風にもマケズ
「助かったわ。ありがとうね」
私が助けたお姉さんは、からっとした夏のような人だった。
「明石へは旅行ですか?」
「いや、ちょっと仕事の下見にね。君は夏休み?」
「大学生です。あてのない冒険中です」
「青春してんねえ」
その人はその場で足踏をみして下駄をからころ鳴らした。それから、どうして冒険してるかと聞かれたので答えた。友達のためだと。
「じゃあその子に言っといて。一人は最高やってね」
その後、お礼にと自販機でサイダーを奢ってくれた。炭酸が弾けて喉が痛い。お姉さんはオレンジジュースをぐびりと飲むと、海の方を指さした。明石海峡大橋が見える。
「もう一つお礼。あの橋にはね、秘密の入口があるの」
「秘密の?」
お姉さんはよく通るいい声で言った。
「君はあそこに行っても、行かなくてもいい。さあどうする? 冒険者さん」
おみくじを見ると吉方は南東だった。橋のある方だった。
◇
「……やっと見つけた。秘密の扉」
それは明石海峡大橋の根元にあった。巨大などっしりとしたコンクリートのブロック。もう本当に大きい。見上げるとくらくらする。その支柱にぽつんと小さな扉がある。
私は銀の硬貨を三枚払い、扉をくぐった。
その先にあったエレベーターに乗り込む。私一人だけを乗せた鉄の箱はぐんぐん登って行く。そうして到着したのはとんでもない場所だった。
「……や、やばいってこれ」
風の唸り声が聞こえる。
海を渡る巨大な橋。その中には秘密の通路があった。水族館の海中トンネルみたいな筒が橋の中に通されている。困ったのはガラス張りじゃないこと。金網だから海風が吹きこんで足元が揺れる。
それだけじゃない。頭上は道路。車が走るたびに振動が伝わる。そして足元には大海原が揺らめている。ざぶりと波の音が聞こえる。
「こ、怖い。でも……ワクワクもするっ」
一歩一歩、歩みを進める。手すりを掴んでゆっくりと確実に。家族やグループが談笑しながら私を追い抜いて行く。そのたびに寂しさが込み上げてきた。
でもこの気持ちは一人だからこそ。寂しさだって楽しんでやる。何でも楽しめる落語と同じように。もう私は一人でも大丈夫なんだから。一人でも――
ガタンッと大きく揺れた。頭上でトラックが通ったみたい。
「やっぱ怖え」
怖すぎて笑いが込み上げてきた。
そういえば屋上から飛び降りようとした時は怖くなかった。ただ苦しいだけだった。胸に手を当ててみる。今は生きたいって心が叫んでた。
生きてこの先の景色を見るんだ。自分の目で。
そう決めてまた足を踏み出す。そうして遂に終着点に辿り着いた。
「――うわ」
でっかい夕日があった。
金色の小さな光の粒が海面できらめいている。水平線の向こうには入道雲。ブルーとオレンジのグラデーションが幻想的だった。その光景を携帯に収めて届ける。
「ここまで来たよ。一人で来れたよ」
しばらくするとメッセージではなく電話が鳴った。
「きくりちゃん、どうしたん?」
「凄すぎてっ、電話したくてっ」
興奮した声だった。私も興奮して早口になる。
「あのね、風と揺れが凄かったの! めっちゃ怖かったけど、一人やからこそ見えた景色もあって――」
遠くから汽笛が聞こえる。海を渡る船がぽつんと見える。
まだ私の冒険は終わっていない。落語が寄席で待ってる。
『旅する落語』が待っている。
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