最終話
「よっ!若旦那 最終話」
堀川士朗
今月、若虎一座は浅草馬劇場での公演が決まった。
この劇場は関東大衆演劇界の高嶺の花で、全ての劇団が出たいと願っている存在だ。
呼ばれるのも至難の業だ。
人気劇団である事はもちろんの事、大衆演劇連合の寄り合いで当たりくじを当てなければならない。
若虎一座はもう三年あまり馬劇場に立てていなかった。
が、くじ運の強い雪町姐さんが見事上演権を引き当てた!
座員はみな大喜び。
雪町姐さんがもっと若ければダイナミックに胴上げされていただろう。
舞台も中日(半分)を過ぎた頃。
深夜二時。
舞台面で物音がする。
それに気づいた彦四郎が舞台に行く。
ガソリンの匂いがした。
猪七が立っていた。
舞台に油をまいて火をつけようとしている。
舞台にはフットライトの灯りだけがボワンと淡く光っていて、猪七を不気味に照らしている。
猪七がやって来た彦四郎に気づいた。
猪七は微笑んでいる。
「俺は頭がおかしいとされているナリ」
猪七の、追い詰められた小動物のような奇妙な声が舞台に響き渡る。
「そうだな」
「へーカプメンだとハムコプキンですよ」
「は?」
「つまり、へーカプライスはハムコップンですよ。でも周りの奴らには頭おかしいと思われたくないんだ。俺という人間を普通の人間として優しくぬいぐるみみたいに扱ってほしいんだナリ。それが出来なければここに火をつけてみんなみんなみィんな燃やしてやるナリ」
「それは無理だよ、だって猪七、お前は本番中急に奇声を上げたりして芝居を滅茶苦茶にしちまうじゃねえか。お前を常人であるかのように優しく扱う事は俺たちには出来ないんだ」
「……彦四郎さん。俺は奇人変人ですか?」
脇差しを持っている彦四郎と対峙しても、猪七は臆する事はなかった。
むしろ先ほどよりも更に激しく盛大にガソリンを舞台に撒き散らしていた。
彦四郎は表情を変えなかった。
「いや、違うな。奇人変人にはあたたかみがある。お前はもっと形にならないおぞましい何かだ。もうあれだ。もう勘弁ならねい。斬るよ」
「クビにするって事ですかい?
」
「いや、害毒だから文字通り斬る」
「どうせそれ竹光かジェラルミン刀でしょ?」
「さあな、本身かも知れねえ。なァに、斬ってみれば分かるよ」
彦四郎が刀を鞘から抜いた。
刀身はギラリと鈍い光を発している。
カチッカチッカチッ。
猪七は慌ててライターに火をつけようとしているが、シケているのか何度やってもつかない。
「ヒッ」
「あばよ、猪七」
「つつたっぽ!」
彦四郎の刀が猪七の顔面に無慈悲に振り下ろされた。
………………。
………。
…。
三日後。
昼公演が終わった。
この日の演目は、『花街の父』だった。
吾妻橋の中央に、芝居を終えて呆けた彦四郎と虎五郎がたたずんでいる。
二人は缶チューハイを手に、隅田川の川面を眺めている。
川面は穏やかに流れている。
やがて、アルコール成分を含んだため息混じりに虎五郎がつぶやく。
「大衆演劇は芝居の基本だ。大衆演劇は芝居の原点だ」
「ふーん」
「まだ大衆演劇が河原コ○キと呼ばれていた頃から、先祖代々俺たちはその地位を上げるために泥水すすって頑張ってきたんだ!」
「偉いね」
「マア……それでも俺たちにはふるさとがない。流れ流れの渡世の旅ガラスだ」
「ん?どしたの急に」
「でもな俺はな彦四郎、お前にな座長の跡目をな継がしてやってもな良いと思ってるんだ」
「……」
「最初は出戻りのお前なんかに何が出来るもんかって思ってたよ。でもお前は再びこの若虎一座を盛り立ててくれた。おまけにあんな美人なかなでまで引っ張り込んでな。ははは。お前には色気がある、華がある。俺には無い華が。そろそろお前も四代目虎五郎を襲名して……」
「良いよ。いらないよ。お父さんの代で一座を潰せば良いよ」
「そんっ!、なんっ?、お前っ、はうっ!、じいさんの代から百年続いてきた劇団若虎を潰す気かっ!」
「潰れる時は何やったって潰れる。会社と同じさ」
「なんっ、はうっ!」
「お父さんは」
「あんっ!、なうっ!」
「お父さんはあれだね、まるで落ち着きがないね」
「え?」
「きっとあれだね、人生の残りの時間が少ないから、焦って生きてんでしょ」
「そんな悲しい事言うなよ」
「あと二、三年で死ぬんじゃないの?」
「う、う……」
「泣いちゃうの?」
「うう……」
「泣けよ。泣けよバカ親父!あの時も病室で、母さんは俺の手を握って言った、あの人の事を許してあげてねって。でもあんたは女と芝居にかまけて一度も見舞いに来なかったな!だから俺は、あんたと芝居がいっぺんに嫌いになったんだよ!ばーか!あんたは最低だ!母さんが死んでも、俺たちの事をほっといて!あんたは最低だ!最低の父親だ!泣け!わめけ!」
「うう……うあ~んうあ~ん」
「あらら」
「うあ~んうあ~んうあ~ん!」
「あーあ」
「ごめんよ~彦四郎~つばさ~つばさ~ごめんよ~!うあ~んうあ~んうあ~ん!」
「まああのあれだ。泣くなよ、お父さん。今夜は銭湯で汗を流してからホッピー横丁の鐵(てっ)ちゃんへでも繰り出そう」
「……うん」
吾妻橋の空には早くも夕暮れが顔を出し、二人を優しく包んでいる。
彦四郎が虎五郎の肩にそっと手を置く。
かなでが、仲見世商店街で買い求めた御進物用の鈴カステラを持って二人を迎えに小走りでやって来た。
薄物の小紋の着物が夕暮れに照らされている。
かなでが彦四郎におどけて掛け声を掛ける。
「よっ!若旦那」
おしまい
(2022年6月執筆)
よっ!若旦那 堀川士朗 @shiro4646
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