第3話 【新設】苛め問題

 そのまま歩いていると、気が付けば、空ばかり見ていた。足元を見るのは、

「間違って、クリークに落ちないようにしないといけない」

 と思うからで、その日の空は、それだけ、

「空を見ていないともったいない」

 と思うほどだったのだ。

 その日は、それほど風があったようには思えなかったのだが、空に浮かんでいる月が照らしている雲の流れが、結構早いような気がした。

 そう思って歩いていると、一瞬、どこかから圧力のある風が吹いてきて、思わず、身体が宙に浮いてしまうのではないかと思った。

「おっとっと」

 と、声が漏れてきて、急いで足元を見た。すると、もう少しで、クリークに落ち込みそうになっているのを感じて、ゾッとしてしまった。

 そのゾッとした感覚というのは、

「このままなら落っこちてしまったではないか」

 という思いではなく、

「よく落ちずに済んだな」

 と思ったのと同時に感じた、胸騒ぎのような偶然が恐ろしかったのだ。

 まるで、予知能力のようであり、今までにもないわけではなかったが、その時は、ハッとして我に返った時、

「そういえば、最初から胸騒ぎのようなものはあったな」

 とばかりに、まるで虫の知らせのような感覚があったことで、自分を納得させていたのだが、この時は、まったく胸騒ぎのようなものを、我に返った時に感じることはなかったのだ。

「この気持ち、どこから来たというのだろう?」

 という思いを感じた。

 たまに、しかも定期的に起こることで、その時に感じるであろう思いを感じなかったその時、自分がどう感じてしまったのかということで、自分を納得させることができないというのは、

「これほど怖いことはない」

 と思わせるのだった。

 その時も急にそんな思いを感じ、その思いが、目の前にある得体の知れないものを見ているようで、不気味で仕方がなかった。

 しかも、まさかこんな思いに至るなどまったく思っていなかったので、わざわざこっちの道を選んでしまったことを後悔していた。

「別にこの道でなくてもよかったのに」

 と、その時は感じた。

 だが、本当は、最初からこの道を歩く理由が自分にはあったはずなのに、それが何だったのか、思い出せない。

 だから、後になって思い出した時、

「気分転換になるから」

 という、まるで取って付けたような理由にしてしまったことで、自分が納得できるわけがないということを理解していたのだ。

 そんな夜の道を歩いている時に吹いてきた風、

「これ自体が、何かの胸騒ぎなのではないだろうか?」

 その時にはまったくそんなことを感じてもいなかった。

 もちろん、夢を見ていたわけではないのに、そのあたりの記憶が後になるとハッキリしてこなかった。そう、意識の中の時系列がバラバラになっていたのだが、逆にいえば、パズルのピースは、どのように組み立てても、うまくいくのだ。

 ただ、肝心の最期の一つが、嵌らないのだ。それは、パズルでなくとも同じことで、この状態は、一か所どこかが違っているという感覚になっているくせに、

「全部分解し、最初からやり直さなければ、キチンとできるわけはない」

 という風に思い込んでしまっていることが分かっている。

 それは、自分の思いをそれ以外にありえないと思い込ませるという、一種の、

「マインドコントロール」

 ではないだろうか?

 マインドコントロールなどということを考えるというのは、いよいよ、自分が、どこにいるのか分からなくなってきた証拠なのではないだろうか?

 このあたりには、さすがに牛小屋や養鶏場のようなところはないが、このあたりの地主であろうか、少々大きな家が点在している。

 夜ともなるとさすがに気持ちが悪い。大きな庭に、土蔵のようなものがあり、昔読んだ小説を思い出していた。

 その小説は、一人の女の子が、病で土蔵の中に閉じ込められ、そこでずっと暮らしているというものだったが、土蔵というと、湿気があったり、虫が湧いたりと、あまり気持ちのいいものではなかった。

