いきなり本番!?

 風がそよいで過ごしやすい夏の午後。


 湊川みなとがわ公園はアパートから歩いてすぐの所にあった。神戸の寄席からも近い。公園というには広く、サッカースタジアムの敷地ぐらいはある。


 そのどでかい公園の一角にゴザを敷く。そこに座布団をぼふっと置いたら、即席の高座ができ上がった。師匠がオレンジ色の座布団を指さす。


「じゃあ初めからやってみて。青菜あおな

「へ?」


 言葉が理解できない。


 いや、できているけど飲みこめない。こんな人がいる場所で喋れというのだから。憩いにきた家族や、ほろ酔い気分のおじさんが、通りすぎては横目でちらっと見てくる。


 ダメだ。目が回ってきた。くらくらする。


「……やっぱり無理です」

「笑顔にするんでしょ?」

「でも」

「大丈夫、傍におるから。だから安心して砕け散れ、冒険者!」


 背中をバシッと叩かれる。冒険者と言われて心をぐっと持ち直す。もうこうなりゃ自棄だ。やけっぱちだ。ポケットの中のお守りを握りしめた後、意を決して最初の言葉を放った。


「植木屋さん、植木屋さん」


 言えた。でも声はかき消された。


 ただでさえ小さい私の声が雑踏に飲まれる。車の走行音、足音、喋り声、おじさんの鼻歌。負けじと声を出すがそもそも物語がおぼつかない。


 途中で言葉が詰まる。思い出しては喋る。


 笑顔にするどころじゃなかった。しっちゃかめっちゃか、てんてこまい。他人を気にする余裕もない。自分で精一杯なのに、人を笑わせるなんて到底無理だった。


 でもここで逃げたら終わる。逃げたくない。


 必死で喋った。結局、三十分かかったけどオチまで言い切った。師匠がすかさず褒めてくれる。水をくれる。


「よお頑張ったよ! 今度はもっと楽しんでやってみて!」

「はいっ!」


 心が燃え上がる。なんだかスポ根じみてきた。ボニータイラーが流れそうだなと思っていたら、そっちは関係ないと師匠に言われた。


 青菜、二回目。


 今度は少し余裕ができた。すらすらとは行かないまでも言葉は繋がる。滴り落ちる汗を手ぬぐいで拭う。徐々に足を止める人が出てくる。だけど最後までは聴いてくれない。


 声は出てきたと思う。でも全然笑ってくれない。


 何がダメなのだろう。やっぱり私が下手なのかな。こんなに面白いネタなのに一人も口角が上がらない。悔しくなって熱を込めると、お客さんの熱が冷めていくのが分かった。


 日が傾いてくる。


 もう限界に近かった。落語というのは想像以上に体力を使う。できてあと一回だった。ふいに、おでこに冷たいボトルが当たる。


「熱は引いた?」

「心の中はまだ」

「よし」


 師匠は燃える夕日を見つめて語る。熱血コーチのように語る。

 

 「いいか。相手のことを思い浮かべて、笑っている姿を想像するんだ。どうしたら笑顔になってくれるか考えろ。たった一人でもいい。君の言葉と仕草で景色を見せるんだ」


 師匠の言葉に力強く頷く。息を整える。行き交う人を眺める。

 私の見せたい景色を考える。笑顔になる姿を想像する。


 そうして私は一人のサラリーマンに狙いを定めた。

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