第4話 血の臭い
そんな毎日変わりのない通学路だったはずなのに、それが一転したのは、国道から狭い道に入ろうとして曲がりかけた時だった。
後ろから、大きな、
「ガッシャン」
という大きな音が聞こえた。
それと同時に、何か鈍い音がしたように思えたのだが、それが何か分からなかったが、強い力で押し潰されたかのようなその音に、身体が弾き飛ばされたような思いがして、後ろを振り向くのが怖かった。
それでも、意を決して後ろを振り向くと、後ろを向いている時は聞こえなかったはずの悲鳴が聞こえてきた。
そして、人がまるで甘いものに群がるアリのように、集まってくるのを見ると、
「事故が起こったんだ」
とすぐに状況を判断することができた。
恐る恐る近づいてみると、黒い車が交差点の真ん中で停車している。そのすぐ横で、誰かが倒れているようで、その向こうにはまた黒い物体が横たわっていた。
その横たわっている物体は、人ではない、もう少し大きなものだが、それがバイクであることはすぐに分かった。
色の感じからであるが、それはスクーターのようなものではなく、普通のバイクであった。中型二輪というくらいだろうか。
中学生だったので、免許を持っているわけでもないし、バイクに興味もなかったことで、横たわっているバイクがどれほどの大きさか分からなかったが、さっきの音を思い出すと、甲高い乾いた音と、鈍い衝突の音とを考えると、甲高い乾いた音は、ブレーキを踏んだ車の音と、ひっくり返った時に、バイクが、横倒しで流れていく時に、アスファルトを滑る音が、甲高く聞こえたに違いなかった。
当たった瞬間を見なくてよかったというべきか、あんな瞬間を見てしまうと、しばらくは、ショックで眠れなかったり、眠れても、夢の中で出てきたりして、そのショックで目が覚めてしまうほどの衝撃だったことだろう。
瞬間は見ていなくても、その場に残った惨状を見れば、どれほどひどい事故だったのかということは想像がつく。
倒れている人は、うつ伏せに倒れているが、その横から、黒いものが流れ出ているのが見て取れた。
これがバイクからだったら、
「ガソリンが漏れているじゃないか?」
と思うくらいのもので、人間から流れ出るものと考えると、それが何か、すぐに分かった気がした。
最初はその臭いが、まるでガソリンのような臭いに感じられたのは、
「まだガソリンの方がよかったな」
と感じるからであり、実際にそれが何なのか、当然すぐに想像はついた。
そう、人間の身体から流れる、血液だったのだ。
黒く見えるのは、アスファルトが黒いからなのか、それとも、上を走っている高速道路の高架で陰になっているから黒く見えるのかとも思ったが、本当の血の色というのは、黒い色で、
「それだけ大量に流れだしている証拠ではないか?」
と感じたのだった。
それを見ていると、
「この人、このまま死んじゃうんじゃないだろうか?」
と感じた。
まわりからは、その瞬間を目の当たりにしてしまったのか、女の子がすすり泣いているのだった。
震えに近いすすり泣きが聞こえるのは、悲しいからではなく、恐怖で声が出ない代わりに、反動で泣いてしまったのではないかと思えたからだ。
事故を目撃した大人でも、よく見ると、ショックで手が震えているようだった。それでも誰かがしっかりしないといけないと、一人が救急車を呼んでいた。
冷静に、事故現場と状況を電話で説明している。それを聞いているうちにまわりの空気が次第に晴れていくようで、ショックで動けなかった人も、野次馬が騒いでいる様子に、少しずつ意識を取り戻してきたようだ。
運転手は、車を安全なところに寄せて、事故で倒れている人に声をかけている。
しかし、反応はないようだった。
明らかに、意識を失っていて、返事もなければ、微動だにする様子もない。少しずつその現場に近づいていった不知火少年は、ある地点までくると、もう近づくことができなくなったのだ。
