第6話 身元不明
今回の事件は、発見された死体が誰なのかということは判明していたので、
「この事件が、半年前の事件と結びついている」
ということが分かった。
それも、まるで待っていたかのように結びついたのは、気持ち悪いくらいではないか。
もちろん、今回の事件と前回の事件の担当刑事が同じだったことは偶然には違いないが、他の人が担当であったとしても、遅かれ早かれ分かることだったはずだ。
事件はもちろん殺人事件として捜査本部が開かれたが、問題は、
「これが、半年前の事件と、一緒に考えてもいいのだろうか?」
ということであった。
前の事件は、捜査本部も解散し、半分、迷宮入りになりかかっている事件だっただけに、思わぬ形で糸口が見つかったわけだから、前の捜査を新たに引き継ぐ形にしてもいいものかということでもあった。
というのは、捜査員の中には、
「半年前の事件とは関係はない」
と思っている人もいる。
何と言っても、半年前の事件で、今里という人間は、経営コンサルタントという立派な仕事をしているわけだが、そういう仕事をしていれば、さすがに、すべての会社を救うことはできないであろうし、また、請け負った会社を救おうとするならば、零細企業に犠牲になってもらうというやり方をするものである。
そうなると、零細企業はどうなるのか? 最悪の場合を考えると、恐ろしい。昭和の時代などは、一家心中などという言葉があったりして、今でもきっとあるだろう。
しかも、コンサルタントとしては、
「そんな小さな会社にかまっていられない」
などと考えていて、ほとんど眼中にないということいなると、殺されたとしても、
「心当たりはない」
ということになるだろう。
本来であれば、そのあたりまで厳密に探して、捜査すれば、どこかで行きあたっていたかも知れない手掛かりに、ほじくり返せばかえすほど、まるでねずみ算式に心当たりが増えていくのだから、一歩間違えると、果てしなくなり、無限といってもいいかも知れない。
そんな捜査をしていると、警察も人員が割かれてしまい、他の捜査がおろそかになる。
よほどの事件でもなければ、人海戦術は使えないのだ。
だから、
「手がかりがほとんどない」
ということになって、事件を迷宮入りさせてしまった。身内も、会社の人からも、
「絶対に犯人を捕まえてくださいね」
などという言葉もなかった。
関係者からも、そこまで強い要望がなければ、警察もそこまでかまっているわけにもいかない。
「もっと検挙率のいい仕事をしている方がマシだ」
ということで、捜査本部も解散、きっとあの時の捜査員も、すでに他の事件でバラバラになったこともあって、ほとんど過去のことになってしまったことだろう。
実際に、今回関わることになった二人も、正直、半分忘れかけていた。新しい事件を追いかけなければいけないと考えていた矢先のこの事件、まさに、ショック状態で、何か刑事として忘れてはいけないものを思い出させる何かを叩きつけられた気分になったのであった。
新たな捜査本部はできたが、半年前の事件の捜査員は、初動捜査に出た二人だけで、他の人たちは別の事件を追いかけていた。実際に、ここ最近、いろいろな事件が発生し、捜査本部ができないまでも、警察の捜査を必要としたものがあったのだ。
その一つに。今回の事件が発生する2日ほど前に発見された、身元不明の死体の捜査というのがあった。
その死体が、事故によるものなのか、事件によるものなのかが分からなかった。
発見されたのが、城西区から、南区の方に向かう峠のようになったところで、車が何かをひっかけたということで、事故として、最初は届けられたが、どうやら、車が轢いた時点で、その人は死んでいたようで、つまりは、
「死体を轢いた」
ということになるのだ。
その死体も、交通事故による死体遺棄なのか、つまりはひき逃げということもありうるとして、交通課から、刑事課に依頼がきたのだった。
