からっぽ電車

 幕が降りても熱がまだ抜けない。

 

 ポケットに手を入れた時だった。熱が一気に冷めた。あるはずのものがない。財布がない。あれには通学の定期券も入れてたはず。


 携帯を取り出す。電源がつかない。


「あ」


 ――どうしよう。帰れない。帰るすべがない。


 歩くとしても何時間かかるのだろう。飲み物ももうない。空腹感が一気に襲ってくる。ぞくぞく寒気がする。気持ち悪くて吐き気がする。胸が苦しい。死のうとした時よりも苦しい。


 私、本当の一人になっちゃった。


 とにかく寄席を出ないと。財布を探さないと。慌てて立ち上がると、鞄の荷物をぶちまけた。自分の全てを失ったみたいだった。


 床に落ちたおみくじが目に留まる。


 嘘つき。大吉なんかじゃなかった。最後がこれじゃあ全部だめだよ。怖いよ。一人は怖いよ……。


「助けて、お母さん」


 ふいに片方のポケットに手をつっこむ。朱色のお守りを手にした時、普通よりも分厚いと思った。中から紙の擦れる音がした。


 ぼろぼろ泣いた。


 ポケットから取り出したお守りには、安産祈願と書いてあった。


「私、まだ子供産まへんよお……」


 私は一人じゃなかった。

 お姉さんがそっと肩を貸してくれる。優しく声をかけてくれる。


「落語だって一人じゃ無理なんよ。一人じゃ完成せえへんの。だからさ、また笑いに来てよね。冒険者さん」


 ◇


 帰りの電車はがらんとしていた。一人だけの車両で足を投げ出して、暗い窓の外を見る。ぶるるっと鞄が揺れる。電話だ。


 バッテリーがゼロになったわけではなかった。開演前に電源を切ったのをすっかり忘れていた。


 携帯は振動し続ける。画面を見ると、きくりちゃんからだった。誰もいないのを確認する。どうしても今、声が聴きたかった。私は罪を犯してでも電話に出た。


「胸騒ぎがして」


 彼女の声を聞いた瞬間、心がほろほろ崩れた。

 財布を失くしたこと、それから自分の気持ちをぶちまけた。


「落語って一人で完結する究極の孤独やと思ってた。一人でなんでもできるって。でも違うの。私たちがおらんと完成せえへんの」


 ――笑ってくれる人がいて、落語は初めて完成する。


「だから安心して。本当の一人ぼっちなんてないから」


 今日の冒険は失敗だ。だって笑顔になって欲しかったのに、二人で泣いてちゃ意味ないよ。最後が笑顔じゃないなんて大失敗だよ。


 けれどおかげで、私にある気持ちが芽生えた。

 真っ暗な車窓に映る自分を見る。赤い目をした人に問いかける。


「ねえ、どうしたら……人を笑顔にできるかな」

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