「さぁそれじゃあまずどの教科からやりましょう? 中間テスト対策ってことでいいんですよね?」

 駅前のファミレスに入ってドリンクバーを頼み終えた瞬間、ミネギシさんはあたしをバイトに誘った時みたいに両手を胸の前で合わせると、パンっと小気味良い音が店内に響いた。テンションはどんどん高くなっていってるっぽい。

「あ、はい。でもその前にドリンク取り行かなくていいの?」

「え、どういうことですか」

 あぁ、本当に知らないんだ。まぁ来たことなかったらそうなるよね。どういうものなのか簡単に説明すると、ほうほうと言いながらミネギシさんはメモを取っていた。ドリンクバーコーナーの前でそれは流石に恥ずかしいからやめてほしい。周りから変な目で見られてるじゃん。

「いやぁ、貴重な体験でした。ありがとうございます」

「うん、あたしもビックリしたよ。ドリンクバー初めての人の行動ってああなるんだなって」

「これからは毎日ドリンクバーですね」

 毎日は流石に出費が嵩むんだけど……え、もしかしてそれも見越してバイトやらされてたのかなあたし。まだまだミネギシさんの本性が見えてこない。

 話している間もミネギシさんは自分の教科書やらノートやらを広げてた。あ、そういやあたしシャーペン以外今日なんにも持ってきてないや。

「それじゃあ改めて、どこから取り掛かりましょうか」

「か、簡単な所からお願いします……」

 そう言うと、ミネギシさんは世界史の教科書を開き、あたしが持っていないのを察すると向かいの席から隣に来て、教科書を見せてくれた。

「では世界史から。暗記系の教科は一先ずテスト範囲になると思われる所を覚えるだけでよいので簡単です。何せ答えがそのまま教科書に書いているわけですから。授業で教わらなくても出来てしまいます」

「え、いやこれ全部は無理……」

 大丈夫とあたしを遮ってミネギシさんは笑う。いや、本当に出来ないんだって。怠い怠いって言ってこの辺は一ミリも授業聞いてなかったし、ジャンヌダルクってバンドいたなぁってくらいだから。後ダヴィンチとスフィンクス。マジで。

「……そうですね、先ずは勉強のやり方からお教えした方がよさそうです。恒光さん、いちたすいちは幾つになりますか」

「え、そりゃ二だろうけどさ」

 え、ミネギシさん教科書閉じちゃったけど、どういうことなの。それじゃあ漢字で海、山、川を書いてみてください、と開いたノートの白紙部分を開いて指を指す。あたしは言われるままそこに漢字を書いた。

「書いたけど」

「はい。よく出来ました」

 え、どゆこと。あたしがどこの学年でやった授業で置いていかれたのかを確認する作業かな。ミネギシさんは笑顔だし。やだ怖い。この人の笑顔は怖い。こんな人初めて。

「恒光さんは、出来るんですよ。ただやらなかっただけで、足し算も、きっと引き算だって掛け算だって割り算だって出来るはずです」

「いや、そりゃ簡単なのは出来るけどさ。今やってるのってめちゃ難しいじゃん? 覚えるのも一杯あるし」

「もちろん、直ぐには出来ません。ただ、出来るまでやってみましたか? わからなくて、教えてもらっても出来なくて、これは自分には出来ないと諦めてしまったんじゃないですか」

 そりゃ、だって怠いし。優しい口調だけど今あたしすっごい怒られてる気がする。でもなんだろ、怒られ慣れてる筈なのに、なんかすごいへこむ。

「どんな天才も、最初から全てを出来た人はいません。少しずつ簡単なものから出来るようにしていって、そして難しいものにチャレンジしていく。恒光さんはそれに気付けず、誰にも教われずにいたから、今はまだ出来ないだけなんです」

 コップを触っていた手があたしの手に触れる。なんだかむずむずする。

「一つずつチャレンジして、出来たぞって思うことが大事なんだと私は思います。もしもいきなり全部を覚えられないなら、まずは人の名前から。それが出来たらその人が何をした人か。それが出来たらその人の周りにはどんな人がいたか……面倒かもしれませんが、貴方にその気構えがなければ、私は貴方の力になれません」

 正論過ぎて何も言えない。メンドクサイ事が嫌いで、将来使わないだろとか色んな言い訳を自分にして。その癖あたしはなんとなく思ってたんだ、頭のいい人は必勝法みたいなものを知ってるから簡単に出来るんだって。あたしバカだから出来ないは、言い訳なんだよね。皆最初は授業で初めて聞くものを知って、出来るようにしてったんだろうし。

「……あー、ごめん、なんかあたし色々間違ってたっぽい」

「大丈夫です、時間はあります。少しずつ出来るようなります。今日のバイトだってちゃんと出来たじゃないですか。一緒に頑張りましょう」

 なんか、ミネギシさんに頑張ろうって言われると、不思議なんだけど頑張れるような気がしてきた。宜しくお願いしますと頭を下げると、こちらこそとミネギシさんも頭を下げた。四人掛けの席に二人並んで座って頭下げ合ってるのって、傍から見たらおかしいよね絶対。

 まずはちょっとだけ頑張ってみる。そんで、なんでもいいからちょっとずつでも出来るようなりたいなって。



「うぅ……しんどいつらいマジ無理……」

 決意から僅か一時間で、あたしの心は折れかかっていた。ミネギシさんに最初に与えられた課題は、教科書一ページ分を読んで、そこから重要と思われる人、モノ、条約、戦いとかジャンル分けして書き出していって、それを五分くらい掛けて覚える。で、そこからミネギシさんに問題を出してもらって全部答えられたら次のページ、出来なかったらもう一回繰り返すっていうのをやった。

 自分の記憶力に絶望した。書き出したものなんて大体十個とかそんくらいなのに、十回以上繰り返しても次のページに進めない。そもそも教科書の文書を読むのがつらい。怠い。名前も呪文みたいなのばっかりだし。

「凄い、三ページも進みましたよ。素晴らしい成果です。本当にお疲れ様でした」

 ミネギシさんは相変わらず余裕の笑顔だった。この人、あたしが教科書読んで書き出したりしてる間自分の勉強してたんだけど。どうして教科書を開かずにそのページから問題出せるんだろう。まさか先に全部覚えたとか、ないよね……?

「熱出そう……こんなに頭を使ったの久しぶりだわホント……」

「頑張りましたね。少しずつ慣れていく筈です。今日はこの辺にしておきましょうか」

 そう言えば、折角ドリンクバーを頼んだのに殆ど飲み物を飲んでいなかった。勿体ないからお茶を一気飲みして新しい飲み物を取りに行く。あ、私ウーロン茶で、とミネギシさんはコップを差し出してきた。実質今日が初めて会話した日なのに、もう人を顎で使っている。きっと将来は人の上に立つ仕事をするんだろうなこの人は。やだ、めっちゃ似合う。


 ようやく解放されたのが夜十時。実は家が結構近い所みたいで、途中まで一緒に帰った。もう夜遅いのにセミが相変わらずずっと喧しい。もうとっくに九月になった筈だけど、まだまだ夏は終わらないようだ。

「それじゃ、また明日。お疲れさまでした」

「……うん、ありがとねミネギシさん」

 あれ、またってバイトのことも含めてかな。あたし続けるとは言ってないんだけど……。

「明日はまた最初から今日と同じことをします。目標は一回でテスト範囲全部出来るようになる、ですからね」

「え」

「それじゃおやすみなさい」

 帰り際にものすごい爆弾を置いていったなあの人。

 マジかー……しんどいつらいマジ無理病みそう……。


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