第6話 ふたたびの

それから数か月が経った。相も変わらず三人の昔の山男たちは、定期的に集まり酒を酌み交わし、山行談議の花を咲かす。この仲間の富永とは、何時の間にか音信不通となり、その後逢う機会を失った。風の噂では、遠く京都府に居を構えていると云う。それで俺と坂口は、一年に一回程度だが、他の山行仲間と西銀座の居酒屋ノアで酒宴を開き近況や山談義を語り合う。

そう言えば、この仲間との付き合いは、随分長く続いている。大体会うのは十二月頃で、社会人の時は仕事が終わって午後六時頃から始める。メンバーは田村と坂口、それに俗称のハタコ、アイス、フジエの計五名だ。驚くなかれ、高校時代からの悪仲間である。

ハタコが切り出す。

「坂口君は最近如何なの?」

「俺か、相変わらずだ。孫の幼稚園への送り迎えが定番だし、一線は離れたが、今だ服飾の仕事を続けているよ」

 すると田村が突っ込む。

「そうだ、坂口は個人経営の社長さんだよな。大したもんだ。俺なんかとっくに定年退職し、年金暮らしで五年前に縁あって、いきがい大学の東松山学園の学生になり、その時入部したウクレレを今でもやっているよ。月二回の練習日を設けていてな。それに時々ボランティアで、ディーサービスへ行き演奏もしている。練習もこんな目的がないと熱が入らんからな」

「田村君って大したものね。感心するわ」と、アイスが口を挟む。すると、ハタコが近況を話し出す。

「皆、聞いてよ。ここ三年程前から、シルバーの仲間で山登りやっているんだ。この前なんか、北アルプスの常念岳に入ったわよ。ちょっときつかったけれど楽しかった」

「そうか、ハタコも本格的だな。よく体力があるよ。俺も行ってみたいけれど自信がねえな」田村が関心するように漏らすと、「私なんか、近所のスポーツジムで鍛えているし、インストラクターの真似事までやっているんだから」

 すると、アイスが話に乗ってくる。

「そうね、ハタコからは度々電話があって、近況を聞かされているもの。この元気さは昔とちっとも変ってないわ。ねえ、フジエ?」

「そうなのよ、ハタコは高校時代からこのままだわ。元気印そのままね」

 そこで坂口が加わる。

「しかし、ハタコはすげえな。俺なんか最近膝に水が溜まり、難儀しているんだ。かれこれ二十年続けている、居合道の練習にも支障きたすくらいだからな」と愚痴をこぼすと、田村が茶化す。

「そう言えば坂口、お前は昔ギターをやり、その後三味線を弾いていたが、今はやっていないのか。それにカヌーもやっていたじゃないか。それで居合道か。いろいろチャレンジし大したもんだぜ!」

「まあな、好きなことやっていられるんだ。でも今は、居合道ばかりだよ。これもずっと続けたいけど、あと何年やれるかな。ギターは二十代まで、三味線は四十代。カヌーも息子が小さい時始めたがそれも卒業した。結局その後ひょんなきっかけで居合道を行うことになり、今も続けている」

「それにしても、大したもんだ。坂口のチャレンジ精神には頭が下がるよ。ところで、居合道って、真剣を使うのか?」

「もちろん、大会の時は真剣を使うが、日頃の練習では使わん」

「そうか、それもそうだよな」田村が感心していると、ハタコが話を変え所望する。

「田村君も、ウクレレでハワイアンを演奏するなんて素敵だわ。今度持ってきて聞かせてよ」

「ああ、いいよ。次回会う時に持ってくるから。いいか、みんな聞いてくれるか?けれど演奏を、ノアの方でオーケーしてくれればだがな」

 すると、坂口が貶す。

「てやんで、お前のハワイアンなんかで、うっとりするわけねえだろ!」とからうと、フジエが「是非聞かせてよ!」とせがむ。すると、「口の悪い坂口君の言うことなんか気にしちゃ駄目よ」とアイスがフォローした。ついと、田村が吠える。

「坂口の悪態なんか何時ものことだ。俺の美声とウクレレの演奏で、皆が聞き惚れるぞ。間違いなしだ!」

すると、ハタコが「まあまあ、そこら辺にしておきなさい」と言いつつ話を変え誘う。

「田村君、今度一緒に北アルプスの常念岳に行きましょう。素晴らしいわよ。常念岳登山はさっき話した通りだから」

「おいおい、昔の俺じゃないんだ。そこら辺の山登りもしていないし、北アルプスなんて健脚向きで本格的登山なんか無理だ。ハタコになんか、ついていけるわけねえだろ。無理、無理。山登りなんか今となったら、精々素人の行く処しか行けないよ!」と謙遜し、水割りを飲みながら、近況を喋りだす。

