ほたるの開花
それは落語が始まった時だった。
不思議なことが起きた。
一つ一つの言葉が雨になって降り注いでくる。足元でぽちゃんと跳ねると、セリフが足元を浸す。みるみる貯まる。ついには会場ごとざぶりと飲み込まれる。ごぼり。ごぼごぼ。どぷん。
――想像が止まらない。だめだ、溺れる。景色が変わる……。
そう、あれは古びた宿屋の二階。切れそうな薄い着物を着ている老人がいる。僅かな明かりの中で竹細工を拵えており、シュッシュッと器用な手つきで竹を捌く。使い込まれた道具が鈍く光る。皺のあるしっかりした職人の手に力が籠る。
作り上げたのは竹の水仙。繊細で壊れそうな造花。
たっぷりと水の張った桶にそっと浮かべる。小さな波紋がゆっくり広がる。寝静まった軒先でぷかりと浮かんでる。
空は白みだす。じんわりと夜が明けてゆく。まだ閉じた花の蕾に朝の陽射しがさあっ……と射す。蕾は身震いする。竹がしなる。
咲いた。「ぱちっ」と強烈な音を立てて咲いた。完璧に咲いたっ。
――ぷはっ。はあはあ。なに今の感覚。
息を整える。うららさんが小声でぽそっと言う。
「ほたるんも開花したみたいやね」
「さっきのは?」
「あれは落語トランス。さあもう一席あるよ。潜る準備をして」
すぐに次の落語家さんが物語を紡ぎだす。耳に覚えがあった。
――これ、この話は部室の前で聴いた冷蔵庫の。
でもそれは明らかに違った。見える景色が格段に違う。プリンの柔らかさも色も伝わる。冷蔵庫の作りも分かる。キャラクターたちが活き活きと暴れ出す。頭の中で創られた世界が楽しくて笑う。
すべてを忘れて目の前に集中した。それは言葉を掬うため。一言だって逃さない。逃がしたくない。表情を見る。仕草を見る。入る、ゾーンに入る。
画面越しじゃない。今、目の前に別の世界がある。
やばい。こんな小さな箱の中で無限の世界が広がってる。
これが生の落語の魔力。こんなの知ったらもう――。
◇
しばらく私はぽーっとしていた。分かるのは落語が終わったこと。心がぽかぽかすること。隣の二人にほっぺをつんつんされてること。
「ほたるん、元気になった?」
「へ?」
「なんか辛そうやったらからさ。ちょっとでも笑って欲しくて」
嬉しかった。と同時に自然と言葉が溢れていた。
「私、自分が嫌いなんです。周りの目を気にして、すぐ被害妄想に陥って。悪いことばっかり想像してしまって……」
「でもそれ、長所に変えれたやん」
「長所?」
「だって今日笑えたのは、ほたるんの想像力があったから。落語の凄いとこはね、自分が想像した世界で笑うこと。それって凄くない?」
コンプレックスのおかげで笑えた――。
私ずっと自分を傷つけて目を背けて……ごめんね、今までの私。
私もっと自分を好きになりたい。落語を知りたい。だから。
「私も入部してええですか?」
「もちろん。じゃあ改めまして、ようこそ落エンへ!」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます