第5話 第三の試練『献身』

 エクエス・レヴィエムの試練の間は、本当に明るく清潔だ。


 先史文明の照明の光量は現代の最高水準に匹敵し、室内の隅々までを明るく照らす。

 一目で高価とわかる大理石の床の上には、これまた上等な真っ赤な絨毯が敷かれている。

 象牙色の壁は金細工で豪華に飾られ、本当にどこかの宮殿の一室の広間のようだ。


 それは、建造物として眺める分にはとても心惹かれる物なのだが、ある一つの行為に対して、遺跡やダンジョンの類としては非常識な程に大きな抵抗を生むことになる。




 ――野ションが、し辛いのだ。



 特に羞恥心の強い女性なら、今にも限界を超えようとしていても、下着を下ろすことを躊躇うくらいに。

 そして、そんな女性達に輪をかけて排泄に対する羞恥心の強いアリアは、その選択肢を頭に浮かべることすらなかった。




『第二の試練を突破しました。最終試練を――』


「やるっ!! やるわっ!! やるから早くううぅぅぅっっ!!!」



 天の言葉を遮って、アリアが叫ぶ。


『なんで?』『酷い』『私が何をしたって言うの?』


 恨み言ならいくらでも出てくるが、アリアにそれを口にしている余裕はない。



『一秒でも早くトイレに』



 残された僅かな時間をそれ以外に割いてしまえば、アリアを待っているのは金色の悲劇だ。



『最終試練を――』


「ああああぁぁっ!!? 早くううううぅぅぅっっ!!!」



 もう飽きるほど見た光がアリアを包む。

 トイレに駆け込もうとした子鹿の様な姿勢のまま、アリアの最後の試練が始まった。



『『献身』の試練を開始します』




 ◆◆




"体内環境、精神状態の解析完了"


"最終試練構築完了"


"挑戦者の疑似登録完了"



 ――ShinyTear,standby.




 ◆




 アリアの目の前に広がる異境の都市。

 建築様式も、道ゆく人々の服装も、何もかもが未知の光景。

 唯一、学園の制服と似た服を着た若者達の存在が、自分達の世界とのつながりを感じさせた。



 ――神代。



 アリアはこれまた知る由もなかったが、ここはアリア達が『神代』と呼ぶ、電気と化学の時代の街並みだった。






(トイレっ!! トイレえええぇぇっっ!!!)


 ジョロッ、ジョロロッ!


「ああぁああぁぁっっ!!? ト、トイレぇぇ……!」




 勿論、アリアにその光景に見惚れる余裕はない。


 括約筋は力を失う寸前。

 膀胱はパンパンで、もう一滴の隙間もない。


 アリアの尿意は、既に我慢の限界を超えている。

 いつ出口が開き、足元を水浸しにしてしまってもおかしくない状態だ。



 ジュィィィッ!


「んんんんっっ!!? あ、あ、あっ、あっ!?」


(もうダメっ! 出るっ! トイレっ! お願いっ、トイレっ!! はっ!!?)


 必死に辺りを見回すアリアの目が、『それ』を捉えた。

 見慣れぬ風景の中にあって、とても見慣れた、丸と三角で出来た真っ赤なマーク。


 今、アリアが最も求めている場所。




「あぁっ!! トイレええええええええええええっっ!!!」



 絶叫が、響き渡った。


 両手で出口を抑え、中腰のままバタバタと、トイレへ向けて駆け出すアリア。

 その軌跡には、まるで道標の様に、ポタポタと水滴が落ちている。



(も、漏れちゃうっ! 全部っ、全部、漏れちゃうっ!!)



 トイレに人は並んでいない。

 辿り着けば、この満タンになった膀胱を空にできる。

 今度こそ、本当に最後の我慢。


 死ぬ思いで括約筋を締め上げ、トイレまでの道を駆け抜ける。




 そして、そんなアリアに――最後の『試練』が、立ち塞がった。






 ――ドオオオオオオオンッッ!!






 轟音と爆煙。

 アリアの行手を遮る様に、異様な集団が姿を現す。


 黒い全身タイツで頭まで覆った、50人にも及ぶ不気味な男達。

 そして3mは超えるであろう、人型だが、人でも魔獣でも邪神でもない異形。


 全身紫色で、肌は硬質化しているのか光沢がある。

 そして肩と一体化した頭部は、肉塊に目と口が付いたグロテスクな見た目をしていた。


 異形は周囲を見渡し、その口が笑みを作る。



「聞け、人間共よっ! この公園は我々、秘密結社『ブラックタランチュラ』が乗っ取ったっ! 逆らう者は皆殺しにする! お前らっ! やってしまえっ!!」


「「「「ギィー!」」」」


「「「ギィー!」」」


「「「「「ギィー!」」」」」



 異形が、その見た目からは考えられない程に流暢な人語を繰り出す。

 逆に全身タイツ達は言葉が話せないのか、鳴き声のような叫びを上げて手近な人々を襲い出した。

 一気に狂騒に包まれる、神代の公園。


 そんな中、アリアは出口を抑えた姿勢のまま、ただ固まっていた。



(何でっ!? どうしてっ!? 何でいつも邪魔するのっ!? 私はトイレに……おしっこがしたいだけなのにっ!!)



 あまりにも理不尽な運命。

 それはアリアの思考に、ほんの少しだけ、尿意以外の感情を差し込む。



「何で、みんな……っ」






「私を虐めるのよおおおおっっ!!!」



 怒りが、弾けた。





 ――ShinyTear,wake up.

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