第36話 頭隠して尻隠さず

ミザさんが、ヤクモさんたちを必死に説得して続けていると草原の方から聞き慣れた声が聞こえてきた。


「おーい! 皆無事だったぞー!」


声のする方にこの場に居る全員が視線を向ける。


どうやら、ライカさんを心友といい信じ切ったミザさんの思いが通じたようだ。


そこには、草原へと向かったロイドさんがいた。


彼はこちらに向かって勢いよく走ってくる。


その姿を見る限り、怪我もなさそうだ。


ロイドさんは、ミザさんをその目に留めるなり、全力で駆けつけて強く抱き寄せた。


「ミザ!」


草原へと駆けて行った時のような何かを覚悟する表情ではなくとても穏やかな顔をしている。


「ロイドさん……良かった、無事で!」


「ああ、すまん……心配をかけた」


「いいえ、いいえ!……大丈夫だと信じていましたから」


彼の腕の中にいるミザさんも、とても安心した表情を浮かべていた。


僕では彼女の気持ちを全てわかるわけじゃないけど。


抱き合う二人を見て自然と涙が頬をつたっていた。


良かった、本当に良かった。


こうやって涙を流しているのは、僕だけじゃなかった。


周囲を見渡すと、ここにいる全員がその帰りと無事を心から喜び涙していた。


すると、どこからか勢いよく鼻水を啜る音が聞こえた。



――ズビッ……ズビビビィー!



なんてことだ。


幼い僕でもわかる。

これでは、いい雰囲気も台無しになってしまう。


一体誰だ? いや、誰だというか、こんな豪快な啜り方、じいちゃん以外にいないんだけど。


だけど、じいちゃんはここにはいない。


じゃあ、誰なんだろう?


この空気の読めない鼻水の主は……。


僕は周囲を見渡す。


でも、近くにいる人たちは、泣いてはいても鼻水を啜るなんてことはしていない。


――ズビィィィ!


考えている中でも、響き渡る音。


そのあまりの音に周囲の人達から笑い声が聞こえ始め、その視線は僕の足元に向いていた。


「えっ?! 下?」


僕は足元に視線を向ける。


そこには、紫色に輝く恐ろしいほどの魔力を纏ったライカさんが、その場で小さく纏まり顔を手で隠しながら、ズビビビィーと音を立てながら泣いていた。


「よかった、本当によかったです……」


周囲の人には、その魔力が見えていないようで、涙や鼻水でぐちゃぐちゃなったライカさんに、笑いながらも声を掛けたり、ハンカチを渡したりなどの反応を見せている。


「ハンカチ、ありがとうございます! 洗って返します……ズビィィィ!」


ライカさんは、ハンカチを受け取り、涙を拭うと勢いよく鼻水をかんだ。


「ははは! あの皆の憧れ受付嬢のライカちゃんがハンカチで鼻水をかむとはな」


彼女にハンカチを手渡した獣人族の人が、お腹を抱えて笑っている。


それにつられて、周囲にいる人たちも、あのライカさんが、ハンカチで鼻水をかむなんてという話題に移り変わっていた。


「わ、笑わないで下さい〜! ちゃんと洗ってお返ししますから、何だったら新品を買ってきますー! ズビィィィ!」


顔隠しながら、ライカさんは応じている。


漂う暖かい空気。


でも、魔力の見える僕からすると話が別だ。


口調こそ変わっていないけど、見たことのない量の魔力がライカさんが、泣く度に勢いよく溢れているのだから。


というか、それよりもさっき見た時より、手で隠してはいるものの、口から牙が出ていて迫力が増しているし。


その上、いつも被ってる帽子からも二本の角が少し見えている。


不幸中の幸いは、この和やかな雰囲気のおかげでまだ、誰も気付いていないってことだ。


どうしよう……。


困った僕は周囲を見渡す。


あーだめだ。


唯一、ライカさんの事情を知っていそうなミザさんは、ロイドさんと女性たちに囲まれている。


かといって、こんな状態のライカさんを放置していたら、いずれ帽子や眼鏡まで使って隠している種族がバレてしまう。


うーん……困った。


再び周囲を見渡す。


うん、やっぱり僕が以外いないよね。


腰を落として、皆にライカさんの顔が見えないよう正面から小さな声で話し掛けた。


「ラ、ライカさん、あの……角と牙が」


「はえっ?! つ、角? 牙っ!?」


「し、しーっ! ラ、ライカさん、口は隠したままで! 今ならまだ誰も気づいていませんので……」


僕の言葉を聞いた彼女は慌てて、帽子から出ている角を手で隠した。


「あ、ありがとうございます……リズ君、助かりました」


お礼をいうライカさんの口元は、長く伸びた犬歯が光っている。


うん、これが頭隠して尻隠さずといったところだろう。

じゃなくて! ライカさんは気付いていないんだから、言ってあげないと。


「ライカさん、その牙が出てます……」


この言葉を受けたライカさんは特に慌てることなく受け答えをした。


「ああ、これですね! これならすぐ……元に戻せますのでご安心を♪」


そう言って深呼吸をすると、一瞬にしてその姿を元に戻した。


帽子から突き出ていた角はよく見ないとわからない大きなまでになり、牙が出ていた口元も僕らと何も変わらない。


「えっ!? どうな――」


僕は反射的に声を挙げてしまいそうになる。


だけど、今度はライカさんが、僕の口元に指を当てて返す。


「しーっ! リズ君、今は誰も気付いていませんからね」


彼女のいうように、まだ誰も気付いていないようだ。


楽しそうに会話をしている。


そんな中、今度はギルツさんの声が草原の方から聞こえてきた。

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