第35話 仕事2
いつまでも居座っている栄吉とお藤に苛立ったのか、お内儀が「あんたたちは何をしてんだい。帰らないのかい」と聞いた。
「あっしらが用事があったんだ。彦左衛門さんはついて来ただけだ」
「あんたら何者だ、何の用だ」
そこに先程の丁稚が「失礼いたします」と入って来た。どうやらお茶を運んで来たらしい。栄吉は丁稚がいることなど気にも留めずに言った。
「御主人、この柏原には殺し屋がいるのを知ってるかい?」
主人とお内儀は顔色を変えたが、丁稚はもっと驚いた顔をしていた。
さすがにこれには主人も丁稚が茶を置いて下がるまで口を開かなかった。
「さっきの彦左の話を真に受けるのか。あれは私に殺し屋を差し向けられたと勝手に思い込んでいるだけだ。被害妄想甚だしい」
それを聞いてお藤が「へ~え」と小馬鹿にしたように笑う。
「じゃあさっきの『おりんが産んだのか』ってのは何だい? まるでおりんには産めるわけがないとでも言いたげだったよ。なんでおりんに産めるわけがないんだい? もう死んでいるはずだからかい?」
天神屋は「いや」だの「そういうわけでは」だのと歯切れが悪い。お内儀もそわそわして落ち着かない。
そこにお藤が畳みかける。
「それにさっき彦左衛門さんが赤子を連れて来たことに対して疑問を持たなかったのはどういうわけだい? 普通に考えたら弥市さんが連れてくるはずさ。それを彦左衛門さんが連れて来た。あんたは弥市さんが来られない理由を知ってた。そうだろ?」
「来られないことなどあるものか」
「じゃあどうして彦左衛門さんが来たんだろうねぇ」
「そんなこと私が知るわけがないだろう。出産したばかりだから弥市がそばについてるんじゃないのか」
「お産の時は亭主も部屋に入れて貰えないことくらい、小娘のあたしだって知ってるよ」
それを聞いて栄吉がこっそりと笑う。お藤はどう見たって二十歳そこそこの小娘には見えない。若く見積もっても二十七、八の姐さんだ。そんなことをお藤に言ったら、酷く残酷なやり方であの世に案内されてしまいそうだが。
「あの二人に育てさせるなら、ちゃんと養育費くらいは払うんだろうねぇ」
そこでまたお内儀が割り込む。
「なんで二人の子供の養育費をうちが出すんだい」
「男の子だったらここで育てるんだろう? 女の子はここでは育てないのなら、弥市さんとおりんちゃんに代わりに育てて貰うって事だろう、違うのかい?」
女二人の視線がバチバチとぶつかり合って火花が見えるほどだ。栄吉は心の中で「女は怖い」などと場違いな事を考えた。――くわばらくわばら。
「それならあんたたちがあの二人に『わたしたちの代わりに育ててください』と頭を下げて養育費を支払うのが筋ってもんだろ」
「まるで関係ない赤の他人にそんなこと言われる筋合いはないね」
「それ言っちゃうわけ? あんただって赤の他人じゃないか。あの子はご主人とおりんちゃんの子だよ。わかったかい、ご主人。あんたのお内儀さんは赤の他人だ。だから今までの話はあんたが考えるべきことだね。血のつながらないお内儀さんには少し黙っていてもらおうか」
若旦那は目に見えて焦っていた。女二人に板挟みにされてお内儀に味方するのが亭主としての在り方というものだが、どう考えてもお藤の言う方が理に適っている。
「それとも何かい、死んだ人間に払う金は無いかい?」
お藤が挑発する横で、栄吉は落ち着き払って丁稚が持って来てくれた茶をすすった。主人と御内儀は栄吉のその行動に不安になったのか、ますますそわそわし始めた。
栄吉は苅安色の水面を見ながら一言ボソリと言った。
「松毬一家」
「なっ……」
主人は「なぜその名を」と言いそうになって必死に堪えた。だがそれは無駄な努力だった。
「なぜって弥市とおりんを襲ったのがそいつらだからだ」
「最初に頼んだ殺し屋に断られたから、松毬一家に頼んだんだろ?」
お藤がダメ押しのように付け加えると、主人の唇が震え出した。
「なぜそれを知ってる」
「なぜだと思う?」
お内儀が何かに気づいたようにハッとした。
「まさか、まさかあんたたち、最初に断った殺し屋」
「頭は悪くねえようだな」
栄吉の反応にお内儀があからさまにムッとした。自分たちしか知らないはずのことを知られていた恐怖より、お
「依頼を断った癖に、今更何の用だい!」
「頭は悪くねえが、自分に都合の悪いことには頭が回らねえようだな」
「なんだって?」
お内儀は再び茹でたての蛸のように顔を真っ赤にした。袂を握る手が震えている。柚香に勝てないとわかった時もこうだったのだろうか。そして柚香が死んだとき、彼女は歓喜したのだろうか。
「殺し屋が動くってのは、依頼があったからに決まってるんだよ」
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