 その子は、顔に大きな痣があり、いつも、頬かむりをかぶって、人に顔を見せないようにしていた。

 その顔を見た人間は、気持ち悪くて、その土蔵に近づかなくなるという。この屋敷は昔から、近所の人がよくやってきては、

「開放的な家だ」

 と言われていたのだった。

 ただし、昔からこの家の蔵には、

「化け物が住んでいる」

 という言い伝えのようなものがあったという。

 ウソか本当か分からなかったが、会社の人から、

「このあたりの昔からの伝説」

 ということで、飲み会の時に、話していた人がいたのだ。

 その時の話が、この家であるということまではハッキリと分からなかったが、その時の話にあった蔵と、ここの土蔵とが、よく似ていることと、

「会社の一番近くにある土蔵のある家だ」

 ということを聞いていたことからの想像であった。

 この家は、江戸時代までは、名主として、このあたりでは、領主に近いものだったようだ。

 だから、このあたりの土地はすべて、この家のものであり、封建制度のことわりとして、他の家は、皆小作人だったといことであろう。

 明治になり、土地改革が行われても、土地を持っている人が強かったことに変わりはなく、戦後になって、ようやく、地主としての地位が崩壊したことで、民主主義により、この家は、普通の家を化してしまったのだ。

 それでも、昔からの土地は残され、今に至っていることから、蔵が残っていたり、土地の中では、最新式の家屋もあれば、土蔵と変わらないような、まるで、昭和初期を思わせるような建物も残っていたりする。この土地は、まるで、

「生ける博物館」

 とでも言っていいのではないだろうか。

 それだけに、このあたりは、戦後も変わりなく、昔からのものが残っていたりする。何と言っても、手前にある浄水場を作る時、

「昔の防空壕跡が、まだ残っていた」

 と言われるほどだったのだ。

 そもそも、浄水場のあったあたりは、雑木林が生え放題になっていて、竹やぶであったり、小高い丘になったような場所もあったという。そんなところを重機で開拓し、切り開いた土地を整地したりしたのだから、防空壕が出てきたとしても、不思議はなかっただろう。

 ただ、そういう意味ではこのあたりにも、戦時中は戦闘機や爆撃機が来ていたということで、その方がビックリさせられた。

 だが、聞いてみると、それも無理もないことで、この奥にあった、例のお弁当を食べたというあの公園。あそこには、今は病院が建っているのだが、戦時中は、あのあたりに、大規模な軍需工場があったという。

 それだけに、軍需工場を目指して敵の爆撃機が襲い掛かってきたのは当たり前のことであり、空襲は毎日のことだったという。

 今でこそ、昭和のイメージをそのまま残したこの街であるが、昭和初期には、このあたりは軍需工場や、軍の基地があったりして、それが、街の財政を支えていたといっても過言ではなかったであろう。

 そういえば、今でも、昔の名残のような製鉄会社などが残っていたりする。

 それだけ、世の中の時代は進んでも、このあたりの土地の時計は止まっているのか、それとも、恐ろしいくらいにゆっくり進んでいるということなのか、

 このあたりは、下手をすれば、不発弾が、いまだに眠っているところなのではないかと言われている場所だった。

「田舎であって、田舎ではない」

 と冗談めいた話をしていた人がいたが、地元にずっと住んでいる人にとっては、この一言がすべてを言い表しているのかも知れない。

 その土蔵に少女が住んでいたのは、明治時代くらいだったという。その少女は、何かの病気を患っていて、病気療養で、田舎に来ていたというのだが、その田舎では、近くに、サナトリウムがあったという。

 サナトリウムに入っていた人は、以前、この屋敷に、奉公に来ていて、土蔵の中で、この女の子の世話をしていたというのだ。

「サナトリウムということは、結核治療を必要とする人が入る施設だ」

 と言われている。

 だから、彼女も結核で、ここに奉公に行っていた人も結核だったのではないか?

 と思われたが、それなら、彼女を土蔵などに匿うことなく、さっさとサナトリウムに入れるはずなのだが、それはしなかった。

 確かに、ここのご主人が、娘を溺愛していたということはあったようだが、モノが結核だけに、伝染病患者をいくら蔵の中とはいえ、匿うというのは、おかしいだろう。

 当時は不治の病だったこともあって、不憫だというのも分かるが、ここはいまいちわからないところであった。

 サナトリウムに入った人は、結核病棟に入ってから、半年くらいで亡くなったという。しかし、結核の疑いがあったはずの、土蔵の中の彼女は、ずっと生きていたという。

「結核だったら、ずっと生きているというのはおかしいよね」

 と言われていたので、

「結核ではないのかも知れない」

 ともささやかれるようになった。

 そのうちにウワサとして、

「脳か神経に、致命的な病があるのではないか?」

 とも言われ始めた。

 それをまわりに隠すために、隔離していて、

「伝染病というわけではない」

 と言われたが、では、サナトリウムで死んだ彼は何だったのだ?

