第21話 テニヲハの乱れは続くどこまでも
最近、某全国新聞で、次のような文を見かけました。長期金利に関する日銀の政策再修正を取り上げた社説の中の一文です。
「植田総裁は、政策の狙いや効果を分かりやすく説明するとともに、悪影響にも丹念に目配りしてほしい。」
「植田総裁は」ではなく、「植田総裁には」とした方が良いのではないでしょうか?
もちろん、このままでも意味は十分通じます。
しかし、「植田総裁は」とすると、植田総裁が主語で、述語は「目配りしてほしい」ということになります。
つまり、植田総裁が目配りを欲している、という解釈も成り立つ余地が生じます。
「植田総裁は」を生かすなら、「目配りすべきだ」とすべきでしょう。
もっと簡単な文で考えてみます。
「岸田首相は、物価対策に力を入れてほしい」
よりも、
「岸田首相には、物価対策に力を入れてほしい」
の方が、分かりやすいはずです。
あるいは、
「岸田首相は、物価対策に力を入れるべきだ」
とすべきです。
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