その時に、金属製の独特の臭いがした。
「何だ、この臭いは?」
と感じたが、
「この臭い、初めて感じたわけではない」
と思ったのだ。
それを思い出すまでに少し時間が掛かったのは、かなり前の記憶を呼び起こす必要があったからだ。
その記憶というのは、あれは、まだ幼稚園だったか、小学校に入学している時だったか、思い出せないが、いわゆる、
「物心がつくようになった時期」
から、そんなに経っていたい時期だったように思えた。
あの時は、確か友達の家に遊びに行った時のことで、その友達の家はかなり大きな家だったような気がした。
子供心にも、家の前にある倉庫のようなところに、車が三台並んでいて、
「うわあ、すごいな。お金持ちなんだ」
と感じたのを覚えている。その横には、トラクターのようなものもあり、トラクターの方が珍しいだけに、高級車なんだと感じるくらいになっていた。
ただ、その倉庫の中は、舗装もされていないところで、砂ぼこりが待っているくらいに見えたのだ。
そんな倉庫の中には、中二階のようなところがあり、いわゆる、
「天井裏」
に近いものがあった。
それを昇っていくには、横に階段がついているのだが、その階段が、想像以上に急であるのを感じていた。
それを友達は、難なく上っていく。不知火少年も、その様子を見て、
「俺にだって、簡単に登れるはずだ」
と思ったことで、急いで登っていくと、途中でバランスを崩したのだろう。
「あっ」
と言った瞬間、急にまるでわさびを丸ごと食べた時に、鼻がツンとしてしまったかのような、一種の呼吸困難に陥り、意識が朦朧としてきたのだ。
「このままだと後ろにひっくり返る」
という意識があり、
「何とか前の取っ手に捕まらなければ」
と思ったのだが、時すでに遅かった。
そのまま、背中から落っこちてしまうのを何とか防ごうとして、肘を無意識に出したのだろう。そのまま肘を思い切りすりむく形になった。
だが、すりむくだけならよかったのだが、明らかにまともに肘を打ったのだ。最初は階段でまともにうち、そのまま下の砂の部分をこすりつけてしまった。
血が噴き出して、シャワーのようになっていたのかも知れない。
その時、声が出たのかどうかは分からないが、上まで登り切った友達が急いで降りてきて、親を呼ぶことで、救急車騒ぎになったようだ。
だが、思ったよりもひどいことにならなかったのは、頭を打ったわけではなく、あくまでも、肘だけにケガが限定されたからだっただろう。
しかし、その肘のケガはかなりひどいものだったようだ。
まるで傷口は沼のようになっているのを、自分でも確認し、その痛みが完全に、マヒしてしまうほどのひどさだった。
沼になっていたことで分からなかったが、どうやら、傷口は、骨が見えていたようで、そのまま不知火少年は意識を失い、病院で外科手術を受けることになり、数日入院しなければいけなかったくらいだ。
医者がいうのは、
「奇跡的に」
という言葉が多かったほど、頭を打っていなかったということや、患部が一か所だったということがどれほどよかったのかということを、証明しているかのようだった。
だが、病院のベッドで、麻酔から覚めていくにしたがって、自分の鼻に残ってしまった金属のような異様な臭いが、次第に意識の中で同化しているようだった。その時に、条件反射で、
「鉄の臭いは血の臭い」
と思うようになり、けがをしかかった時、その寸前で予知能力が働くのか、鼻がツンとしてきて、血の臭いを思い起こさせるのだった。
それは、別に血が出る出ないにかかわらずであった。
ケガの瞬間、いや、その直前に、血の臭いが自分の中でよみがえってきて、それが、さらに遠い記憶を忘却の彼方にしようと、記憶が戻ってくるのは、一瞬だったのだ。
その臭いは、金属の臭いだけではなく、何か酸味を帯びた酸っぱさを感じるのだった。その臭いの正体をずっと分からないでいたが、中学時代の交通事故を目撃したその時に、曲がりなりにも分かった気がしたのだ。
