第20話 宿屋

じいちゃんと宿屋の女将さんの会話によると人数に関わらず、料金は一部屋一泊3000ペル。


もちろん、この料金にはスレイプニルが使う馬小屋、馬車を預かるお金も含まれているようだ。


とても良心的な価格だと思う。


薬草採取のクエストを一日一件こなせばなんとかなるくらいだしね。


すると、話が一区切りついたのか女将さんが声を掛けてきた。


「ごめんなさいね、放ったらかしになっちゃって」


「いえいえ、大丈夫です」


やっぱり、いい人だ。


どうやら、僕を忘れていたわけじゃなかったらしい。


それと同時にじいちゃんも僕の頭に手を置いてきた。


「だ、大丈夫じゃ! こやつは出来た子でのう。きっと話も理解しておったに違いない、だから放ったらかしなんて平気じゃ!」


間違いない。


この二十分くらいの間、完全に僕の存在を忘れていた。


そのことを気づかれないようにか、じいちゃんは急に話し始めた。


「あ、そうじゃ! い、今のアイモーゼンの事を聞きたいの!」


じいちゃん、忘れてたことは、もうバレてるよ。


僕が疑いの目を向けているのに気付いているのか、こっちを向こうとしない。


「た、例えばじゃの! シトリンゴート以外に美味い物とかじゃ!」


「……シトリンゴート以外ですか?」


このまま放おっていてもいいんだけど、女将さんに迷惑が掛かってしまう。


受付の前で、大柄なじいちゃんが挙動不審状態なんて。


「じいちゃん、気にしてないよ!」


「な、何がじゃ?!」


顔が引き攣ってるし、これじゃ気にしているって言ってるのと一緒だと思うんだけど。


具体的に言えば素直に言ってくれるだろうか。


「だから、僕のことを忘れたなんて、気にしてないよ」


「う、うむ……すまん。忘れたというか、その……話しにじゃな。夢中になってしもてつい――」


それを忘れたっていうような……。


でも、話に夢中になっていたのは本当だ。


「うん、それもわかってるよ」


「うむ……」


「ほら、それよりも女将さんが困っているよ!」


困っているというよりは、笑うのを我慢している感じだけど。


肩は震えてるし、じいちゃんをちゃんと見れていない。


「うむ、そうじゃな。女将よ、すまんかった」


「うふふっ、気にしないで下さい。お話に夢中になることって、会話する側にとっては嬉しいことですからね!」


さすが宿屋の女将さん、ナイスフォローだ。


僕の視線に気付いたのか、女将さんはウインクをしてきた。


きっと、任せてって意味だ。


僕もつかさず親指を立てて応じた。


お願いします、女将さんという意味を込めて。


「あ、それよりも名物のお話ですよね!」


「う、うむ。ワシが昔この町に訪れてから結構の月日が経ってしもうてるからの。今は何が流行っているのか、教えてくれる嬉しいのう」


「でしたら! 屋台が並んでいる通りの向かいに新しくできたお店があったはずですよ!」


「ほう! して店の名は?」


「えーっと、確かルージュだったと思います。お子様でも美味しく食べれるポンジュパイが売りの素敵なお店です」


「ポンジュパイとな!?」


「はい! バターふんだんにサクサクの生地に甘酸っぱいポンジュのジャムが合って、とても美味しいですよ」



女将さんの話を嬉しそうに聞いたじいちゃんは、甘いと聞いた瞬間――。



「そうか、甘いのか……うむ」



髭を触り考え込んでいる。


じいちゃんは、甘い物が苦手だからね。


考え込むのも無理はない。


聞いておいてその反応は失礼な気もするけど。


こんなふうに町の流行っているもので、会話を続けていると、外から鳴き声が聞こえた。


「ブルルッ、ヒヒーンッ!」


この鳴き声。


外にいるスレイプニルに違いないけど、機嫌が悪い時の声だ。


外は暗くなってきてるし、荷馬車にも繋いだままだし、自由に動くこともできないし、もしかして怒っているのかも……。


「じいちゃん、スレイプニルの様子、見に行かなくていいの? たぶん、怒ってるよ」


「そ、そうじゃった! スレイプニルをどうにかせんと」


「大丈夫ですか? 一度、馬の様子を見に行かれますか?」


「う、うむ」


じいちゃんは、慌て始めていた。


女将さんとの会話に集中できなくなっているし、外の様子が気になるようで、扉の方をチラチラ見ている。


この慌てよう……たぶん、今の今までスレイプニルの存在を忘れていたんだと思う。


さっきの僕と同じだ。


それだけじゃなくて、女将さんへ自分から話を振ったというのに、話を終えようとしていた。


「す、すまんが。これでの!」


「えっ?!」


「あ……いや早速、そ、そのロージュ? とやらに向かおうと思っての!」


……完全に間違えているし、急に態度が変わり過ぎて不審者だ。


女将さんの言葉に「前に置いてきた馬の事が気になります」と答えれば伝わるはずなのに。


そんなに忘れていたことを隠したいのかな。


どう振る舞ってもバレバレだというのに。


僕がそんなことを考えていると、じいちゃんに女将さんが話し掛けた。


「――えーっと、”ルー”ではなくて、”ロー”ジュですか?」


「……あ、いや――。そうじゃ、ルージュじゃ!」


「うふふふっ!」


女将さんは慌てるじいちゃんがおかしいのか口を抑えて笑っている。


恥ずかしい。


でも、怒らず笑ってくれて良かった。


ただ、変わった人っていうレッテルは貼られているだろうけど。


対して、自分の間違いに気が付いたじいちゃんは顔を真っ赤にしている。


「……ほ、ほれ! リズ、ゆくぞ!」


「う、うん……」


「ふふふ、お気をつけて」


僕らは女将さんのクスクスと笑う声をその背に受けながら宿屋を出ていった。

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