「ほぼ、十中八九、殺人ではないか?」
ということで、司法解剖にも回されていた。
解剖内容としては、初見の通り、死んだ後で、車に轢かれたということであった。
その死亡理由は、青酸カリによる中毒死だということであったが、彼が車に轢かれた理由として、山間に車を止めて、そこで青酸カリを服用し、そのままその場で死ねなかったのではないかという分析であった。苦しさから道に飛び出してしまい、そのまま、道の真ん中で絶命してしまった。そこを運悪く車が通りかかったということではないかと考えれば、辻褄が合うであろう。
ただ、その青酸カリは自分の服用したものなのか、それとも人に飲まされたものなのか分からない。ただ、一つ不思議なこととしては、峠のようなところなのに、この男が乗ってきたであろう車がどこからも発見されなかったということである。近くにバス停があるわけではない。それを考えると、誰かに連れてこられて、その場に遺棄されたのか、もし、そうだとすれば、
「苦しんで道に飛び出した」
という説はなくなってしまう。
そして、さらに気になる点がいくつかあった。
その男の来ていた服装があまりにもみすぼらしいものだったということだ。洗濯した跡もない。ネクタイをしていて、靴もボロボロだ。
「ホームレスの中に、こういう男性もいたりするな」
と刑事は考えていた。
そういう意味で、
「もし、ホームレスだとすれば、自殺をするのに、青酸カリなど、どうやって手に入れたというのか?」
という思いと、
「自殺であるとすれば、自殺の原因は何なのか?」
ということである。
何が原因だったのか分からないがホームレスになった時、自殺を考えなかった人が、ホームレスになって、自殺をする心境とは何なのかを考えてみた。
「もう、これ以上、落ちるとことはない」
と、人生に完全に失望したのだろうか?
などと、考えてみたが、どうも、この問題は永遠に分かりそうにもなかった。
それよりも、可能性としては、他殺の方が大きいような気がする。ただ、そうなると、動機がこれまた問題になってくる。
殺人を犯すということは、犯罪者の方としても、かなりのリスクがあるということで、覚悟が必要なはずである。
つまり、相手を殺すことで、自分には大いなるメリットがあり、リスクと天秤にかけても、メリットの方が大きいということである。
例えば、被害者が死ぬことで、犯人に莫大な遺産が転がり込んでくるなどであるが、この場合は、警察の捜査で一番最初に疑われることである。
何と言ってお、警察が疑うのは、
「被害者が死んで、誰が一番得をするか?」
ということが、捜査の出発点だからである。
犯人にだって、それくらいのことは分かるに違いない。
次は、怨恨が考えられる。被害者の男に自分の大切な人間を奪われた。あるいは、自分自身が得るはずだった幸せを壊されてしまった、などというものである。
これも、考えられることである。相手を殺すことで、恨みを晴らす。今の日本は仇討や復讐は、法律で許さえていない。だから、いくら相手が殺人犯であっても、その人間を殺してしまえば、自分も殺人犯なのだ。
これこそ、相手を殺すことで、自分も終わりだという、相打ちになってしまうことを覚悟の上での犯行だといえるのではないか。
被害者が、ホームレスになっているのは、そんな復讐から逃れるためだとすれば、この怨恨説も理屈に合う気がする。
どこで知ったのか、自分が殺されるかも知れない。自分は狙われているんだと思っても、警察に相談はできない。
自分がかつて誰かに何か犯罪行為をしたとして、警察の追及を受けていないのだとすれば、それは自首に近いことだ。
刑務所の中が安全だともいえるが、さすがに、ここでの自首は自分の人生を棒に振ることになる。
そこで、一時身を隠すという意味で、ホームレスにカモフラージュしていたというのは、無理のあることであろうか?
