第3話


 「よっ!若旦那 第三話」


          堀川士朗



大衆演劇界では『センター』と呼ばれる地方の健康ランドでの、どさ回り公演がある。

劇団にとってセンター回りは劇場に比べてハズレの公演で、実入りも少ない。

馴染み客が来ず、一見さんばかりの客層でおひねりが飛ばないからだ。

今月の若虎一座は群馬県のラドンセンター回りだ。



朝の楽屋。

新入りの飛吉と子役の三太が朝の楽屋あいさつ回りをしている。

三太は八才で、よく芝居の中で彦四郎と愛染が演じる夫婦の息子役や娘役で活躍している。


「虎五郎太夫元、おはようございまあす。彦四郎副座長、おはようございまあす。雪町姐さん、おはようございまあす。猪七兄さん、おはようございまあす。愛染姐さん、おはようございまあす。皆さん、おはようございまあす。皆さん、よろしくお願いいたしまあす!」

「ん。おはよう。今日もよろしくな、飛吉、三太」


虎五郎は笑顔で接しているが、化粧や衣装支度でてんやわんやの殺気だった戦場になっている朝の、毎日の楽屋あいさつ回りはなかなかにウザったいものであり、いちいち時間を取られる。

心の中ではみんな、『いいから…』と思っている。


拍子木が鳴らされ、芝居の配役の口上が成され、開演となる。

この日の舞台の演目は人情渡世もの、『狐が呉れたる赤ん坊』。

後半には舞踊歌謡ショーもある。

センター備え付けのムームーを着たお客さんたちが若虎一座の悲喜劇に泣き笑いし、美味しい食事を取り会話をしながら満足そうに観劇している。

この日は昼公演のみで翌日の口立て稽古も終わったので、早めの夕飯を取る若虎一座の面々。

ご飯は楽屋で一番広い衣装部屋に集まって大きなちゃぶ台を出して、そこで取る。

食事の支度はいつも愛染がやっている。

配膳は飛吉の担当だが、よく各個人の箸と茶碗を間違えて出し、うるさい虎五郎に叱られている。

この日の食事は鯵の干物とホウレン草のお浸し、キャベツのお味噌汁、そして五穀米と納豆だ。

雪町姐さんの納豆にはネギを入れない。

そう指定してあるのだ。


「ネギも食えネギばばあ」。


虎五郎が嫌みたっぷりに言う。

顔は笑っている。


「嫌だよ。口が臭くなるから嫌なんだよ」

「元々臭えじゃねえか」

「何だい何だいその言い草は?シャクに触るねい。老人介護施設に片足つっこんだアンタに云われたかないよっ!」

「なにをっ!おめえだってそうじゃねいか、介護の施設の介護じゃねいかっ!」

「まあまあ雪町姐さんも」

「シャクに触るねい」

「まあまあ」

「ケッ。ネギばばあの肩ばかり持ちやがるな、みんな」


座員の誰もが知っている事だが、牛若虎五郎と雪町姐さんは昔恋人同士だった。


「太夫元はあれだね。毎日が独りくうーるぽこ状態だね。俺やっちまったなー状態だね」

「彦四郎どういう意味だ?」

「それに下品だよね。俺がこどもの頃に風の国のタウシカを観て感動してた時も、酒に酔って『ここはおっぱいの谷間よ』とか笑いながら言って、幼い俺の感動を台無しにしてくれたじゃないか」

「そんな昔の事は覚えちゃいねいよ」

「あ、そう」

「ああそれはそうと座長、ポンポンストマックがペインペインだから明日は大事を取って休ませてもらうナリよ」


猪七が、しゃべり相手の虎五郎の目も見ずに独り言のように言った。

座がそれだけで妙な空気に包まれる。


「またか猪七。今月二回目じゃねいか」

「そうかい」

「よく休めるなお前」

「奥で布団ひっかぶって寝させてもらうぜ。は~あ、食った食ったナリよ」

「……」

「どういうつもりなんだろうね全くアイツは。一座のお荷物だよ」


雪町姐さんがため息混じりに言う。


猪七は四十台半ばの元タクシー運転手で、いつも陰鬱そうな顔でブツブツ何かを言っている。

陰鬱そうな顔のまま舞台に立つので役者として全く人気がなく、下手くそでやる気のない躍りを舞踊ショーで踊ってもおひねりがなく、辛辣な客からは口ひどく野次られる始末。

今では舞踊ショーに出る事をやめ、もっぱらショーの時は照明を担当している。

明日のショーは猪七がいないので、照明機器の操作は他の人間がやらねばならず、照明のレベルが落ちてしまうだろう。



数日後。

雨がしとしと降っている。

この日は月に一度のセンターの定休日で、出し物も休演だ。

センターの職員が、お湯を抜いた空の大浴場や洗い場をデッキブラシでゴシゴシと洗っている。


子役の三太がだだっ広い宴席の長テーブルで、小2用の算数のドリルをやっている。

勉強が遅れている。

親代わりの愛染がそれを見てあげている。

しとしと降る雨。

ホールの窓を開けると湿度を含んだ美味しい風が入ってきた。

センターはひっそりと鎮まり返り静かだ。

三太は親に捨てられ、児童施設出身の身寄りのない子で、四才の時に子役を探していた虎五郎に引き取られた。

地方地方の旅公演が長く続く大衆演劇の子役は、ひとつに定まった学校に通えないので通信の学校でこうした自習で勉強するしかない。



その頃彦四郎は父、虎五郎とセンターの近くにある飲み屋で昼からチューハイを飲んでいた。

酔いが回り、また舌禍を起こす虎五郎。

酒を飲んでいる時にグラスを持つ虎五郎の小指がピンと立っていて、彦四郎はそれを見てニヤニヤしている。


「前々から疑問に思っていた事なんだが」

「ん?」

「なあ彦四郎、風俗の女ってのは何でカネに汚いんだろうな」

「そりゃお金でしかああいうところに勤めていないからであって、お客はただの金づるとしか考えてないからでしょ……て言うか父さん、七十過ぎてまだ風俗に通っているのかい?」

「良いじゃねいか。俺の自由だ。西川口のラムダちゃん。フフフ。カネには汚いが、かわいい女だぜ!男たるもの、いつまでも壮年期。老いて益々盛んって奴だ」

「色キ○ガイ」

「うるせえ」

「セクハラ」

「そんな現代みたくセクハラセクハラ言ってたら会話にならねいじゃねいかっ!」

「でも限度があるよ」

「うむう。とにかく俺は。性欲の牙をいつまでも抜かれないんだ!」

「世間じゃそれをヒヒジジイと呼ぶよ。……あのさあ、母さんに申し訳ないと思わないのかい?」

「……それはまああれだな」

「ん」

「なんだな」

「ん。なんだよ」



三太のドリルが終わった。

愛染があたたかいミルクと、おやつのチョコレートを三太に与える。


「三太」

「なに?」

「三太はお母さんがいなくて寂しくはないのかい?」

「もう覚えてないから」

「そう……」

「それに、僕は若虎一座のみんなが大好きだし、愛染姐さんがいるから平気だよ」

「そうかい」

「うん」

「……三太、今度また舞踊ショーで相舞踊を踊ろうか?」

「うん!勉強も終わったからあとで踊りの稽古しようね!」


愛染と三太はニッコリとほほえんだ。

ゆっくり、しとしとと雨が降っている。

センターに。



           つづく


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