第24話 「~したい」が使われるワケ

 本エッセイの第4話*で、主に社説において「~したい」という表現がたびたび使われているけれども、願望する行為の主体が何なのか不明確なので、私は違和感を覚える、という趣旨のことを書きました。

 * 第4話「『したい』って、だれが?」(2023年7月公開)


 その後も、社説でちょくちょく「~したい」を見かけることがありましたが、その都度指摘するのは繰り返しになるので、しませんでした。


 最近、「~したい」を複数個所で使っている社説が掲載された日の翌日に、まったく使っていない社説が出ました。読み比べてみると、なぜ「~したい」を使うのか、その理由が何となく分るような気がしました。もちろん、あくまでも私の推測です。

 以下、そのことについてご説明したいと思います。

 なお、「~したい」とはどういうことで、私がなぜ違和感を覚えるのかについては、第4話(900字弱)に書きましたので、必要に応じてそちらもお読みいただけると幸いです。


 まず、「~したい」を3か所で使っているのは、「能登半島地震」について取り上げた社説です(以下、社説Aと呼びます)。その部分を抜粋して次に示します。いずれも、カッコ付き番号と傍点は私が付しました。


(1)「全国の自治体には、過去の災害を通じて避難所運営などの経験を積んだ職員も多い。そうした人材が応援に入り、自治体と避難所の連絡調整などにあたるような体制づくりを。」


(2)「断水の影響も深刻だ。(中略)飲料水の配布や、給水車を使った水の補給を進め、不安を。」


(3)「高齢者らは、自力で重い水を運ぶのが難しい。災害弱者への目配りも忘れないように。」


 このように見ていくと、「~したい」は、「~すべきだ」の意味で使われているように思います。


 次に、上記社説が出た日の翌日の紙面に掲載された社説(以下、社説Bと呼びます)は、「岸田政権の課題」と題するもので、社説欄全部を使っています(通常は、社説欄の半分。したがって、1回で2つのテーマが取り上げられます)。

 通常より長い文章であるにもかかわらず、「~したい」が一度も使われていません。

 私はこの違いに、興味を持ちました。そして、なぜ「~したい」を使うのか推測し、2つの理由があるのではないかと思い至りました。


【推測1】「~すべきだ」の表現に変化を持たせたいが、種切れに……。

 一般的に言って文章を書く人は、同じような意味のことを表現する際、同じ言い回しを繰り返すと、読む人に、あるいは単調な印象を与える可能性があるため、表現に変化を持たせようとします。


 社説は多くの場合、まずテーマに関する事実を述べ、分析し、最後に「こうすべきだ」といった提言を示します。この最後の部分に関して、どのような言い回しを使っているでしょうか?

 社説Aについて、その部分を、出てきた順に番号を振りながら抜き出してみます。類似の表現は、同じ番号とします。傍点は私が付しました。

① ~を急がねばならない。

② ~も進める必要がある。

③ ~することが大切だ。

④ ~を発揮すべきだ。

① ~を急がねばならない。

⑤ ~することが大事だ。 ※③とほとんど同じですが、単語が一つ異なります。

⑥ ~を

⑦ ~してもらいたい。

⑥ ~を

⑥ ~ように


 こうしてみると、「~すべきだ」ということを、いろいろと言葉を変えて表現しようとしていることが読み取れます。「~したい」を除けば、複数回出てくるのは「~を急がねばならない」だけです。

 しかし、最後の方で言い回しが種切れになってしまった。それで、苦し紛れに「~したい」を3回も使ってしまった、というふうに、私には思えます。


 では、社説Bはどうでしょうか。

① ~ねばならない。

② ~に取り組む必要がある。

③ ~を主導すべきだ。

④ ~することが重要だ。

⑤ ~は最低限必要だろう。

⑥ ~するのも一案だ。

⑦ ~を忘れてはならない。

⑧ ~すべき時期に来ている。


 言い回しが一度も重複していないばかりか、表現が変化に富んでいます。「~したい」などという、あいまいな表現は使っていません。

 さすがと言うほかありません。テーマの重要性や文章の長さから見て、キャリアの長い、いわば主筆のような立場の方が書かれたのではないでしょうか?

 社説Aを書いた方は、こうした先輩の文章を読んで、参考にされたら良いと思います。


【推測2】行為の主体を曖昧なままにしたい。

 この推測は、推測1より想像の程度が大きいです。邪推といえるかもしれません。

 何か課題があって、それに対する解決策を考えたり、示したりする場合、「5W1H」が大切だと言われています。

 つまり、誰が、いつ、どこで、何を、なぜ(何のために)、どのように行うのか、ということです。

 もちろん、すべての提言について、常に5W1Hを明示する必要はありません。そんなことをしていたら、文章が非常に煩雑になるでしょう。

 社説のテーマや事実関係の記述から、「なぜ」「いつ」「どこで」は、いちいち明示しなくても分る場合が多いと思います。

 また、「何を」「どのように」は、提言の中身そのものです。

 そうすると、重要なのは「誰が」それを行うのか、ということになるでしょう。

 つまり、いくら立派な方策を提言しても、それを誰が行うべきなのか明示しなければ、実効性のある提言にはなりません。


 例えば、上に引用した社説Aの抜粋を見てみます。

 (1)では、「そうした人材が応援に入り、自治体と避難所の連絡調整などにあたるような体制づくりを。」と言っていますが、一体だれがそういう体制を作るのでしょうか? 政府のような気もしますが、ハッキリしません。


 (2)の「飲料水の配布や、給水車を使った水の補給を進め、不安を。」、(3)「災害弱者への目配りも忘れないように。」も同様です。むしろ、上記(1)よりもさらに、「誰が」、つまり対応策の推進主体になるべきものが不明確です。


 この点、社説Bでは、なすべき行為の主体は岸田政権であると、ハッキリしています。そのため、「~したい」を使う必要性、余地は小さいのかもしれません。


 テレビコマーシャルではありませんが、「あ! あったらいいな」と思った事を、ただ書き連ねただけでは、責任のある提言とは言えません。

 「~したい」は、その行為の主体を明示せずに済ませられる、使い勝手の良い言葉なのでしょう。

 やはり、使ってほしくありません。

 


 

 





 

 

 



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