それは、逆に、その時、つまり交通事故の現場にて、
「その酸っぱい臭いを感じなかった」
ということからだったのだ。
その時に、
「かつて、嗅いだことのあるこの臭いは、いつどこで?」
ということを考えていると、その思いが、子供の頃の忘却の彼方にあることを、思い出したのだ。
それだけ古いことだから、逆に、
「今でないと思い出せなかったかも知れない」
という思いがあった。
つまり、その感覚があまりにも昔にあったことで、同じような状況になったその時でないと思い出せなかったのだろう。
そして目を瞑ると、子供の頃のケガをした瞬間が、まるでコマ送りをしているかのような感覚で思い出されるのであった。
「一体、あの時って、どういう状況だったのだろう?」
と感じながら思いだしていくと、その時と、今との違いは、臭いの中で、酸味を帯びた臭いを感じないということだということに気が付いた。
目を瞑って浮かんでくる光景。それは納屋のような倉庫で足元のバランスを崩してひっくり返った時のこと。その時に思っていたのは、
「こんな古いところ」
という思いだった。
臭いの酸っぱさは、何もケガをした時に感じたものではなかった。
最初から臭いを感じていたのを思い出したのだ。
その臭い玄以がどこにあるのか、それは、木造だったということだ。
新築の家に感じる、酸っぱいようなあの臭いは、木造家屋の独特な臭いで、自分は嫌いではなかったはずだ。
むしろ、新築のあの臭いを、
「懐かしい」
と思うことで、新鮮な気持ちにさえなっていたほどだった。
その思いが酸っぱさを醸し出すことで、子供の頃と交通事故で感じた臭いとが違うことを感じた。
その時に思ったのは、
「血の臭いって、別に酸っぱさを感じさせないんだ」
と感じたのだが、よく考えればそれも微妙に違っているのを感じた。
血の臭いのどちらがきつかったのかというと、明らかに子供の時の臭いだった。
あれを血の臭いだと思ってずっと来ていたので、中学時代の交通事故で感じたあの臭いは、
「血の臭いではないのか?」
と思ったほどだったが、それは、どうやら違ったようだった。
つまり今から思えば、中学時代の血の臭いが微妙に違ったのは、
「自分の血ではなかったからだ」
ということである。
自分が出した血と、他人の血では臭いが違うのは当たり前ではないかと思うのだ。
その証拠といえるのが、
「自分の声を、自分で感じている時と、テープで撮ったその声を聞いている時では、まったく違う声に聞こえる」
という状況を感じた時のことであった。
というのは、
「以前に、学校で弁論大会に皆の陰謀(?)で出場させられた時、自分ではうまく行っていたと思っていたのに、実際に審査後の順位は、なんと、下から2番目のブービーだったのだ」
という思いを感じた時だった。
その時、放送部の知り合いに、
「何で、そんなに俺って順位が低かったんだ? おかしいだろう?」
と話をすると友達は他のことは言わずに、
「これを聞いてみると分かる」
といって、1つのテープをセットして、聞かせてくれた。
その内容は、まさに自分が発表した内容だったが、そこで流れてきた声は、まさに別人の声のようで、
「誰だ、これは?」
と思わず聞き返してしまった。
「これ、お前さ」
というではないか?
その声は、まるでヘリウムガスを吸い込んだ声のように、明らかに声を作っていると思わせるものだった。
まさか、自分の声がこんな変な声だなどと思ってもいないので、
「何だい? 音響の故障でもあったのか?」
というと、友達は表情一つ変えずに、
「まだ、そんなことを言っているのか?」
と言いながら、やれやれというポーズを示した。
不知火が、分からないという表情でキョトンとしていると、
「これがお前の本当の声なんだ。いや、本当の声というと語弊があるかな? しいていえば、この声を皆が耳から聞いているということさ」
というではないか?
