狂い咲きの楽園
舞台袖から客席を覗く。空席はいつもより少なかった。
ひめちゃんたちが呼び込みをしてくれたおかげだ。どうやら若い女の子だとお客さんが増えるらしい。当日券が三枚も売れた。
みんなが頑張ってくれた。今度は私の番だ。円都さんが着替えている間に舞台を整えておく。座布団を返してめくりをめくる。仲入りが明ける。
賑やかな出囃子に送られて、円都さんは高座へと上がった。
客席の照明が落ちる。高座にスポットライトが当たる。黒を基調とした着物はいつもと雰囲気が違った。明るく朗らかな声でまくらを喋る。仲入り明けの緩んだ空気を結んでゆく。
私を殺す落語。その意味はまだ分からない。ただ、今から超ヤバいことが始まるのは分かる。円都さんの言葉は黒い手になる。噺の世界へずるずると引きずり込まれる。
――紫の羽織をはらりと脱ぐ。物語が始まる。
暗闇から瞼を開く。その落語は今までのどの景色とも違った。
ぱこーんと気持ちいい音がして、カラフルな血がインクのように飛び跳ねた。ブルーやらパープルがそこら中に吹き飛ぶ。物語はいきなり殺害現場から始まった。なりゆきで死体が一つ生まれちゃった。
生まれたのなら仕方ない。男は知恵を巡らせてペロリと舌を舐める。
さあそれからはこの死体、あちらこちらのたらい回し。あっちへこっちへ大冒険。悪逆非道のテーマパーク。偽装屋稼業は大忙し。
くるくるくるっと首を吊り、木々にぶらんとぶら下げる。あたかも自殺に見せかける。他人に罪をなすりつける。これには奥さん驚いて、相談したのは殺しの本人。
浴衣の死体を担いで騒いで、祭りの輪へと飛び込んだ。どんがらどんどん陽気な音頭が鳴り響く。踊りに紛れて死体をぽいっと捨て帰る。これには村人驚いて、相談したのは殺しの本人。
平兵衛ギラリと目を光らせる。
殴って殺して首をくくって踊らせて。しまいに山から突き落とされて。殺人偽装を繰り返す。優しさなんて一つもない。ヒトカケラだってありゃしない。あるのはたった一つだけ。狂い咲きの楽園だけだ。笑っちゃうほど死が雑すぎる。
狂気と笑いがせめぎ合う。ラインぎりぎりを攻め続ける。一歩踏み外せばちょっとだって笑えない。落語家にだって牙を向く。こいつはそんなバケモノだ。そんな『
笑いが腹をかき回し、狂気はぞくぞくと体を駆け巡る。
ビシビシと覚悟を感じる。自分の命をかけてもお客さんを喜ばせようとする。たとえ狂気に飲まれてもいい。恐ろしいまでの覇気に足が震える。息が止まりそうになる。笑い声は出る。
ムリだ。私にはムリだ。こんな覚悟はできない。
落語家になれるかも知れない。そんな浅はかな考えは完膚なきまでに叩き壊される。淡い期待ごと打ち砕かれる。言葉のハンマーで粉々にぶっ壊される。
――私の心から何かが死んだ。そしてまた生まれた。
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