最初で最後

 私の最後の高座。それはリビングだった。


 一番笑顔にしたい二人が目の前にいる。目を丸くして驚いてる。それもそのはず。突然、娘に「今から落語をやります」なんて言われたら、どういう心持ちで聴けばいいのか。私にも分からない。


 それでも二人は聴いてくれた。

 

 声はまだ出る。むしろいつもよりも出る。顔を見る余裕もある。頭も回る。「植木屋さん」と喋り始めた時から、私の作戦は既に始まっていた。二人を笑わすための。


 お酒を飲む。魚を食べる。もうこの時点でお父さんは笑っている。ここまでは作戦通り。さあこの先が本番だ。植木屋さんが我が家に帰る。奥さんが出迎えた。


 お母さんがふっと笑った。


 青菜は夫婦のドタバタ劇も楽しい。だったらこの夫婦、自分の両親でやればいい。お母さんの口調を真似る。お父さんの癖をコピーする。普段の何気ない会話を落語に取り入れる。


 青菜を二人の口に合わせる。


 いわゆる内輪ネタは、他の人にはつまらないかもしれない。それでもいい。今は二人を笑顔にしたい。それで私も笑顔になりたい。そんな私の笑顔を見せたい。


 私を産んでくれた二人を笑顔にしないでどうする。 


 親を笑顔にできなきゃ、これから私は誰も笑顔にできない。だから私の全部をかけて落語をやった。師匠に教えてもらったことの全てをぶつけた。


「――弁慶っ」


 物語はオチた。笑ってくれた。でもやっぱり泣かせちゃった。


「ほたる。ありがとうね」

「こちらこそ。産んでくれてありがとう。お母さん」

 

 安産祈願のお守りを握りしめる。私を産んでくれた時のお守りを。肩を揺らすお母さんの背中を、優しくて大きな手が撫でる。


「どこへ入門するか決めとるんか?」

「ううん。私は落語家にならへんよ。笑ってあげる側でいたいの」


 だって私は落語エンジョイ部だもの。今は落語をめいっぱい楽しむ。だけどいつか、誰かを笑顔にできる仕事をする。


 まだ花は咲きそうにない。でも芽生えたこの思いは、今日やっと蕾になった。庭では、お母さんが育てた向日葵が咲いていた。


 一輪だけ咲いていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る