第22話 お内儀の過去3

 お藤はわざと鬼灯長屋を通りすぎ、一周回って来てからスルリと木戸をくぐった。これは茂助から教わったもので、同業者からつけられているのを撒くためでもある。

「弥市さん、いるかい。あたしだよ。お藤」

 小声で声をかけると、長屋の引き戸が開いた。

「お待ちしてました。どうぞ中へ」

 促されるまま中に入ると、横になっていたおりんが起き上がろうとした。

「いい、いい。おりんちゃんはそのまま横になってて」

「すみません、そうさせていただきます」

 おりんの腹はずいぶん重そうだ。これはもう四、五日で生まれるのではないだろうか。

「こちらこそ急に押しかけて悪かったね」

 弥市が「ちょうどよかった」と、麦湯の入った湯飲みをお藤の方に差し出した。

「今まで来客があったので、お湯を沸かしていたんです。そうそう、そのことでお藤さんにお礼を申し上げなければならないと思っていました」

「なんだい、かしこまって」

「先ほどまで三郎太さんがいらしてたのですよ。毎日、朝に夕にと御用聞きに来てくださって。聞けばお藤さんからの依頼だとかで。本当に助かっております」

「え? 毎日二回来るのかい?」

「ええ、なんでもこの辺はよく通るから、何度でも顔を出しますと言ってくださって」

 やはりあの青鷺男、見た目に寄らずなかなかできる男のようである。

「いつも買い出しを頼んでいるのですが、今日は少々面倒なことをお願いしまして」

「へえ、何を頼んだんだい?」

 弥市は馬面を伝う汗をしきりに手拭いで拭きながら、ここにいない三郎太に恐縮した。

「無理を承知で、私どもがこれから住む家を漆谷あたりで探してきて欲しいと言いましたら、なんだそんなことかとおっしゃって、二つ返事で受けてくださいました。良い方をご紹介くださって本当にありがとうございます」

 その時おりんが「おまえさん」と言った。

「手数料のこと……」

「ああ、そうだ。御用聞きの手数料をお藤さんから貰っていると三郎太さんからお聞きしたのですが、いくらお支払いしたらよろしいでしょうか」

 一瞬何のことかわからずポカンとしてしまったお藤は、一拍置いてから笑い出した。

「嫌だよ、何かと思えばそんなことかい。あれは所帯を持ったあんたたちへのお祝儀だよ。だいたい、無理やりくっつけられた割にはすっかり仲のいい夫婦じゃないか」

 お藤に図星を差され、弥市は赤くなって俯きながら礼を言った。

「あ、あの、それで今日はどうなさいました?」

「ああ、報告に来たよ。天神屋の」

「どうです?」

 お藤はついさっき駒屋で聞いた話をそのまま二人に伝えた。

「ではもう柏原中に知れ渡っているようなものですね」

「そうだね。ここへ来るとき天神屋をチラッと覗いて来たけど、まるで客が入ってなかったね。丁稚がぽつねんと立ってたよ。ちょっと可哀想だったね。いっそ奉公人がみんな一斉に辞めちまえばいいんだ」

 何人も葬ってきたせいか妙な貫禄はあるが、お藤も実は二十一の娘だ。おりんと二つしか違わない。弥市より四つも年下だ(そうは見えないが)。若さのためだろうか、言うことはなかなかに過激だ。

「今日はもう一つ嫌な知らせがある」

 弥市は背筋を伸ばした。

「なんでしょう」

「この前言ってた話だけどね、あんたたちの殺しを依頼された殺し屋、正式に天神屋に断ったらしいよ」

 あたしのことだけどね、という言葉をお藤は飲み込んでおいた。

「ということは、別の殺し屋に頼んでいるかもしれないのですね」

「そういうことさ。あんたたちは一刻も早く家移りした方がいい。ここに住んでいることは天神屋ならみんな知っているんだろう?」

「ええ、奉公人も若旦那様も」

 お藤はちょっと考えてから言った。

「あんた三郎太さんに新しい家をどこら辺に頼んだって言ったっけ」

「え……漆谷か木槿山辺りで」

「そりゃ良かった」

 弥市とおりんが顔を見合わせている。『良かった』の意味を測りかねているようだ。

「柿ノ木川沿いの町には二軒の殺し屋集団がいるのは知ってるかい?」

「滅相もない。そんな物騒な話」

 弥市が慌てて言うのへ、おりんが何度も頷いて同意する。

「上流には漆谷、下流には楢岡にそれぞれ一軒ずつだ」

 漆谷の方はお藤の所属する峠の団子屋だが。

「漆谷の方は特に名前は名乗っていない。頼むときは仲介人を通す。楢岡の方は『松毬まつかさ一家』と言って、楢岡の外れ、街道の一本松の木の根元にある賽銭箱に依頼人と標的と報酬を書いて入れる。松毬一家がそれを見て納得すれば仕事を受ける」

「お藤さんの知り合いはどちらなんです?」

「漆谷の方さ。だからあんたたちが新居に選んだのが上流の方で良かったって言ったんだ。もし楢岡の方だったら家移りしたその日に殺されるね」

「あの、私どもはどうすれば」

 心配顔の弥市に「しっかりおしよ」とお藤は笑いかけた。

「あんたがドーンと構えていなきゃ。おりんちゃんは身重なんだ、余計な心配をかけるんじゃないよ。あんたたちは三郎太さんが家を見つけてくるまでとにかくここで息を潜めてるんだ」

「はい」

 と返事をする弥市の声は、今一つ元気がない。

「なぁに、三郎太さんなら今日明日中にも家を決めてくるさ。家が決まったらすぐに家移りだ。ほっといても三郎太さんが手伝ってくれるさ。あれはそういう男だよ。おりんちゃんは家財道具と一緒に大八車に乗って行けばいいさ。あたしも一緒に行くから、弥一さんと三郎太さんで大八車を押せばいいよ。必要ならあたしの知り合いの漬け物石みたいな親父も呼んで来るし」

「そこまでしていただいては……」

「いいのさ。天神屋はあたしを怒らせた。きっちり落とし前つけて貰うよ」

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