裏側の世界

 円都さんの目は本気だった。本気で弟子になって欲しいと言われた。答えはすぐに出さなくていい。そうは言っても答えなんて出るのだろうか。


 私は一体どうしたいんだろう。将来何になりたいんだろう。自分の心と向き合いながらも、お茶子の指導が始まった。


「よく見といてね」


 円都さんは高座に上がって、お手本を見せてくれる。


 まず座布団をひっくり返して皺をのばす。次にめくりをめくる。そして舞台袖に静かに捌けて行く。次の演者さんへ気持ちよく繋ぐため、舞台を整える。それがお茶子さんの仕事だった。


「じゃあやってみて」

「はい」


 座布団の前で身をかがめる。裏返して四隅を整える。ふと顔を上げた瞬間、視界が一気に広がった。ずうっと二階席まで見渡せる。ここから見る笑顔は最高だろうなあと思う。円都さんが客席を指さして言う。


「ええ景色でしょ? 人を笑わせるのってほんまに気持ちええんよ」

「やっぱり?」

「そりゃもうね。そのために落語やってるもん」


 心の底から楽しそうに笑う。天職なんだろうなと思う。私にもそういう仕事が見つかれば。そのためには何でもやってみなくちゃ。まずはお茶子さんをやりきる。

 

 座布団を返すだけでなく、演目によっては道具を用意する必要がある。見台けんだい膝隠ひざかく小拍子こびょうしは上方だけの道具だ。これをまとめて抱え高座へ上がる。落とさないように慎重になる。ゼンマイ式のロボットみたいな動きになる。

 

「そんな真っ赤でかわいい顔やと目立つよ」

「す、すみませんっ」

 

 あくまでも主役は落語家さん。お茶子さんは目立ってはいけない。愛想は振りまかず黒子に徹する。落語家さんを影で支える。やっぱり私は裏方のほうが好きだ。


「それで、落語家になる決心はついた?」

「えっとそれは」


 私には裏方が向いている。だけど私にだって誰かを笑顔にしたい気持ちはある。たった一人で頑張っているお姉さんを支えてあげたい気持ちもある。でも表舞台には立てない。だったら断るべきなんだろうか。人生で二度とないような誘いを。


「そんなに悩んでるならさ、……いっそのこと殺してあげる」


 円都さんは音もなく私の前へと近づいてきた。迫力に気圧されて思わず一歩下がる。ごくりと唾を飲みこむ。私を見つめる瞳はらんらんと輝いていて、瞳孔の奥に狂気が覗いた。


「殺してあげる。ワタシの落語で」

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