ただいま

 三両編成の電車ががたりと止まった。

 駅を降りると、でっぷりした銀の時計塔が正面に見える。天文科学館。あれを見ると帰ってきたって感じがする。小高いホームからは自分の家も見えた。ほんのりと明かりが灯っていた。

 

 風に乗ってスパイスの香りがする。もう空もカレー色だった。


 いつもよりゆっくり歩いて、ようやく家の前に着く。少し躊躇ってからドアを開ける。玄関に一歩踏み込んだ時だった。いきなり抱きしめられた。泣いている母のエプロンに玉ねぎの皮が付いていた。


「ど、どうしたん?」

「帰ってきてくれてありがとう。ほたる」

「そ、そんな大げさな」

「嬉しいんよ。ほたるが帰ってきてくれただけで嬉しい」


 母の心臓の音が聞こえる。どくどくしてた。


「なんか急に胸騒ぎがしだして。電話してもでえへんし、学校に連絡してもおらへんし。そしたら悪い想像がどんどん湧いてきて……」


 母は鼻を啜りながら続ける。


「ごめんね。ずっと大丈夫じゃなかったよね」


 母の口癖は「大丈夫?」だった。私はそれに「大丈夫だよ」と返すのが口癖になっていた。悪いのは私の方。「大丈夫じゃない」と一度でも言えなかった私が悪かった。


「ありがとう。でも今日はほんまに大丈夫。私、初めて部活に入ったの。いっぱいいっぱい笑ったの。自分を好きになれたの。それでね」

 

 言いかけてぐうとお腹が鳴った。二人で笑う。


「食べながらいっぱい聞かせてね。ほたる」


 食卓に行くと誕生日でもないのにホールケーキが置いてあった。

 父が買ってきたらしい。口元にクリームが付いていた。

 

「はふう」 


 湯船に張ったたっぷりのお湯につかると、お湯が溢れる。

 

 のんきに浮かぶアヒルをつつく。この子の物語を創ってみる。色んな妄想を膨らませて遊ぶ。お風呂に笑いが溶けだして行く。湯舟がレモン色に変わっていくような気がした。

 

 長い一日が終わる。私は今日を生きれた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る