 ということになるが、それはあくまで、彼女とは関係のないところで、結核として入院したのではないか?

 と言われたものだ。

 実際には、彼女は結核ではなかった。

 今となって、ご主人の日記が後から出てきたことで分かったことだが、

 彼女の、頭の病は本当だった。ただ、彼女をどうしても隠しておかなければいけない理由として、彼女には、生まれた時に、双子の赤ん坊がいた。当時この村での言い伝えとして、

「双子の姉妹は不吉である」

 と言われていたということであった。

 そのために、本当であれば、一人を殺してしまわなければいけないところを、ここの主人が、あまりにも不憫ということで、蔵の中で、二人を監禁して、たまに表に出るようにしていたという。

 だから、土蔵の中で、表に出ることもなく、監禁できたのだ。

 時代もまだ明治ということもあり、学校に絶対に行かなければいけないわけでもなく、金持ちである主人の財力で、戸籍もごまかした。

 実際に、この村はこの主人が一番の権力者で、逆らえば、この村では生きていけないというほどの、権力者だったのだ。

 それをいいことに、二人で一人を演じていた。

 ミステリーなどでは、

「一人二役」

 などというものがあったり、ホラーなどでは、二重人格者としての、

「ジキルとハイド」

 のような話があったりしたが、日本の明治では、このようなことが平然と行われていたというのは、この村の黒歴史だったようだ。

 ずっと、誰にもバレずにきたようだが、戦争が終わり、土地改革などに、政府や占領軍が乗り出してきて、民主主義を押し付けてきたあたりから、黒歴史を黙っていることはできなくなった。

 しかし、あまりにも衝撃的過ぎることなので、一般には公開されなかった。

「一部の人間だけが知っている」

 というだけのことで、誰もこのことを公開することもなかったが、何やら、変なウワサというところで、広がるのはしょうがないことだったのかも知れない。

 蔵の中がどうなっているのかなど、今まで蔵に入ったことがなかったので、よく分からない。

 しかし、どこか懐かしさのようなものを感じるのだが、その反面、少し気持ち悪さもあった、

 というのは、何かの臭いを感じて、吐き気を催す感じがするのだが、それは汚物と何か別の臭いが混ざっているのを感じたからだ、

 その汚物というのは、牛や馬の排せつ物の臭いだった。

 本来なら感じることはないのだろうが、臭いだけなら、ごく最近感じたことだった。

 しばし考えていると、その思いはすぐに分かった。

「何だ、そういうことか」

 といって笑い出したくなるほどのことであったが、何を笑い出したくなるのかというと、それは、通勤の最中に感じた、牛小屋や、養鶏場の臭いだった。蔵のようなものが、養鶏場のある家では見て取ることができる。そこに何があるのかは分からないが、この場所の蔵を見て、想像したのは、きっと毎日のように見ている養鶏場の蔵を思い出していたからだろう。

 最初は珍しいと感じながら見ていたはずだが、その光景にも慣れてくると、見えていても、まったく意識をしなくなる。

「ああ、蔵があるな」

 思っていたのも、今では、感じることもなくなってしまっているようだった。

 だから、ここで蔵を見た時、養鶏場の蔵のイメージは湧いてきたのだが、湧いてくるだけで、それは養鶏場だということを、

「どこかで見たような気がする」

 と思いながらも、瞬時に結びつけることはできなかった。

「慣れというのは恐ろしいものだ」

 と感じるゆえんだったに違いない。

「では、一体、汚物と一緒に感じた気持ち悪い臭いとは何だったのだろう?」

 と感じた。

 その臭いは、汚物の臭いのようにごく最近感じたものではないか、遠い過去において、何度も感じていたことだったように思う。

 だから、汚物の臭いと同じように、重なって感じても、違和感がなかったのだ。

 そんなに古い記憶であれば、最近の記憶に太刀打ちするのであれば、それだけ印象が深いものである必要があるのか、それとも、よほど、毎日のようにでも感じていることでなければいけないのだろうと思うのだった。

 その臭いが、

「まるで、金属のような臭いだ」

 ということを感じた時点で、それが何の臭いなのか分かった気がした。

 確かに、昔。そ9う子供の頃に、しょっちゅう感じていた臭いだった。それがなぜ蔵と結びつくのかハッキリ思い出せなかったが、最初に感じた。

「蔵の中に入った記憶はないが」

 という記憶が、実は間違っているのではないか?

 と思うのだった。

 そんなことを考えていると、

「俺の子供の頃の記憶って、まるで後から別の記憶で塗りつぶされたかのように感じるんだよな」

 ということであった。

 その時、

「ああ、この臭いって、血の臭いだったんだ」

 と、思ったのだ。

 この思いが昔の記憶を引き戻すきっかけになると思ったのだが、肝心の記憶が戻ってくることはなかった。

 しかし、

「この臭いが血の臭いだ」

 ということを感じると、別の記憶が思い出された。

 その記憶には蔵が出てくるわけではないのだが。なぜ、蔵と血の匂いが結びついたのか、自分でもよく分からなかったのだ。

「血の臭いの記憶の正体」

 というのが何だったのかというと、

「確か中学の時に見た、交通事故だったような気がするな」

 というものだった。

 F市の中心部の幹線道路があるところが、中学時代の通学路だった。

 その日は、学校が終わっての帰宅の途中。別に特別なことがあったわけでも、普段と違う行動をしたわけでもない。

 そもそも、毎日ほぼ同じ行動をしていた不知火だったので、毎日の行動はいわゆるルーティーンのようで、別のことをするのが不安に感じるほどだった。

 それもあって、子供の頃から友達の数は皆に比べると、極端に少なかった。もちろん、一人もいないというわけでもないし、まわりから孤立していたり、苛めに遭っていた李ということもなかったのだ。

 学校でも、別に変わったことをするわけでもない。先生に逆らうわけでも、何でもない。恐ろしいくらいに、ほとんど何かを感じるということもなかった。

 極端な話、誰かが苛められているのを見ても、見て見ぬふり。苛めが怖いとも思わない。そんな不知火を苛めっ子も、見て見ぬふりをしていた。どうやら、やつらも不知火を怖がっているようだった。

 別に何かをするわけでもないのに、不知火が見るその能面のような、

「一体何を考えているんだ?」

 というその顔は、じっと見ていると、金縛りに遭ってしまうようで、ずっと見つめていると、身体が動かず、まるでクモの素という罠に引っかかった蝶や蛾が、クモに食べられるのを待っているだけのような恐ろしさを感じているようだ。

 苛めっこというのは、そういうこの存在を一番恐れているようなのだが、実際に自分の周りには一人は必ずいる存在だという。

 だからと言って、自分に何かをするわけではないのだが、無視することもできない。もし、無視してしまうと、自分の運命はそこから転落することが感じられてしまい、将来の悲惨さが見えはしないが、見えているという錯覚に襲われる。

 それは、本人に対しての抑止力が働いていて、苛めは辞められないが、それ以上に発展しないような抑止であった。

 これは、不知火が抱いている、苛めに対しての、

「妄想」

 なのだが、

「苛めっこというのも、別に苛めたいから苛めているわけではない」

 と感じるのだ。

 自分の中でどうしようもない感覚がある。それは、苛めっこの理屈の中の、

「勧善懲悪」

 のようなものである。

「勧善懲悪? 苛めをしておいて勧善懲悪もないものだ」

 と、きっとまわりお人はそういうだろう。

 しかし、苛めっこが苛めをする理由は。

「勧善懲悪」

 だった。

 勧善懲悪という理屈に、実は。まわりの人間も、いじめっ子にもさほど違いはないようだ。

 苛めっこからみれば、いじめられっこには、悪という文字が渦巻いているように見える。さらに悪いことに、そこには、いじめられっ子なりの理屈があり、その理屈の下で、まわりを欺き、まわりには、

「苛められて実に惨めだ」

 という姿しか映らない。

 これは普通の人が感じる感情であるが、いじめっ子には、そんないじめられっ子が、まわりを欺いていることで、自分が絶対に安全だということを分かっていて、いじめっ子に対して、

