笑かし指南
お姉さんの部屋は狭いアパートでそれはもう汚かった。だからこそ燃えた。汚いほど綺麗にしたくなる。私の掃除魂に火が付く。ものの一時間で片を付けた。
彼女はパチパチと手を叩いて喜ぶ。
「おー凄い。綺麗になったね。いっそ弟子になって……」
「なりません。自分で片付けてください」
「ちぇ」
ちょっと不貞腐れる。それからすぐ笑顔になって「手を出して」と言った。私の手にぽんと乗せられたのは、扇子と手ぬぐいだった。
「あげるよ。プレゼント」
「いいんですか?」
「うん。これがないと始まらないもんね」
手ぬぐいはオレンジの柄で可愛い。扇子の方をぱらぱら開くと中は真っ白だった。お客さんの想像を膨らませるため、あえて何も描かれていないらしい。そんなちょっとした配慮が嬉しい。
でもなにより、人から貰うプレゼントほど嬉しいものはなかった。扇子と手ぬぐいを大事にそっと抱きしめた。
◇
座布団が二枚。フローリングに並ぶ。私服のまま向かい合わせで座ると、いよいよ稽古が始まる。
教えてもらう落語は『
お姉さんによると、青菜は夏の定番ネタらしい。さっぱりした夏の景色、美味しい料理とお酒、さらには夫婦のドタバタ劇と。見どころ満載のネタだそうだ。
お姉さん、
「首は振らんでええよ。正面向いて喋って」
「ええんですか?」
「今、向かい合って会話しとるでしょ? だったらその体でやればええんよ。大事なのは噺の中身やからね」
円都師匠の表情が変わった。
稽古は口移しで進んで行く。といってもちゅーするわけではない。師匠が途中までネタを喋る。それを私がそっくり真似る。これの繰り返しで最後まで進んで行く。
途中、お酒を飲むシーンがあった。私が飲酒できないこともあり、上手く真似できない。想像では伝わらないからと実際に師匠が飲む。
ぐびぐび飲む。煽るように飲む。飲みたいだけだなと思った。
稽古が終わったのは二時間ほど経った頃だった。たった十四分のネタを覚えるのに二時間かかった。まだ完全に覚えきれていない。改めて落語家さんの凄さを感じる。
「はひい……」
どっと疲れて床に突っ伏す。床板が冷たくて気持ちいい。
まだまだ元気そうな師匠は私を見下ろしてにんまり笑う。何やら荷物を持っている。そしてガキ大将みたいにイタズラっぽい笑みを浮かべた。
「夕涼みにさ、
「公園、ですか?」
「そう。ちょっと……散歩にね」
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