戦場-寄席-

 私が寄席に入った頃には、もうニ番太鼓が鳴り始めていた。つまりは開演ギリギリだった。なのに客席はがらがら。二百人も入る場所に二十人しかしない。


 とにもかくにもチケットに印字された席を探す。


 私が冒険した席。それは前から五列目のど真ん中。いつもなら端っこを選ぶけど、今日は落語を正面から受け止めたい。そう思ってこの席を選んだ。


 額の汗を拭う。出囃子が鳴り始める。


 今日の落語会は『たった一人の独演会~旅する落語~』。たった一人にも惹かれたけど、副題にも惹かれた。どんな落語と出会えるのだろう。


 わくわくしている時だった。


 舞台に現れた落語家さんとばっちり目が合う。喉から声が出そうだった。だって今、目の前にいるのは、彼女は――


 神社で出会ったお姉さんなのだから。


 向こうは一瞬驚いた顔をしたが、すぐに仕事の顔に戻る。私も急いで妄想モードに入る。ここからが戦いなんだ。向こうの想像力と、こちらの妄想力をぶつけ合わせる。激しい波のように。


 ――ざざざ、ざぶん。ざっぱん。景色を変える。

 

 旅の始まりは足音から始まった。

 

 たたたたっと、韋駄天のように風を切って走る人が見える。

がっしりとした脚の飛脚が街道をひた走る。西宮、三ノ宮、舞子を一瞬で駆け抜ける。ただひたすら『明石』を目指して。


 飛脚は息をついて足を止める。そこにはがあった。


 ――あの時のの意味がようやく分かった。主人公と気持ちをリンクさせるために舞台へ足を運んだんだ。そう思うとこちらも熱が込み上げてきた。


 でもここまでは序の口。小手調べ。


 お姉さんは一度袖に引っ込むと、即座に着物を着替えて現れる。まくらもなしにいきなり落語を始める。休む暇もなく連続攻撃を浴びせられる。とんだ強敵だ。


 私だって負けてられない。脳をフル回転して喰らいつく。


 物語は船旅へと変わる。のんびりと揺れる船上の様子が伝わってくる。ちゃぷりちゃぷりと波が揺れる。水面が煌めく。深海から影が迫りくる。


 息もつかせぬ間に次は海へと潜った。澄んだ水底に珊瑚が咲く。熱帯魚が踊る。陽の光がぱあっと差し込んで、輝く竜宮城が見える。


 そして旅は空の上へ。雲海を突き抜ける。


 雷様たちが住まう雲海の都市には、賑やかな屋台が出ている。足元が雲でふわふわしている。でっかい月が頭のすぐ上にある。 


 もう頭が爆発しそうだった。


 目まぐるしく景色が変わっていく。私も落語家さんも、その場から一歩たりとも動いてないのに景色が変わる。旅をしてる。正面からだと言葉が今まで以上にするする入ってくる。


 見えないけれども分かった。寄席のボルテージが上がってる。たった二十人の客で二百人分を補ってる。今私たちは凄いものを見ている。


 やっぱり落語は凄い。いや、落語家さんが凄い。

 

 独演会は普通、一人ではやらないと聞いた。だけどお姉さんはやってのけた。出囃子もニ番太鼓もすべて録音されたものだった。本当にたった一人ですべてをやってのけた。橘ノ円都たちばなのえんとさんは。


 ――こうして私の冒険は、彼女に打ち負かされて終わった。


 終わるはずだった。

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