「じつはな、近所に住む娘夫婦家族と俺と女房が加わり、高尾山へ行く機会があったよ。小学校四年生の孫娘は地元のバスケットチームの練習試合で不参加だったが、幼稚園年長組の長男と二歳半になる次男で出掛けた」

「ちょうど五月のゴールデンウイークであったせいか、多くの入山者でごった返していた。舗装された山道をゆっくり歩くが、とにかく人波に合わせなければならず、そのうち次男坊が飽きてきたのか焦れ出し、早々に昼食タイムを取り山道の脇で持参した握り飯を頬張る」

 歩く人波を見つつ一息入れていると、うっすらと背中に汗が滲み出すが、山風が我らを包むと入山した気分に浸れる。孫たちにはどう感じているか定かでないが、ひと時のなごみが昔の山行を思い出させてくれた。若き日の夏山の汗まみれや、厳冬期の山行の厳しさが瞬時に蘇り、心のスクリーンに映し出してくれる。そんな時、握り飯を頬張る次男坊に話し掛ける。

「爺ちゃんはな、昔若い頃沢山の山に登ったんだよ」と。すると、目を輝かせ問うてくる。

「こんなに沢山の人と一緒に登ったの?」って。「いや、この高尾山はゴールデンウイークだから沢山の人が来て行列になり登っているのさ。爺ちゃんの行った山は違うよ」

「へえっ、違うのか…」と不思議そうに答えるが、突如尋ねてきた。

「それじゃ、如何して山には木が多いのかな?」だって。この質問には困惑した。山に木があるのは当たり前と、考えもしなかったことだから。

咄嗟に答える。「見てごらん。春だから木々に新芽が出て緑が綺麗だろ。どこの山も今頃は緑が綺麗なんだよ」

「ふうん、やっぱり山に木が多くなければ、登って来た時楽しくないんだよな。そうなんだ…」と、感心するように次男坊が呟いた。そんな俺も、山に夢中になっていた若き日の、今頃のシーズンに登った奥多摩の雲取山の新緑が蘇ってきた。

 さらに一か月後、高尾山山行に行けなかった孫娘がずるいと言って、今度は日高市にある日和田山(標高三百二十m)へと、我ら夫婦と娘夫婦フルメンバーで出掛けた。

この日和田山は標高が低いが、高尾山のように登山道が舗装されていず、本来の山道で途中多少険しい山道もあり、みんな一生懸命に登った。次男坊も、孫娘らに触発され負けじと登る。危なっかしくハラハラしながら共に登るが、直に汗が滲み息が弾んでくれば、またもや昔の己が蘇り、山行熱が騒ぎ出していた。

一歩一歩踏みしめると、靴底から木霊のように反応してくる。

ああ、山って良いな。この景色、この空気。どれをとっても変わりない。昔のままだ…。

孫らの一生懸命に登る姿を見ては、微笑ましい気持ちになり、次男坊が草臥れかけて愚図り出すと、すかさず孫娘が近づき「頑張れ。もう少しで頂上に着くから。着いたらお弁当食べようね。だから頑張れ!」と声をかけ励ましていた。

愚図りつつも歩いては止まり、その都度声掛けすることで、ようやく山頂につくと展望が開け、眼下に広大な巾着田やJR高麗川駅の駅舎が小さく見えた。山頂の道標の前で記念写真を撮るも、次男坊にしてみれば、写真撮影に興味がないのか、握り飯を口一杯に頬張るばかりだ。そんなところも、スマホで撮る。いずれ何年か先の機会があった時には、日和田山でのスナップ写真を見せてあげたい。

自分が、多く撮った山行写真をたまに見る時、当時の思い出が蘇るから、そうしてあげたらいいと思う。但し、孫らが大きくなって望むかは別問題だが。

ところで、山仲間連中のことだが、相変わらず連絡を取り合っている。最近スマホのラインを使って、坂口やハタコらと連絡を取り合っては無駄話をし、互いの健康を確認し、年末には年に一度の飲み会を催すのが楽しみである。酒を酌み交わすほどに、互いの思いが若き頃に遡り、ああじゃねえ、こうじゃねえと山行の思い出話に花が咲くのである。

何故スマホのラインかと言うと、互いがライン登録しいれば、料金がかからないからだと、坂口の知恵からだ。もっぱらそれを利用する。

そう言えば、古い山行写真が出て来て驚いた。俺と坂口さらに富永の三人で、阿弥陀岳山頂で撮った冬山登山のスナップ写真だ。富永が撮ってくれた、俺と坂口の防寒ヤッケを頭から被りピッケルを握り、道標の前で座る若き日の勇姿である。睫毛を凍らせながらカメラに向かっていた。

その写真をまざまざと見て、田村がぽつりと漏らす。

「懐かしいな。しかし、あの時の寒さは半端じゃなかったぜ」

鼻先に、ジンジンと来る感覚が一瞬蘇っていた。


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そこに、山があるから 高山長治 @masa5555

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