第10話 彦左衛門4

 その日の晩、夕餉を取りながら栄吉は素っ頓狂な声を上げた。

「じゃあ、あれは仕組まれたってことかい」

 野菜くずと野草の入った薄い味噌汁をすすりながら、お藤は静かに頷いた。

 ここは団子屋なので米粉はたくさんあるが、米そのものは無い。麦飯が食卓に上がることもほぼ無い。そのかわり仕事が一つ成功したら、ひえ零余子むかごの粥がお腹一杯食べられる。仕事で町中に出て一膳飯屋や蕎麦屋に情報収集に行くので、ねぐらでは粗末なものしか口にしないと茂助が決めたのだ。

「そう。例のゴロツキどもから直接聞いたんだ、間違いないよ」

「まさか天神屋の主人がゴロツキを雇ってまでそんな小細工をするとはな」

「女の悋気は侮れないさ」

「つまりご主人とお内儀さんの思惑がぴったり一致したって事か」

「まあ、思惑っていうか、利害が一致したんだろうねぇ。お父っあん、おかわりは?」

「いや、いい」

 茂助は黙って聞いているだけで何も言わない。一度二人に任せたのだ、報告は聞いても口出しはしない。お藤はそんな茂助にもわかりやすいように、聞いてきたことを整理した。

「つまりさ、仕事熱心だった先代と違って、今の主人は仕事は適当に手を抜いて遊び惚けたいけど小うるさい番頭がいて鬱陶しい。お内儀は主人が女中のおりんにちょっかい出すのが許せないからおりんを手代の弥市に押し付けたい。ここまではそれぞれの思惑さ」

「ここまでは、ってのは?」

「ところがどっこい、おりんと弥市は既にいい仲だった。だからお内儀としては盛大に祝言を挙げさせてやりたかった。そうすりゃみんなの知るところになるから、ご主人もおりんには手を出しにくくなるしね。ところがおりんは既に身籠ってた。こりゃまずいってんで、祝言はナシになっちまった」

「まあ、手代が女中に手を出したんじゃ世間体は悪いわな」

「そういうことさ」

 お藤が肩を竦める。この女は恋愛というものをしたことがあるのだろうか。

「祝言を挙げないとなると、二人が所帯を持ったことが世間様に周知されねえだろう。そうするとまたあの馬鹿旦那がこれ幸いと、人妻だろうが何だろうが手を出すかもしれねえんじゃねえのか?」

 栄吉が渋面を作って見せると、お藤は呆れたように頷いた。

「そういうことさ。お内儀さんとしては何が何でも二人のことを周知したかった。そこで、所帯を持ったお祝いに、弥市を番頭に格上げしてはどうかと主人に提案した。主人は二つ返事で了承した」

「ああ、なるほどな。主人にしてみたら、弥市を番頭にする事で目の上のたんこぶ彦左衛門を追い出すことができるってこったな」

「そう、ここで利害が一致したんだ」

「弥一さんは彦左衛門さんにお店に残って欲しいと懇願したらしいけどな」

「まあ、弥一さんはまだ自信がないだろうからねぇ。今一つへっぴり腰でおどおどしてたよ」

 そこでやっと茂助が口を開いた。

「それで今回の依頼はどうするんだ? 依頼人は天神屋の主人、標的は彦左衛門さんだぞ」

「待ってくれお頭。追い出したなら、どうして天神屋は彦左衛門さんを消そうとするんだ?」

「何か世間様に知られちゃまずいような天神屋の秘密を彦左衛門さんが知ってるんじゃないのかい?」

 お藤に応えるように茂助がボソリと言った。

「若しくは、世間様に知られちゃまずいような天神屋の秘密を彦左衛門さんに握られていると天神屋が勘違いしているか」

 確かにそれもある。栄吉とお藤は目を合わせた。

「それを調べねえうちは、安易にこの仕事は引き受けられねえな」

「総受けの栄吉って名前、変えた方が良さそうさね」

 確かに二つ名は変更した方が良さそうだなと茂助が言おうとしたときに、栄吉がすかさず言った。

「だいたい誰がそんな二つ名付けたんだ」

 自分だった、と茂助は思い出して味噌汁をかきこんだ。

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