少し無理を感じるが、考えられないことでもない。
まあ、もっとも、今の段階で何をどう想像しても、それは、架空の妄想でしかないのだった。
というのは、被害者の正体が分からないからであった。
所持品はほとんどなく、
「やはり、彼が他殺であって、身元の判明に時間が掛かるように、身元の分かるようなものを最初から抜き取っておいたのだろう?」
というものであった。
そうなると、もう一つ考えられることとして、被害者が死んだのは、本当にあの場所だったのかということである。
毒殺だから、吐血がそのあたりにあるかないかで、死んだのがそこなのか、別の場所なのかということは分かるのだろうが、被害者は、車に轢かれているのである。その時に、身体からは結構な血の寮が噴き出していた。そうなってしまうと、本当に死んだ場所がどこなのかということも分からなくなってしまうのだ。
「犯人が、あそこに死体を遺棄したのだとすると、わざと死んだ後、その場に放置し、車に轢かせることで、殺害現場を分からなくしたということだろうか?」
と一人がいうと、
「じゃあ、何のためにですか?」
というと、
「考えられることとしては、アリバイ工作。あそこで死んだのだということにしてしまえば、犯人にアリバイができるということなのではないかな?」
という。
「でも、それって、被害者が誰なのかが判明し、警察の捜査がその人に及んだ時に効果を発揮するものですよね?」
というと、
「うん、そうだが」
と、まだ、分からないようだったので、
「アリバイ工作ということであれば、アリバイ工作をした人間からすれば、早めにその手の内を警察に明かす必要がありますよね? 時間が経てば、それだけ人の記憶も、証拠もあいまいになってくる。犯人が、身元を分からないようにしたのだとすれば、そこに大きな矛盾が生じないですか?」
と、言われ、初めて、
「あっ、そういうことか。そうなると、この事件は、アリバイ工作が目的だとすると、確かに矛盾を感じますね」
ということが分かったのだ。
彼のアリバイ工作という考えは確かにセオリーから考えると、考えられることであったが、まわりの刑事とすれば、別の方向から事件を見ていた。何と言っても、一番の疑問としては、
「犯人はなぜ、被害者の身元が分かるものをすべて抜き取るようなことをしたのか?」
ということである。
確かに、
「日本の警察は優秀だ」
と言われていることからも、いくら身元が分かるものを隠してみたとしても、少し時間が掛かるであろうが、これは殺人事件だということになって、その気になって捜査すれば、いずれは、身元が判明するということは、犯人にだってわかっていることであろう。そうなると、それでもいいから、時間稼ぎをしたいということになる。
それは、先ほどの考え方から、
「アリバイ工作を併用して使えない」
というリスクがあることから、
「この事件に、アリバイ工作はない」
ということの証明でもあった。
それを踏まえてでも、身元がバレるのを遅くしたいということであるのだが、そこにどんな意味があるというのか、それが問題だった。
さらに、疑問となったのは、なぜ、峠のあの場所だったのか? 死体を遺棄しているところを人に見られる可能性が低いということだろうか? それともう一つ考えられるのは、真っ暗な中で、深夜のほとんど交通量の少ないところでは、結構車を飛ばして走っている人が多いので、目の前に死体が転がっていても、気づくのが遅れて、轢いてしまう可能性は高くなるだろう。
都会のど真ん中では絶対にできないことに違いなかった。
そうやって考えると、
「あの場所での死体発見」
というのは、どの方向から考えても、辻褄は合っている。
そう考えると、
「この事件は、最初から綿密に計算された事件であり、アリバイ工作は、今回の事件で考えられていないと思った方がいいのではないか?」
という考えが、捜査員の中で共通した思いだったようだ。
とにかく、まず一番最初に取り組むことは、この被害者の身元の特定であった。今のところ、何ら手掛かりはない。
身体の特徴も、解剖しても、これと言って何もなかった。歯の矯正の痕はあったが、どこにでもあるような治療痕であり、それだけで、市内の歯医者に当たるのは無理があるだろう。