「お前がいくら俺を苛めようとも、正義は俺の方にあるのだ」

 という、明らかな、

「歪んだ悪」

 というものが見えているのだ。

 しかも、その歪んだ悪がまわりに見せる光景は。

「いじめっ子の理不尽な苛めで、耐えられなくなったいじめられっ子が、誰も助けてもらえない中、もがいている。しかも、いじめっ子は、そんな彼に容赦をすることなく、悪魔の笑みを浮かべて、さらに苛めを行うのだ」

 ということであった。

 しかも、まわりは、

「自分たちに、あのいじめっ子に逆らうことはできない」

 という後ろめたさからか、完全に、いじめられっ子の描いた、勧善懲悪を皆に刷り込むことができる。

 これほど、完璧な洗脳があるだろうか?

 いじめっ子はどうしても苛立ってしまう。自分が見ている光景を、

「どうしてまわりは見えないんだ?」

 と思うからだ。

 いじめっ子が一番嫌だと思っているのは、まわりが感じている、その

「後ろめたさ」

 に押し潰され、本来であれば、味方になってくれるはずのまわりが、すべていじめっ子に注がれているように見えることだ。

 しかし、さらに外から見ると、いじめられっ子は四面楚歌だった。

 苛めをまわりが止めるわけではないことから、

「黙って、見ている連中も同罪だ」

 と、いじめっ子から見ると、敵であるまわりのいわゆる、

「第三者の中立」

 と結びつきたくもないのに、同類に思われることはたまったものではない。

 それを考えると、苛めに対しての心に大きな穴が開いた気がする。そのせいで、苛めの勢いはなくなり。本当は、そんなに苛めが激しくもないのが分かっているのに、いじめられっ子が、わざわざ大げさに、嫌がるものだから、いじめっ子がさらに孤立してしまうのだ。

 それでも、勧善懲悪というのは、悲しい性で、そこまで分かっているのに、やめることはできない。

「どうすればやめることができるんだ?」

 と思うが、いじめられっ子の呪縛と、洗脳が、やめさせてくれないのだ。

 いじめられっ子の方も、いじめっ子がいての自分の存在だ。そんなことでしか、自分の存在をまわりに示すことができない。まわりからの同情が、生きていくうえでの自分の力であり、生きがいでもあった。

 だが、時間が経つにつれて、いじめられっ子も、その矛盾に気づくようになってくる。

 そうなると、洗脳という神通力がなくなってきて、まずはいじめっ子の呪縛が解けてくる。

 あれだけ、

「どうやったら、やめられるんだ?」

 と思っていたのがウソのように、勧善懲悪の気持ちといじめられっ子に対しての恨みや憎悪が消えていくのだった。

 それも、スーッと消えていくので、心地よさすら感じる。

「これで俺も救われた」

 と思うと、今度は、いじめられっ子に対して、あれだけ思っていた勧善懲悪の呪縛が解けたことで、自分から話しができるようになってきた。

 そして、話の最初は、

「苛めてしまってすまなかった」

 という謝罪だった。

 いじめられっ子もその時は、自分がまわりを洗脳していたなどという意識はない。ただ、自分の中で

「苛められるには苛められるだけの理由があったのではないか?」

 と、この時になって初めて反省をするのだが、そんな時にいじめっ子が誤ってくるのだから、これを許さないという理由はないだろう。

 この和解が、友情を育むことになり、まわりは、今度は興ざめしてしまうのだ。

「何だ、結局仲直りか。面白くない」

 とばかりに、中途半端で終わったことに、憤りすら感じる。

 だから、すべてが終わった後に、冷静に見ている人がいれば、

「一番悪いのは、いじめっ子でも、いじめられっ子でもなんでもない。中立をいいことにいじめられっ子を見て見ぬふりをしていたまわりの連中だ」

 ということを、まことしやかに言われるようになるのだ。

 実際にそうである。実に、

「中立」

 という言葉は都合よくできているのだ。

 中立をいい悪いと考えると、言葉上は、非常にいい言葉に聞こえるが、それは単純に逃げているだけだと思っているのだが、実際にはいじめられっ子を見て、

「俺はあいつよりも、まだマシだ」

 ということを感じることで、自己満足に浸ろうとする。

 だから、苛めがなくなってしまうというのは、傍観者にとっては、都合の悪いことではないのだろうか? 自分の精神安定が脅かされるという感覚であろう。

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