してるのね」
「当然。貴方の養子ですから」
ゲルトルーデ自身が三冠とも出場し、最後の一冠を手にした身。
「あなたを生かしている意味、分かってるでしょうね」
「勿論ですとも。私はあなたの道具。如何様にでもお使いください」
「なら、使い物になるまでアカデミーで精進なさい。私のために」
「ええ、あなたのために」
四年前、残骸の中で彼女に拾われた日から。
失敗作として処分されるはずだった彼は、道具として今も使われている。
「さすがは貧乏貴族、リサイクルはお手の物ですね」
「うるさい」
投げられた古いグラスを器用にキャッチし、ポットに作り置かれたハーブティーを注ぎ、主人に渡す。
「すこし香りが悪いですね。もしや昨日作られたものでは」
「ハーブのお陰で殺菌されているわ。コロニー内の気温は一定。不衛生な地球上と比べないで頂戴」
生活力がない彼女は使用人を雇っている。が、それもヴァンセットの帰宅に合わせて暇を出しているのだろう。
「こんなこともあろうかと、伯爵がお好きなラベンダーを買ってきています。美しい貴女には美しい香りがお似合いですから」
「月面貴族から習った口上かしら」
「いえいえ、本心ですとも」
「ならまず黙りなさい。そして茶を淹れなさい。その後、食事の用意をなさい」
「かしこまりました、マイレディ」
休暇といえ、休みはない。
それでも、ヴァンセットはこの飼い主を気に入っているのだ。
それが保護されたときに施されたインプラント処置に由来する感情かは不明だけれど。
【地中海:船上】
「戻りました、父上」
「良く帰った、デイル」
沈みかけの太陽が穏やかな海面に黄金色の光を投げかける船の上。
沖合に停泊する自家用クルーザーにボートで乗り込んだデイルは父=グリンヤルティ社長と対面している。
「学業成績については聞いている。良くやったな」
「はい、ありがとうございます」
厳格な父だが、久々の再開に相好を崩している。
上のフロアからは、弟が帰ってきたと気づいた兄と姉が降りてきていた。
「さぁ、ゆっくりしていきなさい。食事時には、学園の様子も教えてくれ」
社内ですでに働いている兄と、軌道上でテストパイロットを務める姉。それから社長秘書の母と、兄の婚約者。
「懐かしいわ。次のナガサキには出るの?」
「出場が決まるのは来年ですよ。勿論出ますが」
「流石俺の弟だ。俺はナガサキじゃ四位だった。仇を討ってくれ」
「そういいながらトーナメントの勝者でしょ。タイマンなら無敗ってね」
「お前こそ四年前の菊の女王だろ」
「中段グループがデブリに散々巻き込まれたけどね」
観測されていなかったデブリ雨が地球の重力によって降ってきて、半数近くが損傷。数機が引力に引かれて墜落した。それらは低軌道軍が即座に保護し、無事降下したものの十年ぶりの墜落が発生したとして注目された回であった。
なおデイルの姉は先頭グループにいたおかげで無事であった。
「ナガサキもクリサンセマムも、初手最大推力で引き離すのがベストよ」
「エプソム・チャンピオンシップも先手必勝だ。一太刀で決めると次の試合に響かない」
「......心に留めておきます」
だがデイルは狙撃手だ。
高速機動しながら撃つと言えど狙撃手だ。
「それで、班員はどう?仲良くやれてる?」
「お前は仏頂面で無口だからな。賑やかなやつがいるといいんだが」
【月の南極:ギガソーラー】
「まぁ、愉快な仲間たちだよ。バカなL5の貴族子弟、無口な地球の企業子弟、それから月の裏側の労働者の子」
「一人だけ変わった経歴だな」
「学はないが頭はいい。さらに腕もいい。学はボクたちで叩き込んでるから、間違いなく前途有望なランナーだ」
数少ない月の住人、ヘンリー・バージル。ギガソーラーの管理人で、歳はミシェルの二つ上。幼いころから兄と慕った相手だ。
「俺たちみたいな労働者階級が上に行くには、アカデミーに行くのが一番だからな」
ヘンリーも受験はしたが、落ちた。
とはいえ受験できるだけの地頭はあったので、今はギガソーラーの管理人だ。