「ということは、自分で感じている自分の声は、人が聞いている俺の声とはまったく違う声で聞こえているということか?」
ということである。
「確かに、この声は、弁論大会ということもあって、緊張などから、君は声が完全に上ずっているし、どこのか分からないような方言やアクセントが出ているので、それが大きなマイナスになったのは分かるだろう? だからこの順位なんだ」
と言われ、
「そっか、知らなかったとはいえ、まさかこんな声だったなんて思いもしなかった。これじゃあ、ビリにならなかっただけでも、よかったと思えばいいということなのかな?」
というと、
「そうだな。だけど、そんなに悲観的になる必要はない。君の声を好きだという人だっているんだよ。だから、自信を無くす必要なないんだ」
と言われた。
「だけど、それは難しいかも知れないな」
と、友達に言った。
「どういうことだい?」
と言われ、
「いや、これはこれで分かるんだけど、一番のネックは、俺自身がこのテープの自分の声を好きになれないんだ。ある意味、自分の一番嫌いな声なんだ」
というと、友達は。
「それは気にしないでいい。実は俺も同じだったんだ。自分の声をこうやってテープにとって最初に聞いた時、少なからずのショックがあった。何がショックだったのかというと、聞こえてきた声が自分の嫌いな声だったからさ。だけどな。それは、声が違うというショックが自分に与えたショックであって、そのうちに慣れてくると、この声が好きになることがある。このショックはしょうがないことであって、あまり気にすることはないと思うぞ」
ということであった。
「そうなのかな?」
というと、
「大丈夫だ。あまり気にしすぎると却って、自分の声以外の他の部分も嫌いになってしまったりするから、余計なことを気にしない方がいい。俺が言いたかったのは、遅かれ早かれ分かることだから、それだったら、早めに推しえてやろうと思ったからさ。だから、お前もあまり気にしない方がいい。いつでも、相談に乗ってやるからな。とにかく今は自分に対して失いかけている自信を取り戻すことだろうな。あまり気にしない方がいいとしか、今の俺には言いようがないがな」
というのであった。
そう言われたことで、あまり気にしなくなったのだが、
「自分で感じていることと、まわりの感じることでは、まったく違う場合が往々にしてある」
ということを、知ったのがその時だったのだ。
その交差点で感じた臭いもそういうことだったのだ。
酸っぱさを感じなかったのは、
「自分の血ではない」
ということからだろう。
ただ、自分のものではない血が、地面に散乱していると、これほど気持ちの悪いものはない。
自分の血を感じたことがあるはずなのに、その臭いの恐ろしさ、気持ち悪さを思い出していると、幼稚園の時の自分の血の臭い、さらに弁論大会の時の声の違いを走馬灯のように思いだしていると、
「どうせ、また将来において、今度は、この事故のことを思い出すようになるんだろうな?」
と感じるようになったのだった。
この3つの出来事が、社会人になるまでの不知火の中での、無意識に残っている記憶と意識であり、
「記憶から絶対に消えないものであり、思い出す時、必ず何かの違和感を感じることになるに違いない」
と感じたのであった。
その三つが走馬灯のようにくるくる回っている感覚は、まるで、
「ハツカネズミが、自分の小屋の中にある、永遠に回り続ける檻の輪のようなもの」
を思い出すのであった。
あれは、子供の頃に昔懐かしの特撮番組ということで、スカパーのチャンネルで見た場組だったが、
「血を吐きながら続けるマラソン」
という言葉があった。
それは、昭和の時代にあった、
「核軍拡競争を強烈に皮肉ったもの」
であったが、それは、当時の東西冷戦を表していた。
つまりは、それを星間に例えたもので、
「地球を守るために、惑星を破壊できるだけの長兵器を開発する」
というスローガンで、完成した兵器を、宇宙のある星に向かって実験しようということになった時、
正義のヒーローとして宇宙から来ていた青年が、考えるのであった。
「地球も守るためなら、何をしてもいいのか?」
ということである。
すると、そう考えた青年は、他の隊員に、
「もし、侵略者が、こちらよりも強い兵器を持てばどうするんですか?」
というと、
「だったら。こっちもさらに強い兵器を作ればいいんだ」
というのだ。
さらに、隊員はこういった。
「長兵器を持っているということを知らせるだけで、相手が攻めてこなくなる」
というのだった。
それこそ、
「核の抑止力」
というものである。
だが、これらの話を聞いて、青年は、一言、こういったのだ。
「それは、まるで、血を吐きながら続けるマラソンですよ」
それを聞いた隊員がどう思ったのか、最後には開発を中止することになったのだが、それは、人間が本当にそんな愚かなマラソンをする動物ではないということに気づいたからなのだろうか?
