愛ゆえに(3)

久遠さんは話し始めた。


「僕は、酷い人間なんです」

「えっ?」


僕は意外な言葉に思わず聞き返す。


「僕には、高校の時、好きな人がいました。たぶん初恋です。でも、その人を無理矢理、けがしてしまったんです」


僕は驚いて声を上げる。


久遠さんが?

誰かを……そんなことって……。


「驚きましたか?」

「はい……信じられません」


久遠さんは、言った。


「僕は、そういう人間なんです。失望しましたよね?」

「いいえ。久遠さんは、それを悔いている。ほら、それが証拠に今泣いているじゃないですか」


僕は、ハンカチを手渡す。

久遠さんは、お礼を言って、僕のハンカチを目に当てる。


込み上げてくるものを必死に抑えようとしているんだ。

そして、声を絞り出すように話を続ける。


「その人の名前は、ユヅキ」

「ユヅキ? もしかして……」


「そう、男です。仲の良い男友達でした」


僕は、少し驚いた。

でも、そうかもしれない。と心のどこかでそんな予感をしていた。


「ユヅキは、泣いていました。親友からそのような行為をされたのです。当たり前です。僕は、何度も謝りました。でも、その度にユズキは黙って首を振り僕を許そうとはしませんでした」


ユズキさんは、一体どのような気持ちだったのだろう?

親友からの突然の暴行。


人を許せないほどの怒り、悲しみ、悔しさ、恨み。

でも、それだけ?


もっと、違う感情があったのではないか?


僕がそんなことを考えている間に、久遠さんの話は先に進む。


「僕は、高校を卒業して大学に進学しました。そこで、妻に会いました。妻は、美しくて優しい人で、僕のつらかった高校時代の傷を癒してくれるのには十分でした。僕は彼女に夢中になりました。そして、大学を出るとすぐに結婚したのです。そして、ユヅキとのことは次第に過去の物になっていきました」


そこまで言うと、久遠さんは沈黙した。


僕は、頃合いを見て問いかける。


「その人が、フーカ君のお母さんですか?」

「そうです。直ぐに、フーカが生まれ、僕は幸せの絶頂でした。そんなある日、一通の手紙がきました。ユヅキからです。僕は戦慄しました。そこには、僕を好き、愛していたという告白が書かれていたのです」


そっか。

やっぱり……。


きっと、首を振ったのは、謝罪の言葉じゃなくて、愛している、の言葉が欲しかった。


そういうことだったんだ。


「忘れていた、いや忘れようとしていた思いが蘇ってきてしまった。僕は、無理矢理に彼を犯して、傷つけてしまったのに……。そして、僕もユヅキの事を愛している。その事を思い悩みつづけました」


久遠さんは、そんなつらかった日々でさえ懐かしむように目を細めた。


「ある日、そんな僕の様子を訝しんだ妻が、僕を問いただしました。僕は、正直に話しました。すると、妻は、悲しそうな顔をして、やっぱりそうだったのね、と言い残し家を出ていったのです。僕は、妻への申し訳ない気持ちでいっぱいになりました」


久遠さんは、うなだれた。

涙がぽつりと落ちる。


僕は理解した。

ユヅキさんを愛している。


すぐにでも、会って、愛を確かめ合いたい。

でも、奥さんへの謝罪の気持ちがそうはさせてくれないのだ。


優しい人……。

自分をずっと責めて生きている。


寂しくても、寂しくても、自分に鞭を打って……。



ああ。

可哀そう。


僕にできることはないだろうか?


たかだか高校生の僕だけど……。


雅樹、どうしよう?

やれることを精一杯やればいいよ、めぐむ。

きっと、そう言うだろう。


うん。

よし、やってみよう!


僕は、思い切って口に出す。



「僕は、奥さんはきっと、頑張って、という気持ちだったと思います。きっと、久遠さんを問いただした時には、すでに察していたのではないでしょうか?」

「どうして……」


「だって、フーカ君は、風花と書いて、ユヅキさん、って雪月って書くんじゃないですか?」

「えっと、その通りです。分かりますか?」


「はい。僕でも、分かりますよ。ふふふ。だから、奥さんもわかっていたはず。どうして風花という名前にしたんだろう。おかしいって。それで、ついになる名前を持った人が現れれば、ああ、そう言うことか、と思ったに違いありません」


「そうですね。浅はかでした。風花と名付けたのは……」

「いいえ。浅はかだなんて、そんなことありません! きっと、久遠さんの心のどこかではユヅキさんとの絆を失いたくなかった。そうですよね?」


僕の指摘に、久遠さんは素直に頷く。


「めぐむさんのおっしゃる通りです」

「だから、奥さんは知っていてケジメを付けたかった。たぶんそういう事だと思います。奥さんへの謝罪の気持ちと言うのであれば、これまで独りで仕事に子育てに頑張ってきたんです。もう十分ではないでしょうか?」


「本当に、十分だと思われますか? めぐむさん」

「ええ。十分だと思います」


久遠さんは、すがるような目を僕に向ける。


「めぐむさん、これを見てもらえますか?」


久遠さんは、引き出しから手紙の束を取り出すと、僕に見せた。


「こうやって時折、妻から手紙が来るのです。新しい家族を自慢するかのように……。手紙が来るのは、僕を恨んでいるのだと思います。『わたしを捨てたのを忘れてはいけない』って……」