このソーラーパネル群に異常があれば、シャクルトン・ポリスやL1、2のコロニーに電力が届かなくなる。責任重大な仕事であった。
「でも、ついに管理人なんだろ」
「末席だけどな」
管理を行う職員は百数十名ほど。それを統括するのが十人の管理人。
発電量を監視し、必要に応じて移動を行い、Leフレームで異物を除去し、修理パネルを移動させる。職員を引き連れて現地で作業を監督する立場だ。
「お前がいると思えば、仕事もやる気が出るってもんさ」
L1とL2はそれぞれ地球と月の影にあり、太陽光は届かない。
発電用コロニーもあるが、ギガソーラーの出力のほうが高いため普段はもっぱら電気を輸入している。
さらに、生活用の陽光もミラーで反射している。
コロニー時間の昼に合わせて光を送り、市民の生活リズムを作っている。
「これの焦点や出力がずれると、コロニーが溶けるから責任重大だぜ」
「そいつは......勘弁してくれ。ボクが生きたまま丸焼けになってしまう」
とはいえ、ここの職員は皆責任感があり、仕事の質も高い。
そのような事故はこれまで一度も起こっていないのだ。
しばらくヘンリーと共にギガソーラー周囲を回り、所長に挨拶をしてから月に帰る。
穏やかな逆噴射をしながら、旋回軌道でシャクルトンクレーターを目指す。
クレーターの縁は日が当たっているが、底部は未来永劫日に当たることはないだろう。
お陰で居住区の熱対策をしないで済んでいるとはいえ、外から見ればひどく殺風景である。
これなら静かの海や、嵐の海にあるトランクウィリティ・ポリスやプロセラルム・ポリスのほうが活気があるというもの。
人類初の月到着地点の近くにはアジア連邦が。
マリウスの地下空洞の底に築かれた月地下都市には環太平洋連合が。
どちらも初期のコロニー建造のために造られた都市だが、シャクルトンと違い今でも稼働している。
〈こちらシャクルトン。速度が速い。減速、減速〉
「ラングレン5、了解。ゴーアラウンド」
〈ゴーアラウンド、コピー。周囲に機影無し。制限なし〉
学園でLeフレームを操作する気分でいたが、思いのほか速度を出しすぎていた。
管制に従い一周して減速する。
「ラングレン5、タッチダウン」
〈コントロール、コピー。ターミナル3、ポート11へどうぞ〉
少人数用の小型艇用の3と書かれたハッチへゆっくりと移動。
ギガソーラーや周囲の観測衛星への移動にも使われる小型艇は一人で扱えるので、資格を取って以来ミシェルは好んで乗り回している。
ハッチにて止まれば、床がゆっくりと降りて艇を地下格納庫へと導く。
シャッターが開き、エアロックを抜ければ小型艇桟橋だ。
〈ラングレン5、ポート11へ〉
トーイングカーに接続され、11と書かれたポートへ。
ターミナル内は有酸素空間だが、脱気事故のリスクがあるため作業員はエアマスクを着けて作業している。
なお限られた酸素を守るため、ターミナル内はエンジン燃焼禁止だ。
桟橋が艇に接続し、気圧を均衡させる。
そうして、やっと艇を降りれるのだ。
「宇宙圏を支配する月のシャクルトンといえど、内実は旧式の都市だ。金融と発電で地位を保っているとはいえ、この平和な時代が破られでもすれば一瞬で荒廃するだろう」
それはシャクルトンに住む皆が意識している破局。
それを先延ばしにするために、月の貴族は日々策を巡らせている。
低軌道軍は治安維持とデブリ除去を続けているが、紛争への備えも怠っていない。
各企業も新型開発は続けている。
それでも、いやそれがゆえに、貴族たちは戦火を否定できずにいる。
自身がそれを、遠くへ押しやる工作を続けているがゆえに。
【チュニス:車内】
ラ・グレット港にクルーザーが停泊している。
デイルは三日ぶりに揺れない大地に立った。
「コロニーの地面より、しっかりした足場だ」
「そうだろう。やっぱり人は地上で生きるものなんだよ」
兄とともにタクシーに乗り、繁華街へ。
レンタカーに乗ってゆっくりと北へ向かえば、そこはかつてカルタゴと呼ばれた地域。
今ではレグザゴン連合の中堅国家チュニジアの、歴史遺産だ。