その時は、そう感じても、侵略者が攻めてくれば、問答無用の相手だった場合、またしても、地球防衛のために、また兵器開発に邁進するだろう。
それこそが、
「血を吐きながら続けるマラソンの真意」
なのではないだろうか?
マラソンも走馬灯も、果てしない無駄な努力は、絶えず、血を吐きながら続けるものなのではないだろうか?
そんな、マラソンを思い出していると、真っ暗な蔵の中に不気味な感覚を覚えたのは、やはり、幼稚園の頃にケガをした、あの時の記憶が最初に思いだされ、さらにその記憶をたどって、中学時代に目撃したあの交通事故が思い出されたに違いない。
中学時代の記憶から、血の臭いがつながっていき、さらに、
「血を吐きながら続けるマラソン」
のイメージを、ハツカネズミのかごの中を思い出したに違いない。
まるで、わらしべ長者のような感覚で、ドミノ的な連鎖反応が引き起こした、
「記憶と意識の交錯」
を、いかに理解すればいいのか?
仕事で疲れた頭や、また翌日早く出てこないと仕事が間に合わないという無言のプレッシャーから、
「自分がどうすればいいのか?」
ということが分からなくなったことで、何をいまさらと思いながら、血の臭いが鼻を掠めていく感じを抱いていたのだ。
元々、その日は、朝から頭痛がしていた。昼前に頭痛薬を飲んだことで、だいぶ収まってきたのだったが、治ったというわけではない。
一時的に痛みを抑えているわけで、根本的な解決になっているわけではない。
そんなことを思いながら歩いていると、何やら、胸騒ぎが感じられるのだった。
子供の頃から、中学、高校時代と、極端に友達が少なかった不知火は、
「俺はそれでいいんだ」
という根拠のない考えをいつも抱いていた。
何がいいのか分からないが、
「下手に友達がたくさんいると、億劫なだけだ」
という思いが頭を渦巻いているのを感じていた。
子供の頃に、時々襲ってきた頭痛があった。
吐き気を伴うその頭痛は、先生からも、
「片頭痛のようなものかも知れない」
と言われたものだ。
「定期的にあるもので、目の疲れや肩にくる疲れのようなものが影響しているんじゃないかな?」
と医者が言ったが、
「そんなに年寄りの身体になってきているんですか?」
と聞くと、
「いやいや、若い人にも片頭痛はつきもので、無理に必要以上に物事を考えてしまうと、余計な神経が回ることで、片頭痛を起こしてしまうことになるんだよ」
と先生は言った。
「じゃあ、ゆったりとした気分になった方がいいのかな?」
というと、
「それが一番いいんだろうけど、実際には、それができないから片頭痛になっているんだよ。しようと思っても、どうすればいいのか分からなかったり、自分のいる現在位置が分からなくなっているから、余計に必要以上な想像をめぐらすことで、頭痛がしてくると、勝手に思い込んでしまい、それが、定期的に襲ってくることでの片頭痛になってしまうのではないのかな?」
と医者は言った。
「ハッキリしないんですか?」
と医者にいうと、
「ハッキリしないというか、それだけ、人それぞれだということだよ。事情や状況、精神状態によって、同じ人間でも、まったく感じ方が違ってくるものなんだ。だから、一概には言えないし、だからと言って、何もしないわけにはいかないので、ある一定のところで、境界線のようなものを引いて、結界のように感じることで、片頭痛のその時がどこから来るのかを考える必要があるんだよね。無理やりにでも結界を作らないと、永遠に、走馬灯のように回り続ける感覚に、押し潰されてしまいかねない状況に陥ってしまうのではないかと思うんだ」
と、医者は答えたのだ。
内容としては、どうにも曖昧な感じではあるが、ハッキリと言い切ることもできないし、ただ、結界が必要なのは、間違いないことのようだ。
後は、そのある地点というのがどこなのか?
そのことを考える必要があるのだろう。
「とにかく、定期的に、しかも半永久的に片頭痛が続くことは避けないといけない。意識の問題が大切だと思うんだ」
と医者はいうのだった。
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