「第十四話」風が来た

 長いこと空を駆け回ってはいるが、一時たりとも私の心は休まらなかった。彼女が今どんな目にあっているのか、どんな思いで、彼女自身に迫りくる死を眺めているのだろうか。それを思い浮かべ、想像するたびに怒りが湧いてくる。無論それは誰に向けたものでもない、自分自身に向けたものである。


「急いで、もっと早く!」


 八つ当たりでもするかのように手綱を引くと、イルは更に加速した。私の心境も、不甲斐なさも、今何をするべきなのかも……魔獣であるイルがどこまで分かっているかは定かではないにしろ、彼は全力で私に協力してくれている。ならば私は、それに答えなければなるまい。


「……っ! 着地!」


 イルはそのまま急降下し、とんでもない速さで着地した。奇しくもここは、ロゼッタが初めて私の前で戦い、劇的な勝利を収めた思い出の場所。──城の門へと続く、ただ一つの石橋である。


 私は着地と同時に走り出した。時間がもう無い、空がもうオレンジ色に染まりつつあった。この国での処刑は大体、日没を合図として行われる。特に魔女狩りが盛んだった時期は、日が沈んだその瞬間に一斉に縛り首を行ったと言い伝えられているほどだ。


 急がなければならない、彼女が冷たく動かなくなってしまう前に。私は門に向かって走り出した……だが、そこには見覚えのある人影が見えた。私は思わず立ち止まり、その強気で傲岸不遜な男の名前を叫んだ。


「ブラスト教祖……!」

「名を覚えていてくれたこと、大変恐縮でございます」


 とは言うものの、奴は私を見下すような姿勢を崩さない。表面上の、形だけの敬意は、私への敵意と軽蔑が嫌というほどに強調されていた。奴は私を王の器、いいやそれどころか王族とも思っていないのだろう。


 いや、今はそんなことはどうでもいい。


「そこを退きなさい、王女シエルの命令です!」

「残念ながら、私がここにいるのはシャルル王の命令でございます」


 私は怒りでどうにかなってしまうのではないかと思った。煮えたぎっていた怒りはもう少しで咆哮として口から飛び出そうだ、溢れかけていた言葉は拳とともに振り下ろしてやろうかと思った。口封じのために母さんを殺して、私のことも殺そうとして、今度はロゼッタも殺すのか? そんなこと許されるはずがない、この国の全員が許しても、私が許さない。


「……退かないのですね」

「命令ですので」

「ならば力ずくで通るまで!」


 私は踏み出した。仁王立ちのブラストの横をかいくぐり、そのまま門へと至るために。──しかし、私の視界は宙を舞った。


「──あっ」


 どさぁ! 鈍い痛みがあちこちに広がっていく。地面に投げ飛ばされたのだと気づくのにしばらくかかったが、それにしたって威力がおかしい。これが、これが魔女狩りの英雄なのか。


「何分戦うのは久しぶりなものですから、加減ができそうにありませんな」

「……!」


 違う、多分これも命令だ。加減が云々の話なんかで王族を殺せば、否が応でも国家権力は動かざるを得ない。躊躇なしに投げ飛ばしてきたということは、おそらくシャルル王は、私を殺すように命令を下した! 平民と交わったという象徴を消すために。


「では、悲しいですが命令ですので。──さようなら、無能な王」

(死っ──)


 回避も防御も間に合わない、背後のイルも雄叫びを上げながら突っ込んできているが、それすらも間に合わない。


 私は瞼を閉じた。直後、体は吹き荒れる爆風によって宙を舞う。死を覚悟した私の耳には、痛みの代わりに聞き覚えのある声があった。


「無能かどうかはまだわかりませんぞ教祖殿。少なくともシエル様の心の叫びは、私のような老骨を動かしたのですから」


 爆風の中には私と、風の主である『風の魔術師』が佇んでいた。

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