「二千五百年くらい前の遺跡がまだ残っている。俺は時々思うんだ、宇宙に遺産が残るんだろうか、って」
「......」
L4に浮かぶ大規模デブリ群。
事故によって人が住めない廃墟と化した危険地帯。
いずれ残骸として処分されるか、そのまま無視されるか。
誰も管理する者がいなければ遺跡になることはない。
ただの廃墟であり続ける。
風雨に朽ちることなく、いずれ太陽風や磁場嵐で散らされ、重力に引かれて落ちてくるのだろう。
「せいぜい月くらいだな。だが月も人が居住するには向かない。モニュメントとして都市の亡骸が残って、終わりだ」
「兄さんは、人類は地球に帰るべきだと?」
「どうだろうな。宇宙人全てを受け入れる余地はもはやない。欧州はアンドラ合意以後、人を空にあげて住みやすくなった。渡せる土地は多くない。元より人口の少ない欧州でこれだ。人口の多く、国ごとに差のある環太平洋連合も帰還を歓迎しないだろう」
広大なエリアのTPU諸国は、陣営内で搾取する国、される国が分かれる。
元より資産を持っていた西海岸や日本、韓国は宇宙から資源や利益を受け取り、人口が余りがちな東南アジア、南米は人を宇宙へ送って開発に充てている。
「最近じゃ、帰還論を如何に抑えるかって意見が出ている。俺たち持つ者にとっては、現状維持が一番都合が良いんだ。持たざる者の意見はできるだけ封殺したい」
資本家の本音。
デイルとて、その恩恵に預かっている。
本来その資格がなかったにもかかわらず。
「とはいえ、上層社会も一枚板じゃない。学園指導部の対立は聞いてるか?」
【プリヴォルヴァ3:教室】
アキラの他は誰もいない教室。
これからの学園で役に立ちそうなことを教えてやる、と先生が二つの単語を電子黒板に書き記した。
「テティス派、オケアノス派。アキラの立場ならきっとこれから聞く機会があるだろう」
学園、ひいては上層社会を二つに分ける思想の違い。
「テティス派は、人類圏の拡大は十分として、これからは地球と各コロニーの生活を良いものにしていこうという思想だ。アカデミーの校長始め主流派だな。地球に基盤を持つ国が特に主張しているんだが、これ以上豊かにならなくてもいいだろう、というやつだ。今の上層世界の指導部は宇宙時代の社会が軌道に乗った頃に産まれている。まだ問題の残っていた子供時代に育ち、それらが解決した今権力を持っている」
彼らは、宇宙開発前の停滞と渇望、黎明期の期待を知らない。安定だけを知っている。
「一方、オケアノス派はさらなる開発を求めている。火星と金星を人類の植民地として、いずれ木星に至るべしとしている。若くして権力を持ったものに多い。彼らは与えられたものに満足せず、自身で成果を望んでいる」
それが、無謀ともいえる理想であっても。
「学園理事はこっちだ。だがStERA社内でも主流派はテティス派。コロニーの管理で利益を得る彼らの多くは、わざわざ新しい環境に挑戦したいという意欲を失っているらしい」
「それで、僕たち重点育成プログラム組は理事の肝いり、なんですよね」
「そうだ。よく気が付いたな」
ミシェルが言っていたことと矛盾しない。
では先生はどちらだろう。
「労働者たちは、それに関わっているんですか?」
「いや、派閥の名前も知らないだろうな。彼らは呼吸できる空気と、1Gの重力と、衛生的な水と食料。それから給料とちょっとした娯楽があればいいと考えている。そこが火星だろうがL4だろうが、気にしないだろう」
それはプリヴォルヴァ3の労働者たちを見ていてもわかる。
食後のデザートがたまに出て、少し高くても祝いの日にはアルコールがあり、トランプや麻雀でもあればなんやかんやで働いている。
不満はあれど、それを積極的に改善しようとは思わない。
今のアキラはそれを飼い殺しだ、と思う。だが学園に行く前ならそうは思わなかったかもしれない。
「まぁ、ここの出資者はマルドゥック社。オケアノス派最先鋒というのは分かるな」
木星の名を持つ企業だ。
「君たちの班は重点育成プログラムに選ばれている。理事はその成果を宇宙開発推進のための方向付けに使うつもりだろう」
