第十章 結

第39話 結1

 翌日、お藤はさっそく鬼灯長屋のお芳を訪ねた。お芳は「あれ、もう来たのかい、さすがおっ母さんだねぇ」と笑った。

 今日のお芳はあちこちにぎの当たった深川鼠の小紋を着て、木の一本簪を刺していた。彼女には琥珀もいいが、こっちの飾り気のない一本簪の方が粋に見えた。

 赤子は大人しく寝ていた。聞けば、ついさっき二軒隣のおかみさんが乳をやったばかりだという。この長屋のおかみさん連中が自分の知り合いなどに話をして、近くを通ったら乳を分けて欲しいと頼んで回っているそうだ。柏原の人達は天神屋の弥市とおりんと彦左衛門に対する仕打ちをみんな知っているので協力的だった。ただ、これが一年ばかり続けばいいのだが。

「あんたたち昨日いい仕事したらしいね」

「え?」

「天神屋の若旦那とお内儀さんが、今朝遺体で見つかったってさ。お内儀さんは刃物で、若旦那は盆の窪を一突きって聞いたよ。早速それが役に立ったのかい?」

「ええ、まあ」

 お見通しのようである。

「お芳さん、もしかして元殺し屋?」

「まさか。大名主の佐倉様にお仕えして四十年。他の仕事は佐倉様んとこの女中を辞めてからの取り上げ婆だけさ。ただ、勝五郎親分が柏原に来るまでは、佐倉様お一人で柏原中の揉め事を捌いていらしたからね。あそこで働いてりゃ殺し屋がどこにいるかくらいわかるさ」

 何から何までバレている。お藤はもう笑うしかない。

「大丈夫、佐倉様のところで伊達に何十年も女中やってたわけじゃない。外に漏らしていいことといけない事の区別くらいつくさ。安心おし」

 お藤は少し安堵した。彦左衛門すら知らないのだ。自分たちが殺し屋だということを知っているのは、仲介人の伝次とこのお芳だけということになる。

「それで天神屋はどうなったんです?」

「天神屋が弥市とおりんに差し向けたのが松毬だっただろ。だからそっちの線だろうって勝五郎親分が言ってたよ。もしかしたらわかっててそう言ってるのかもしれないけどね。ただね、今回のことは町中の人が知ってるし、勝五郎親分も動きにくいだろうから、佐倉様に相談に行くと思うよ」

 話しながらお芳は麦湯を出してくれた。麦湯を受け取って、何とは無しに赤子の寝顔を眺めた。

「可愛いねぇ。赤ちゃんってこんなに手が小っちゃいんだね」

「あんたも子供の頃はこうだったんだよ。あんたいくつだい」

「二十一」

 お藤が答えるとお芳が驚いたように口元を押さえた。

「おやそうだったのかい。あたしゃまたてっきり二十七、八かと」

「お芳さんは還暦くらい?」

「いやだよ、あたしゃ死ぬまで十四歳のつもりさ。随分ととうが立ってるけどね」

 二人でひとしきり笑った後、急にお芳が少し真面目な顔になった。

「あんた、この子に名前つけておやりよ」

「昨夜栄吉さんと考えたんだ」

「栄吉さんって、あの漬け物石かい?」

「そう」

 二人でまた笑った。赤子が起きないように必死でこらえたが、おかしいものはおかしい。

「それで?」

「栄吉さんが『お芳』はどうだって言うんだ」

「こんな婆と一緒なんて。生まれたばかりなのに縁起でもない」

「あたしたちは縁起がいいと思ったんだよ。でもお芳が二人じゃ紛らわしい。それで考えたんだけど、しのぶってのはどうだろうね」

「いいじゃないか。あんたが育てるならこの子もあんたと同じ稼業になるんだろ? しのぶ……ピッタリじゃないか」

 お藤はホッとしたように麦湯を一口、口に含んだ。

「実はさ、お芳さんに反対されたら別の名前にしようと思ってたんだ。でもこれで決まり。この子はしのぶ。天神屋の分も、弥市さんとおりんちゃんの分もあたしが可愛がって育てるよ」

 ちょうどそのとき赤子が目を覚まして泣き始めた。

「どれ、おっ母さんが抱っこしてあげようかね」

 お藤は目尻を下げてしのぶを抱いた。

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