灯された炎
円都さんは落語が終わるとそのまま客席へ飛び降りた。学長さんの元へ駆け寄って慈しむように手を取る。両手でそっと握り返す。
「あなたが継いでくれたのね」
「はい。ワタシが橘ノ円都です。二代目の円都ですよ」
私は袖から二人の様子を眺めた。
学長さんに円都さんを会わせたい。お姉さんに出演を依頼したのはそんな理由もあった。あれはフリーペーパーを作った後のこと。あの日カフェで二人になった時、学長さんは当時の推しについてこう語っていた。
『二年後に亡くなってしまった』と。
その手がかりを元に調べてみると、初代の橘ノ円都に行きついた。私物である部室のレコードに名前を見つけて確信に変わる。好きだった人の名前を継いだ人がいる。だったら一目見たいはずだ。
だけど会えない理由があった。
「ありがとう。あなたたちが呼んでくれたのね」
「すみません。病気のことは調べました」
私たちは舞台へ出て謝った。
学長さんはある病気を患っている。そのせいで落語会に行けない。異変に気付いたのは、これもまたカフェでの時だ。席を立ち上がる一瞬、固まったあの違和感の正体。
「有馬学長はめっちゃ近いんですよね。おしっこ」
「バレちゃったわね。ほんまに困るんよもう」
なんて笑う。生徒には隠していたかったのだろう。先生たちに聞いて回ってようやく分かった。トイレが近い病気だと。本当に大変だと思う。
落語の途中で立ち上がるのも迷惑になるだろうし、尿意で集中力が欠ける。おそらく旅行にも行けてないはずだ。だからネタに仕掛けを入れた。学長さんは気付いたらしい。
「『
「観光シーンは彼女が書き加えてくれたんですよ」
お姉さんが代わりに答えてくれる。
落語で旅行に行った気分を味わってもらいたい。そこで本来はなかった旅の風景を追加。旅行のネタは他にもあったけれど、神戸なら有馬だろうと提案してみた。ネタを一席に絞ったのも学長さんのためだった。
初めての人でも手軽に見てもらう。その意図もあったけど一番は学長さんだ。だとしても、どちらも楽しめるようにネタを再構築した。
一番落語を見たい人がここにいる。だったらその人に笑顔を届けないと。生徒のことだけを考えている一人の女性に。
「でもなぜ声をかけてくれなかったんですか? ワタシならいつでも落語をやりに伺いますよ。どこでもできるのが落語のええとこなんですから」
お姉さんの言葉を学長さんは首を振って返す。
「だめよ。自分のためだけに呼ぶなんて」
「いいんですよ。自分のためでも。弱さを見せてもええんです」
その言葉は自分自身に対して言ったようにも聞こえた。
「ほんと言うと心が折れそうやったんです。襲名をしたところでお客さんは増えへん。この名前を継ぐに値する器やったんかって。ずっと暗闇を歩いてるようでした」
彼女は十八で落語を始めた。それから十二年。東京なら真打になっていてもおかしくない。上方は三年修行したらあとは自由。自分で目標を見つけて進むだけだ。
お姉さんは円都と言う名前を襲名できた。神戸の落語家である円都を。上方落語を復活に導いた影の立役者である大名跡を。だけどこれからどう頑張っていいのか分からなくなった。目標を見失っていた。
「そんな暗闇を彼女は照らしてくれたんです。初めて会った時、君は友達の笑顔のために冒険してたよね。ワタシ凄い感激したんよ。誰かの笑顔のために動く君に。自分が笑顔になりたくて動く君に」
お姉さんは私の手を握りしめてにっこり笑う。
「ワタシ神戸が好き。ここに生きる人らを笑顔にしたい。だからこの名前を継いだの。橘ノ円都になれてよかった。今日それを確信できた。生きる目標を思い出した。ありがとうね」
突然褒められたら困るし、照れる。
「どういたしまして。でも、お礼なら落エンの三人にも言うてください。私に生きる意味をくれたから。だから今ここにおれるんです」
お姉さんはみんなまとめてハグをした。感謝の雨を降らせた。
お客さんをお見送りするまでが落語家の仕事。そう言って学長さんの背中に手をそっと添える。長年の
こうして文化祭はハッピーエンドで終わった。
――いいや。始まってすらなかった。
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