アキラは、プログラムに選ばれたおかげでいい成績を取れている。
そうでなくても今の班なら上位に入れたことは間違いないが、分かりやすい結果を出せているのはプログラムのお陰だ。
「どちらに加わるかは、いずれ誰かの影響で決められるだろう。その時どう動くかは考えておいたほうがいい。社会の中で、自分の意思で決められることなんて多くはないんだ」
【ラングレン家:書斎】
ミシェルは父と書斎で向かい合っている。
帰宅の挨拶と近況報告はすでに済ませた。
「我がラングレンとしては、テティスとオケアノスのどちらになろうと構わない。どちらに転んでも月の権益を確保するのが貴族の在り方だ」
負けないこと、というのは貴族であり続ける秘訣だ。
それに失敗して没落した家は多い。
かつての宇宙貴族も半分以下に減っている。
「お前の成績なら間違いなく上位で卒業できるだろう。プログラムを成功させれば理事に恩を売れる。それはお前の人生にとって大きなプラスになるだろう。次代の当主として、箔は多いほうが良い」
「勿論、冠も取ってきます」
現当主=ミシェルの父は既に高齢。
前妻は子を成せず早逝し、後妻として迎えられたミシェルの母も彼以外を作ることはできなかった。
月の出生率は低い。低重力が影響しているためだ。
人工授精、胎児育成も月を離れ1G環境のコロニーで行われている。
そして育児もそこで行うようになり、人口は流出する。
少数が月面に残っているのは見栄と意地のため。ステータスとして以上に月の低重力は意味を持たない。
今では個人用コロニーも開発され、おなじコロニー内で無重力と1Gを再現できるようになり、物好きの金持ちが住んでいる。
「それと、これを」
渡された紙資料。
電子的な盗難が不可能な紙資料で渡される=高セキュリティ。
「我が家が行っている工作の一部だ。今のうちに把握しておけ。アカデミー内でも徴候が見れるだろう」
「......戦争管理会社ですか」
数枚めくり、目についた文字。
「そうだ」
【チュニス・カルタゴ空港:車内】
「そういう会社がある。我が社も出資をしている」
「噂では聞いていましたが」
デイルは兄と二人、空港の駐車場にいた。
兄はこれからプライベートジェットで本社に戻り、瑣事を片付けないといけない。
「アンドラ合意の本当の意味は、欧州に入り込んだ下層民を追い出すことだ。異教徒、異民族。社会にフリーライドし、文化を破壊するものたち。ジブラルタル海峡とダーダネルス海峡を境に上層世界と下層世界が分かれた。同時期にアメリカ、極東でも同じような動きが出た」
宇宙開発直前の停滞時代。
社会制度の破綻を前に、各国が全体主義化した時代。
他者への不寛容が摩擦を生み、熱は空に向けられた。
どこかの国が、やけくそにロケットを打ち上げ、引きずられるように各国が続いた。
それを見た下層世界は再び豊かさへの渇望を取り戻す。
国々は連合を組み、より高い空を目指した。
「だけど、不寛容は消えていない。寛容で他者を受け入れた結果、文化が破壊された。上層世界は下層世界の文化を破壊しながら自国の文化を守ってきたが、自分がやられるのは嫌だったのさ」
力は借りたい。勢いも借りたい。でも隣にはいてほしくない。
「高みを目指すほど、失敗者も出てくる。うっぷんが溜まる。国内であれば統制できるが、国外にまで手が出せない。全体主義化した熱狂の反省もあり、直接手を出すのも憚られる」
「それで、戦争管理会社ですか」
「戦争請負会社の発展だよ。武器と情報を売り、不満分子を編成し、不満分子同士で潰し合わせる。上層世界には傷をつけず、石油パイプラインとダイヤモンド鉱山とガス田を汚すことなく、目につかないどこか遠くの荒野に血をぶちまける」
抑えきれないところは低軌道軍が爆撃を行う。
低軌道軍は当時の上層世界が雇った戦争請負会社を基礎としている。
反撃されない距離から一方的な爆撃を行い、抵抗の意図を挫く。
今では再編されて国連軍麾下にあるが、元は血塗られた意図のもとにあった。
デイルは知識としてそれを知っている。
