第5話


 「よっ!若旦那 第五話」


          堀川士朗



今月は千葉県松戸のうたかた劇場に来ている。こじんまりとしたキャパの少ない小屋だが、歴史が古く、それだけ劇場固有の固定客も多い。

朝の楽屋挨拶回りが終わり、座員は各人各様メイクや衣装の支度を終えて後は本番を待つばかりだ。


幕が開く。

町人役の猪七がセリフの段取りを全く無視して何か言っている。


「面白い事がなくっても笑おう。一日中笑おう。あっはっは。つつたっぽ。つつたっぽ。へーカプライスはハムコップン。独りぼっちで一日中笑っていれば、ホラ、病院送り。あっはっは。つつたっぽ。つつたっぽ」


猪七は一人楽しげに笑っている。

呆気にとられる共演者。

奇妙な、あってはならない間が生じた。


「……何だいそれは?不気味だな」

「俺のポエムですナリよ。魂の」

「ああ、うん」

「あっはっは」


笑いながら舞台袖奥に消え、黒子を被り調光卓に向かう猪七。

次のシーンでは灯りの変化がある。


「何だいありゃあ。どうかしてるな」

「おぞけるねえ。アンタもあんな猪七なんか辞めさせちまえば良いのにさあ」

「でもまあ猪七しかまともに調光卓をいじれる人間がいないから仕方なかんべ」


かかあ役の雪町と、俵を担いだ人足姿の虎五郎がアドリブのギャグにして何とかその場を取り繕った。


袖に引っ込んで楽屋に戻ってきた虎五郎が急いで着物を脱いで襦袢一枚の姿になり、舞台のメイクを落としている。

落としたそばからあんパンを食べサイダーを飲み、


「ブホォッ( ; ゚Д゚)!」


と激しく盛大にむせてから、顔用ビンつけ油をワシャワシャ塗り、次の舞踊ショー向けの老けメイクにあわてて取り掛かっている。

彼の支度風景はいつもそうだ。

彦四郎はそれを見てニヤニヤしている。



その日は朝から不穏な空気が流れていた。

舞踊ショーが始まった。

踊りの順番は、


1 座長、虎五郎

2 副座長で花形の彦四郎

3 雪町と愛染の相舞踊

4 三太

5 飛吉

6 雪町

7 座長虎五郎と副座長彦四郎の相舞踊

8 座員全員によるグランドフィナーレ


だった。

四番手、子役の三太による『百円玉の旅息子』の踊り。

客席からは、


「あらまあ」

「かわいらしいねぇ。幼稚園児かい?」


などの黄色い声が聞こえる。

実際、三太は他の同年齢のこどもよりもからだがうんと小さく、顔立ちも優しいので幼く見える。

だが、中身は大人だ。

大衆演劇という厳しい大人の世界で生きてきたのだから、それは当然と言えた。


曲の一番と二番の間奏部分。

大衆演劇では暗黙のルールとなっているが、この間奏の時に客は踊り手におひねりを包む事になっている。マナーだ。

そうでないと踊りの手を邪魔してしまう事になるからだ。

三太が一番の踊りを終えて間奏となったところで、一人の女性が客席の一番前にやって来た。

三太におひねりを渡すのかとそこにいる誰もが思ったが、様子がおかしい。

何とあろう事か、嫌がる三太の腕を無理矢理引っ張り客席に降ろそうとしている!

女は、


「優作ちゃん!優作ちゃん!探したんだよ優作!やっと会えたね優作ー!」


と叫んでいた。

慌てて次の順番で舞台袖に控えていた飛吉によって女は押さえられ、劇場の外へと追い出された。

突然の闖入者(ちんにゅうしゃ)に場内は騒然となったが、それでもけなげな三太は最後まで踊りきった。

顔は怯えている。

袖に入った三太を愛染が強く抱き締めてさする。


公演が終わり、あの女性が楽屋を訪れた。

大変すまなそうに正座している。

身なりは良い。三十代半ばの痩せた女だ。

座員は楽屋に全員集まっている。

聞けば、女は三太の本当の母親で、先日放送されたテレビ番組の朝のバラエティー『キャロットタイム』で若虎一座が取り上げられた際に、幼い頃に捨てた我が子優作が映っていたのを観て、いてもたってもいられなかったらしい。


「優作ちゃん……。今までほっておいてごめんね……。私が本当のお母さんだよ。もう冷たくなんかしないから、お願いだから、お母さんのところに戻って来て。もう独りぼっちにはさせないから」


沈黙が流れた。

虎五郎が何かを言おうとする前に三太の口が激しく開いた。


「バカやろー。何が親だ!今の今までボクをほっておいて!今さら戻れるわけないだろ!帰れ!帰れバカやろー。このーろくでなし!このーバカやろー!ボクの名前は優作なんかじゃない、ボクの名前は三太だー!このみんなの家が、僕の家だ!帰れろくでなしー!」


三太の母親は罵られて泣きながら帰って行った。

愛染が強く浴衣姿の三太を抱き締める。

三太は泣きじゃくっている。


「三太、いいのかい?」

「あ、あい、愛染姐さん……ボクのお母さんになって!」

「三太……」


涙にむせぶ愛染。

三太は興奮気味に荒く呼吸し、先ほどの自らの怒りをこどもなりに反芻(はんすう)していた。

明日は舞台に立てないかもしれない。



休演日。

都内の墓地。

虎五郎と彦四郎の姿があった。

彦四郎の母、茜つばさの墓参り。親子二人、墓の前に立ち、墓に水を掛けている。


「つばさ。あいつは、あいつは若くして亡くなったが良い役者だったよ……。俺が惚れ込んでいたんだ。演技に。踊りに。芸に」

「そうだね」

「彦四郎……俺はお前に打ち明けたい事があるんだよ」

「良いよ。聞きたくないよ」

「そうか」

「線香は半分ずつにして上下逆にして置くと燃え残らないよ」

「うん……彦四郎、お前は何で大衆演劇に戻ってくれたんだ?」

「それが自分でもよく分からないんだ父さん。とにかく会社生活が嫌だった事は確かだよ」

「そうか。じゃあ何であの時一度大衆演劇を辞めちまったんだ?」

「それは……今は答えたくないよ父さん」

「そうか」

「うん」



           つづく


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