第四章 弥市とおりん

第11話 弥市とおりん1

 翌日、お藤は穴の空いた鍋を持って、桜の散り始めた柏原の町中をうろついた。

 団子屋には鍋が二つあるが、片方穴が空いていると団子屋の商売に差し障りがある。かと言って買うまでもない、直せばいくらでも使えるのだ。あとは如何にして鋳掛屋いかけやを見つけるかといったところだ。

 町中に住んでいれば鍋が二つあれば鋳掛屋が近くを通るまでもう一つの鍋を使って凌げばいいが、こうして峠の方から穴の空いた鍋を持ってわざわざ降りて来ているのだから、何が何でも見つけて直してもらわねばならない。

 だが、今日はずいぶんとツイているらしい。椎ノ木川の川沿いの木陰で休んでいる牛蒡のような若い男が箱ふいごをそばに置いているのが見えたのだ。

「ちょいと兄さん、それふいごかい?」

 お藤が声をかけると、若者はお藤が手にしている鍋に目を留め、白い歯を見せてニカッと笑った。

「お? そりゃ穴の空いた鍋かい?」

「頼めるかい?」

「当たりき車力の車引き、合点承知の助よ」

 若者は手早く鋳掛の準備を始めた。

「姉さん、見かけない顔だね」

「まあね。柏原の外れの方に住んでるからね」

「道理で。これだけの美人なら一度見たら忘れねえ」

「口が上手いね。あたしはお藤。あんたは?」

「おいらはなんでも屋の三郎太ってんだ。今日はたまたま鋳掛屋。運が良かった」

 三郎太はあっという間に火をつけてふいごを押し始める。実に手際が良い。

「なんでも屋って、鋳掛の他に何やってるんだい?」

「その日によりけりだけど、棒手振りが多いかねぇ。蜆とか豆腐とか金魚とか。あとは言伝を頼まれたり荷物運びを手伝ったり、身動きの取れない人の代わりに買い物に行ったりするかねぇ」

 ――この男は使える。

 お藤も三郎太のすぐそばにしゃがみこんで、その作業を見守った。

「一日中柏原をそうやってウロウロしてるんなら、髪結いもびっくりなほどの情報通なんだろうねぇ」

「通ってほどじゃねえけど、それなりに入って来るよ」

 お藤はそれとなく探りを入れてみることにした。

「例えば……そうだねぇ、この間ひと騒動あった天神屋さんとか」

「ああ、あそこは話題に事欠かねぇ」

 どうやらあれ以前にもいろいろ問題のあるお店だったようだ。

「こないだおかしなのがやって来て店で暴れて、番頭さんが馘になったそうじゃないか。何も馘にしなくたって良さそうなもんなのにねぇ」

「ありゃあ、ご主人が番頭さんをずっと馘にしたがってたところに、運よく面倒ごとが舞い込んだんだよ。それで番頭さんのせいにして追い出しちまったって寸法よ。おいらなんかは、ご主人がわざと仕組んだんじゃねえかと思ったくらいだ」

 ――三郎太と言ったか、この男はなんでも屋にしておくには惜しい切れ者だ……。

「あの若旦那は番頭さん無しにはお店のことなんかなんにもできねえって話だけどな」

 昨日帰ってから聞いた栄吉の話と一致する。あれは彦左衛門の思い込みでも栄吉の考えでもなく、周知の事実だったらしい。

「でも自分のお店だろ? なんにもできないってことはないんじゃないのかい?」

 三郎太は大汗をかきつつ、手は休めない。

「先代の大旦那様は仕事熱心だったんだけどさ、おぼっちゃま育ちの若旦那は、なーんにもお店のことを勉強しなかったらしいぜ。店の者が動いてさえいれば、ちゃんとお店は回ると思ってたんだろうな」

「なんにもできないなら、とっとと隠居して子供に後を継がせりゃいいのにねぇ」

「そりゃあ無理ってもんだ。あの夫婦には子供がいねえ」

 なんだって? 後継ぎがいない?

「そりゃどういうことだい?」

 三郎太は鋳鉄片を溶かしながら、軽く辺りを見渡した。

「大きな声じゃ言えねえが、お内儀が子供の産めない体らしい」

「えっ?」

「それでちょっと肩身が狭いのか、ご主人の柏華楼通いも目を瞑ってたんだけどよ、女中に手を出したんでさすがに見て見ぬ振りもできなくて、お内儀さんがその女中を手代とくっつけたって話だ。驚き桃の木山椒の木だろ」

「そりゃびっくりだね」

 大袈裟に驚いてみせるが、弥市のことだなと心の中では納得する。

「それどころか、その女中が既に身籠ってるって言うじゃねえか。ありゃあ胎ん中の子の父親は天神屋のご主人だろうな」

「なんだって!」

 そうか、それがあったのか。不貞の子を身籠っているなら追い出すよりは手元に置いて監視した方が良いと考えるかもしれないし、逆にその赤子が男の子なら主人のたねなのだから天神屋の跡取りとすることもできる。もしそこまで考えているのなら、とんでもない大悪党だ。

「ああ、いやいや、それはおいらの勝手な想像だから真に受けんなよ? でもさ、もしそれが本当なら、番頭さんに気づかれる前に追い出しちまうだろ?」

 確かにただでさえ口うるさい目の上のたんこぶだ。奉公人に手を出して身籠ったなんてことになったら彦左衛門が黙っているわけがない。恐らく三郎太の推理は当たっている。

「はい、出来上がり。ばっちり塞がったぜ」

「ああ、ありがとさん、助かったよ」

「さっきの話はおいらの想像だから人に言わないどくれよ? 姉さんにしか言ってないんだ」

「もちろんさ。また頼むよ」

「毎度!」

 お藤は代金を少し余分に払っておいた。

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