自社が絡んでいるともうっすら想像はしていた。
肯定されたのは今日が初めてだ。
「これからそのエージェントと会ってくる。お前もいずれ社の役員になる身だ。遠目から見ておけ」
空港の屋上には望遠鏡が置いてある。
1フランを入れれば視界が開けた。
レンズの向こうが砂漠の乾いた大気にかすむ。
ランドグリーズであれば複合視覚でもっとクリアに見えるのだけれど。
望遠鏡ごしに見えるのは、いくつかの社で共同出資している小型ジェット機に乗り込む兄と兄を待っていたスーツの男。
会話は聞こえないが、商談相手らしい。
「気になりますか」
「......」
後ろから声をかけられた。
声をかけるタイミングを見計らっていたようにーーーつまりずっと監視されていた。
「そう警戒なさらず。私はお兄さんのお友達ですよ」
「管理会社の方ですか」
「左様」
砂漠風の軽い衣服に身を包んだサングラスの男。人種は不明だ。
「我々、オルトロス・グループと申します。以後お見知りおきを」
【L5:商業区】
「オルトロス。双頭の狼か」
「よくご存じで」
やや騒がしい昼下がりのフードコートで、ヴァンセットは背後に座る女と会話している。
安い合成食品が、せめて見た目だけでも本物の食事らしく振舞うトレーからつまらなそうにスティックを摘まむヴァンセット。背後の女は合成コーヒーを旨そうに飲んでいる。
「それ、うまいか?」
「尿を蒸発させて得た水で飲む粉末コーヒーよりは」
「確かにな」
ゲルトルーデの客だ。
ヴァンセットが帰ってきたのでこれ幸いと仕事を押し付けられた。
「レポートをどうぞ」
紙袋が静かに足で押されてくる。
「生憎、初めてなんだ。優しくしてくれるか?」
「いいでしょう。復権派が画策した中部アフリカへの工作任務です。ダイヤモンド鉱山付近で活性化していた部族間抗争は、第三勢力の出現により戦場を平野部へ移行。鉱山周囲から不穏分子は移動しました」
「もう少し、分かりやすい言い方はないのか?」
「では。下層民同士が殺しあって、大事なダイヤは守れました」
「......分かりやすいね」
戦争管理会社の仕事だ。
上層世界に雇われる彼らは、クライアントのためにはどこにでも現れる。
この女も髪先の痛みが隠れていないーーー砂漠で手づから工作を行っていた証拠。
「お仕事ご苦労様です」
ヴァンセットも持っていた紙袋を足で押す。
監視カメラの死角で行われた取引。
「......では。またの御用命を」
報酬が入った袋を手に取り、空になった合成コーヒーのカップとともに去る女。
しばらく不味い食事を続け、ヴァンセットも席を立つ。
だがまだ終わりではない。
隣の建物に入る。
奥のほう、本屋に入れば地球で出版されたばかりの新刊情報が並んでいた。
端末をかざせば支払いとダウンロードが行われる取引だ。
あるいは、追加料金で紙に印刷するサービスもある。
紙の束はかさばり、可燃物となる。宇宙時代では廃れた文化となっていた。
「失礼、コクトーの小説はありますか」
「大抵のものはあるよ。何が良いんだい?」
「”恐るべき子供たち”を」
「まってな。古いのは検索に時間がかかるんだ。ちょっと中で待っててくれ」
ヴァンセットはカフェスペースに案内される。
待っていたのはどこにでもいそうな男性。買い物中の父親といえば誰もが信じる格好。
「レプリカの街で」
「ハーメルンの笛が鳴る」
男性の温和な顔が一転、無慈悲なそれに代わる。
「ゲルトルーデの代理人か。聞いた通り若いな」
「恐るべき子供たちなので」
「まぁ、いい。代理人、渡せ」
先ほど受け取った紙袋を渡せば、男性は中身を抜き取って代わりの紙を詰めて渡すーーー製本された”恐るべき子供たち”。
「ジオローパの負債は膨大だ。どうやって返す?」
「冠何個分で?」
「足りんな」
ジオローパ伯爵家の凋落の原因。
ツィナー事件での失態。
ヴァンセット・ツィナーの原点。
「また連絡する。せいぜいアカデミーで地位を築いておけ」
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