第六章 お内儀の過去
第20話 お内儀の過去1
数日して、伝次が再び団子屋にやって来た。伝次はいつものように醤油だれの団子を頬張りながら世間話でもするように聞いた。
「こないだの天神屋の新番頭と腹ボテの嫁さん、どうした?」
「その件だが。おめえさんの顔を潰して申し訳ねえんだがやっぱり引き受けられねえ」
「珍しいな。あんたが仕事を断るなんて」
茂助は店の奥にいる栄吉に視線を流すとボソリと言った。
「それがよ、あの栄吉が受けられねえって言うんだ」
「へぇ、総受けの栄吉さんがねぇ」
「すまねえな」
ところが伝次はホッとしたように笑った。
「実はよ、おいらも今回は普通じゃねえなと思ってたんだ。この仕事を受けちまったら後悔するんじゃねえかなって」
ここで伝次は周りに誰もいないのに猫背を伸ばしてキョロキョロと辺りを窺ってから声を落とした。
「どう考えてもおかしい。今回標的になった三人は、三人ともが働き者でみんなから好かれてる。殺される理由なんかありゃしねえ。これは逆恨みか口封じだなと思ってよ」
「口封じだ」
茂助の言葉に伝次は満足げに頷いた。
「それなら納得だ。逆恨みする要因がねえからな」
「それだけで済みゃあ、まだいいってもんよ。お藤と栄吉を怒らせた罪は重いぞ」
「天神屋も終わりか」
「二人とも相当頭に来てるようだからな。ただじゃ済まねえだろうな。ところで」
「ん?」
伝次は見事な出っ歯で団子の串を咥えたまま顔を茂助に向けた。
「うちが二人の殺しを拒否したら、天神屋は別の殺し屋に頼むんだろうな」
「まあ、そうだろうな。まさか守る気かい」
茂助は軽く肩を竦めた。
「あっしがどれだけ止めても、お藤と栄吉が守るだろうよ」
「何があったのか教えてもらう訳には行かねえか?」
こうやって伝次が事の次第を聞きたがるのは珍しい。彼も納得がいかないのだろう。だが、天神屋を炙り出すには伝次の力が必要かもしれない。
「実はあの女中の腹の子は、天神屋の主人の胤らしいんだ」
「はぁ? 言ってる意味が分からねえ」
「そのまんまの意味さ。馬鹿旦那が女中に手を出して孕ませたって寸法だ」
伝次は開いた口が塞がらないようだ。
「その子供が男の子なら天神屋の跡取りとして取り上げ、女の子なら手代と女中に押し付けてしまおうと思ってたらしいな」
「ひでえな、そりゃ」
「その代わりに、手代を番頭に昇格させてやるってとこだ。目の上のたんこぶ彦左衛門も追い出せて、天神屋の馬鹿旦那には一石二鳥。お内儀入れれば一石三鳥だ」
「ああ、それで秘密を握ってる二人を消そうってことか」
「そうだな」
ここで茂助が茶を一口啜ると、伝次も団子にかぶりついた。茂助特製のみたらしダレをこぼさないようにぺろりと舐める。
「あの二人は天神屋に追い出されるときに、天神屋の悪事を柏原中にばらまいてやると啖呵を切って出てきた。天神屋の主人は、ただで済むと思うなと言ったそうだぜ」
「ほう、ただで済まねえと。それで殺し屋を雇ったわけか。それなら二人もやることやらんとな」
「そういうこった。馬鹿旦那が女中を孕ませて、怒った番頭と手代もろとも追い出した……と、柏原中に広める。そいつをお前さんにも手伝って欲しい」
伝次はギョッとしたように前歯を引っ込めた。前歯は引っ込まないから、恐らく顎を引いたのだろう。それでもそんな印象を与えるほど立派な出っ歯ではある。
「そんなことおいらが広めていいのか? 女中は手籠めにされたんだろう? その娘が可哀想じゃないか?」
「彼女の許可はお藤がとってある。手代と女中は柏原には住めないからといって、漆谷か木槿山に家移りするらしいから、どれだけばら撒いてもいいと言ってたんだそうだ」
「こりゃ本気だね。それだけ腹に据えかねたんだろう」
「馬鹿旦那は二人にそんなことができるわけがないと高をくくっているらしいから、鼻を明かしてやりたいんだそうだ」
「わかった。天神屋がお店を続けられないほどばら撒いてやるぜ。おいらに任しときな」
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