第26話 鬼灯長屋の取り上げ婆2

 お藤が鬼灯長屋に行くと、弥市がちょうど井戸端で洗濯をしているところだった。

「弥市さん、朝から精が出るねえ」

「これはこれはお藤さん、おはようございます」

 お藤は弥市の手元を覗くと「おしめかい?」と聞いた。

「ええ、今日明日くらいに生まれそうなので」

「あたしも手伝うよ。ここに干せばいいのかい?」

「すみません、ありがとうございます。ちょっとおりんにお藤さんが来たって言ってきますんで」

 立ち上がった弥市をお藤は再び座らせた。

「おりんちゃんはそのままでいいよ。あたしが来たって言ったらおりんちゃんゆっくりしていられないからね」

「すみません、それじゃさっさと終わらせてしまいますね」

 そこへ、隣の引き戸が開いて年配の女性が出て来た。

「弥市さんおはようさん。おや、お客さんかい」

「おはようございます。こちらお藤さんです。私とおりんの世話をいろいろ見てくださってるんです」

 お藤が頭を下げると、その女性も頬被ほっかむりをとった。

「どうも。あたしゃおよしってんだ。お藤さんだね、よろしく。あたしがおしめ洗っといてあげるから、弥市さんはお藤さんにお茶でも出してやんなよ」

「ありがとうございます、お言葉に甘えます」

 弥市が引っ込んでから、お藤はお芳と一緒におしめを洗って干した。お芳は五十は過ぎていそうだ。還暦近いかもしれない。島田に結った髷も半分以上白い。苅安の小紋に黒い掛襟をかけ、前掛けにたすき掛けという地味な服装ながら、かんざしだけは小洒落た琥珀の玉簪を刺していた。

「綺麗な簪ですね」

「ああ、お藤ちゃんお目が高いね。いい色だろう?」

「その苅安の小紋に良く似合ってますね」

「おや、あんたなかなかお洒落さんじゃないか。あたしがもっと若い頃、佐倉様のお屋敷で女中をやってたんだけどね、辞める時に佐倉様の旦那様がくだすったんだよ」

「佐倉様って、あの名主様の?」

「そうさ。あすこのお嬢さん知ってるかい? お奈津さんって言うんだけどね、あのお嬢さんが生まれる時、あたしが取り上げたんだよ」

「へぇ。じゃあ産婆の経験もあるんですねぇ」

「今じゃ専業の取り上げ婆だよ」

 そう言ってお芳はカラカラと笑った。

「おりんちゃんもあたしが取り上げることになってんだ。多分今日生まれると思うよ。お藤ちゃん、子供は?」

「あたしゃ独身ですよ」

「あれまあ。こんなに美人さんなのに? 世の中の男どもはどこに目ぇつけてんだろうねぇ」

「あたしが所帯を持ちたくないんですよ」

 お芳は合点がいったという顔をして頷いた。

「なるほどね。自立して仕事してるんなら、変な男と所帯持つより独りの方がずっといいよ。あ、そうだこれあんたにあげよう」

 お芳はおもむろに琥珀の簪を抜いた。

「婆さんの簪なんか貰っても嬉しくないかもしれないけどね、あたしは見ての通りの皺くちゃ婆だ。簪だってこんな婆の白髪を飾るより、あんたみたいな綺麗なお姉さんの髪を飾りたいだろうよ。貰ってやってくれないかい?」

「いいんですか?」

「年寄りの頼みさ」

 お藤は素直に手を出した。

「ありがとうございます。大切にします。こんな素敵な簪、宝物にします」

「どれ、あたしが刺してあげようね」

 お芳はお藤の髪にそれをすっと刺した。山吹色の帯に琥珀がよく映えた。

「ああ、やっぱり美人が刺すと琥珀も輝いて見えるねぇ。さ、洗濯も終わりだ。あたしゃ朝餉の準備でもするよ。おりんちゃんが産気づいたらいつでも呼んどくれ」

 お芳は言うだけ言うとさっさと自分の家に入ってしまった。

 お芳と入れ替わりに弥市が出て来た。

「お藤さん、お茶が入ったんでどうぞ」

 お藤は辺りを窺ってから、するりと引き戸の間から滑り込んだ。

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