久遠さんは、そう言うと顔を両手で覆った。


僕にはわかる。

自慢じゃない。ましてや恨みなんて違う。


「久遠さん、今の話を聞いて、僕は確信しました」

「えっ?」


久遠さんは、顔を上げた。


「別れた奥さんは、とうに久遠さんを許しています。そして、逆に、久遠さんとフーカ君の事を心配しているのだと思います」

「どうして……?」


「『自分は幸せになったから、今度はあなたの番』そう、伝えたいのではないでしょうか?」

「そっ、そんな……。まさか……」




間違いない。

これは、奥さんからの応援なんだ。

僕は、久遠さんの頭をそっと胸に抱く。


「良いんですよ、久遠さん。幸せになって」


僕は、優しく久遠さんの髪の毛を撫でる。

久遠さんは、気持ちの整理をしている。

だから、僕は黙ってそうしていた。




久遠さんが口を開いた。


「でも、たとえ妻が許してくれたとしても、ユヅキと、男同士で愛し合うなんて……」

「いいえ、おかしい事なんて無いですよ」


僕は即答する。


「えっ?」

「だって、僕もそうだから」


「めぐむさんも?」


久遠さんは、驚いた顔で僕を見る。

僕は優しく微笑む。


「はい。僕が付き合ってる人は、同級生の男の子です。僕達は、お互いに好きで好きでしょうがなくて。たまたま男同士だっただけなんです」


当たり前のことのように僕は答える。

僕は、なぜか誇らしい気持ちになっていた。


堂々と雅樹と僕との事を言える。

なんて、気持ちがいいんだ。


そんな僕を、久遠さんは眩しそうに見る。


「すごいですね。めぐむさん」

「そんな事はないです。正直に生きて行きたいって思っているだけです。あれ? 僕、ちょっと生意気でしたね。ははは」


久遠さんは、僕の笑顔につられて微笑む。


「いいえ、僕はずっと悩んでいたのに、もう乗り越えているなんて。尊敬します、めぐむさん」

「そんな、尊敬だなんて……」


僕は照れながら、ポケットからスマホを取り出した。

そして、スマホの画像を見せながら話す。


「これ、彼なんです。そして、横の子は僕」

「えっ? 女性?」


驚く久遠さんに、僕はにっこりとする。


「ふふふ。そうなんです。僕、実は女装するんですよ。外でデートするときは。可笑しいでしょ? ふふふ」

「そんな事ないです。可愛いです」


久遠さんは、尚もスマホの画像に見入っている。


「そう言ってもらえると嬉しいです。男同士だと確かに不便な点もあります。でも、こうやって工夫すればそんな不都合はないんです!」


ちょっと、興奮しちゃったかな。

しかも偉そうなことを言ってしまった。


でも、久遠さんには伝わったはず。

その証拠に、久遠さんの瞳には今までにはなかった光が映っている。


希望。


きっと、そうなんだ。

久遠さんは、改めて僕に問いかける。


「そうですね。僕は、ユヅキの事を愛して良いんですよね?」

「はい」


「めぐむさん、ありがとう。めぐむさんに相談できて本当に良かった」


久遠さんは、突然、僕にギュっときつく抱き付いた。


「めぐむさん、今だけは、このままでいさせてください。お願いします」


全身でありがとう。

そう言っているようだった。


「ねぇ、久遠さん」

「なんでしょうか? めぐむさん」


少し体が離れる。

僕は、その隙に、久遠さんの唇にキスをした。


愛しているのキスじゃない。


頑張ってね、のキス。

久遠さんもそれを分かっている。


だから、ありがとう、ってキスを受け入れてくれる。


長いキス。


んっ、んっ、んっ……。

はぁ、吐息が漏れる。


「めぐむさん。僕は、めぐむさんが好きになってしまいそうです」


久遠さんは、目がとろんとしている。

頬もほんのりと紅潮している。


きっと、久しぶりのキスだったんだ。


「クスッ、ダメですよ。ユヅキさんが待っています。浮気しちゃ!」

「ははは、そうでしたよね。すみません、めぐむさん。でも、今だけは、良いですよね?」


「ええ、良いです。でも、今だけですよ」


僕と久遠さんは、またキスの続きを始めた。




キスに夢中になっていると、目の前を見て、はっとした。

シャワーを出たユータとフーカ君が裸で立っていたのだ。


「あれ、どうしてパパとお兄ちゃんはチューしているの?」


そんなフーカ君の問いにも、久遠さんは落ちついて答える。


「それはね、パパがお兄ちゃんのこと、好きだからだよ」

「好きだったらチューするの?」


「ああ、そうだよ。『好き』だったら、キスをして気持ちを伝えるんだ」

「じゃあ、僕もユータ君にチューしたい!」


フーカ君は、拳を握り、口を尖らせる。

ユータは、フーカ君を見て恥ずかしそう僕に耳打ちする。


「ねぇ、めぐむ兄ちゃん、僕もフーカにチューしたい……」

「うん、ユータ。優しくね」


僕は、ユータの頭を撫でてあげる。

お許しが出て二人は、嬉しそうに抱き合う。


「フーカ!」

「ユータ君!」


チュッ、チュッ。


二人は、何度も何度もキスをする。

互いの『好き』を確かめ合うように……。



僕と久遠さんは、そんな二人を見て、クスっと笑った。


「めぐむさん、子供は純粋で素直で凄いですね」

「ええ。久遠さん、僕達も負けていられないですよ」


「はい」


僕と久遠さんも二人に負けないように、再びキスを始めた。

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