第7話 乙女の尊厳の行方は

 『ブゥン』という音と共に、景色が霧散していく。

 そこは街中などではなく、レヴィエムの大工房内の大広間だった。


 群衆も、怪人も、黒タイツも、そして赤子もいない。

 いるのは、大小様々なオートマタのみ。



 最終試練は、遺跡の機能とオートマタによる、『仮想神代』で行われていたのだ。


 遺跡が姿を取り戻し、アリアが鎖から解放される。



「あぁぁぁぅっ」


 ――バシャンッ!



 支えを失ったアリアは、自らが作り上げた大きな金色の水溜まりの中に崩れ落ちた。

 シャイニーティアの白いニーハイソックスが、太もも部分まで黄色く染まっていく。



(出ちゃった……! 全部っ……出ちゃった……!)



 本物ではない仮装の世界、住民も敵も、皆意志を持たぬオートマタ。

 本当は、誰にも見られてはいない。



(我慢っ……できなかったっ……!!)



 だがそれでも、『お漏らし』という結果は、13歳の少女の心を容赦なく抉った。

 そもそもアリアがこれで安堵できるような娘なら、最初の試練が始まる前に部屋の隅で済ませている。



「うっ……ぐずっ……えぐっ……ああぁぁぁっ……ひぐっ……うあぁぁぁっ……」



『最終試練を突破しました』


 さめざめと泣くアリアに、天から無機質な声が届く。


 突破だ。

 あの何のいいところもなく、ただ尿意に悶え、挙句の果てに惨めに漏らしただけのアリアは、最後の試練を突破していた。



「ずっ……何で……あっ」



 最終試練のテーマは『献身』。

 赤ん坊を人質に取られ、動きを止めたことが『献身』と見られたのだろうか。



『エクエス・レヴィエムのプログラムの結果、全ての試験は突破と判定』



 床の一部が開き、そこから何かの台座が現れる。

 台座の上には、羽の装飾がついたハートの首飾りが置かれていた。



『条件を満たしました。『聖涙布シャイニーティア』の所有権を挑戦者に譲渡。本登録を開始します』



 首飾りは小さな光の球に姿を変え、呆然とへたり込むアリアの下腹――ここまで酷使し続けた膀胱に吸い込まれていく。



「んっ、んん……っ」



 痛みはないが、むず痒い感覚に、アリアの口から声が漏れ出る。


 そして――





 ――ドクンッ!





 最後に一度、強く鳴動した。




「ああぁっ!!?」





 ジョロロロロロロ……。



 衝撃はまだ膀胱内に残っていた小水を掻き回し、既に力を失った括約筋はあっさりと尿道を明け渡した。



「なんなのよ……ぐずっ……私……こんなもの……うぅっ……トイレに行きたかっただけなのにっ!!」



 再びの屈辱的な感触が、アリアの心を引き戻す。

 理不尽に対する当然の怒り。

 だが作られた頭脳である遺跡AIは、淡々と自分の仕事を進める。



『シャイニーティアの譲渡完了。全ての作業が完了しました。挑戦者を送還します』


「えっ」



 アリアの体が、おそらく本日最後の光に包まれる。


 このエリアからの脱出。

 それは、先ほどまで、アリアが切に待ち望んでいたものだった。


 だが――



「待ってっ! 待って、待ってっ! これ、どうやって脱ぐのっ!? 私の服はっ!? それにっ、私、拭かないとっ!!」



 今のアリアは、水着やインナー同然に体を露出させ、下半身は自身が漏らした液体でぐっしょりと濡れている。

 もし戻された場所で、まだアリアを探している者がいたとしたら……。



「ダメダメダメダメっ!! ダメええええええええええっっ!!!」


『送還開始』




 ◆◆




 最低限の照明で照らされた、薄暗い廊下。

 内装は先ほどまでいた部屋と同じだが、どこか埃っぽく、カビ臭い。

 何より、壁も床もあちこちがひび割れ、廃墟の様相を呈している。



 アリアは遺跡エリアに戻ってきた。






「あ、あ、あ……!」



 周囲を見渡す。

 そこでは、10人程の傭兵と思しき者達が、何かを必死に探していた。

 まだ、誰もアリアには気付いていない。


 だが――






 ――ポトッ。


「っっっ!!?!?」



 レオタードの股から零れた水滴が床に落ち、小さな、小さな音を立てる。

 小さな、だが静寂に包まれた遺跡内で、神経を尖らせる彼らの視線を集めるには、十分な音を。


 アリアの足が動いたのは、乙女の本能によるものだろうか。

 間一髪、視線がそのあられも無い姿を捉える前に、アリアはその場から逃げ出した。



「いたぞっ! こっちだ!」


「どうして逃げるのっ!? てか、速っ!?」


「我々は、ギルドの傭兵ですっ! 貴女の救助に来ましたっ!」



 それは、アリアもわかっている。

 だが他人に、しかも大半が男性の彼らに、こんな姿を見せるわけには行かない。



(ごめんなさいっ! ごめんなさいっっ!!)


「大丈夫っ! 大丈夫だからっ! ぜぇっ、ぜぇっ、止まってっ!」


「わかってますっ! わかってますけどっ!」


 だから逃げる、一目散に。



「今はっ、来ないでっ! 一人にして下さいっ! お願いっ!!」



 全ては、乙女の尊厳が砕け散ったことを、せめて誰にも知られない為に。





「来ないでえええええええええええええっっ!!!」




 アリアと傭兵達の鬼ごっこは、その後アリアが解除方法に気付くまで、30分に渡り続いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る