逆転する物語

 姫路の大通りにはいくつものアーケードが横に伸びている。その中の一つに会場の『七福座しちふくざ』はあった。


 ここもやっぱり狭い。五十人も入らないほど小さい。でもそれがよかった。距離が近いほど言葉や仕草に集中できる。高座と客席が溶けあって行く。固めのパイプ椅子と私のお尻も馴染んできた。


 どんどん太鼓が鳴るとワクワクも高まってくる。


「始まるね」

「うん。楽しみ」


 短く言葉を交わす。集中する。今だけは考え事をすべて消し去る。言葉一つ一つを捉えて情報の雨を降らせる。そうして会場すべてを飲み込めば、もう目の前は違う景色に変わっている。


 ――ごぼり。ごぼごぼ。どっぷん。


 『皿屋敷』がくる。


 じっとりと熱い夏の夜。街灯のない真っ暗闇。りりりりと心地よい鳴き声がする。雲に隠れていた月が顔を出すと、柔らかな明かりが地面を撫でるように照らしだす。

 

 石造りの井戸があった。


 まだ彼女のいない静かな井戸。その静けさと相反するように、辺りはがやがやと賑やかだった。一人、二人、三人、たくさん。ざくざくと踏みしめる音がいくつも聞こえる。


 そこは夏の熱さとは違う、また別の熱気に満たされていた。


 何かが始まる。そう思った瞬間、青白い火の玉がぼぼぼっと燃え上がった。一つ、二つ、三つ、たくさん。花火のように辺りを青白く照らす。周囲の人々の熱気はさらに増す。


 井戸の底からずずずずっと湧き上がる感覚がする。瞬間、バッとせり上がるように白い物が跳ねた。青白いバックライトに照らされたそれは、思いきり腕を広げてこう言った。


「みんな~おまたせっ!」


 ぴっかぴかの笑顔だった。怨みなんて微塵もない。愛嬌だってふりまいちゃう。とびきりの可愛いアイドルがいた。お菊ちゃんがいた。


 井戸は彼女のステージに変わり、歌うように皿を数える。


 一枚、二枚、三枚、白い皿を観客に投げる。それがライトで青く光る。彼女はあいもかわらず、九枚数えると人を殺せちゃう。皆それは分かっていた。それもひっくるめて楽しんでいた。


 誰もが今を楽しんでいる。痛みなんてこの世界にはなかった。ただ笑いだけがあった。彼女は今ここで笑って生きている。生きているのだ。

 

 物語は逆転した。悲劇から喜劇へと。


 ――拍手の音で意識が戻ってくる。いつもと同じように心がぽかぽかしてる。楽しくて嬉しかった。救われたような気がして嬉しかった。ふいっと隣を見るとまたまた目が合う。


 それはもう、ぴっかぴかの笑顔だった。彼女は頬をつたう涙をぺろりと舐める。そして一言「良かったね」とだけ言った。


 お菊ちゃんの苦しみは死んだ。今日で本当に死んだ。

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