身体にメスを入れた痕もない。肉体的には、手掛かりとしてはないのだった。
年齢としては、30代くらいであろうか? 会社員だとすれば、係長クラスと言ったところではないかと思われた。
身長も、170㎝を少し超えたくらいの、中肉中背。まったく手掛かりになることではない。
後は、捜索願の出ている人の捜索であった。
「捜索願か。そういえば、半年前の殺人事件で、捜索願の出ていた人が、事件に関わっているんじゃないかって、その人の捜索もしたんだったよな」
と、今里の事件で、花園店長の捜索をしたのを思い出していた。
「ああ、あの時の事件だよな。だけど、花園店長も見つからないし、一向に、今里氏の寺家の全容が見えてくるわけではなく、却って、捜査が進むにつれて、霧の中に包まれていくような気がしてくるんだよな。どうしてだったんだろうか? 何か、俺たちがミスリードされていたということなんだろうか?」
と考えると、捜査が経ち切れになって、迷宮入りに入ってしまったことが悔やまれるのだった。
「まさか、この死体が、あの時行方不明であった花園店長だったりはしないよな?」
などと言って、鑑識に聞いてみると、
「整形手術の痕などまったくない」
という答えが返ってきた。
鑑識は少し立腹していた。何しろ、
「被害者には、メスを入れた形跡はない」
と言っているのに、
「何を聞いていたんだ?」
と思ったからだった。
もちろん、二人とも分かってはいたが、それでも、活路という意味で、もう一度確認してみたくなった気持ちは分からなくもない。それを思うと、
「この事件も、また厄介な事件になるのではないか?」
と思えたのだった。
今回は第一発見者というのは、車で死体を轢いてしまった人であり、彼は、最初、
「人を轢いてしまった」
ということで、頭の中はパニックになっていたが、
「轢いたのは、死体だった」
ということで、少なくとも、
「業務上過失致死」
ではないということで安心はした。
だが、まったく罪がないわけではない。いくら真っ暗な道であったとはいえ、前方不注意で死体であっても轢いてしまったのだ。そこに発生するのは、器物破損になるのか、それとも、遺体を傷つけてしまったことでの罪が何かに引っかかるのであろうか? とにかく、ただではすまないということだけはハッキリしているのであった。
もちろん、彼に第一発見者だとしての話を聞いても、分かるはずもない。
「道に転がっている何かを轢いてしまった」
と感じただけだということだからであった。
それが、まさか死体だったなんてということになると、彼はその時の気持ち悪さを思い出すには思い出すが、それ以外のことはまったく分からないのだ。近くに誰もいなかったということだけは、分かるということであった。夜中の田舎道、すれ違う車もほどんどなく、警察が来るまで、彼は茫然自失だったということである。
実際に警察が来た時、彼の顔は、顔面蒼白であったのは、すぐに分かった。かなりの小心者だということであろう。
ただ、今のところ、この男の身元を示すものが何もない限り、判断のしようがなかった。そんな時、その2日後に、行方不明になっていて、半年前の事件にかかわりがあると思い、捜索していた人間が、他殺死体で発見されたのだ。その事件も謎が多く、この事件などは、謎どころか、身元すら、分からないのだから、どうしたものなのだろうか?
他殺死体というものが、どういうものなのか、自殺とどこが違うのか?
そんなことを、若い頃に考えたのを思い出していた。
「自殺だから、仕方がない」
だとか、
「自殺なんて、自分たちの仕事ではない」
などと考えていたのは、若さゆえのことだったのだろうと、思ったほどだった。
そんな時先輩が、
「そんなことばかり考えていると、自分を追い詰める」
というのだった。
1年目はがむしゃらに突き進んでいたが、2年目くらいから、どうにも考え方が変わってきた。それまでは、間違った考え方であっても、ほとんど否定されることはなかった。突き進んでみて、結果、違っていたということなのだが、先輩は、間違った答えを後輩が出すということをわかっていたかのごとく、先輩は先輩で答えを用意してくれている。つまりは、尻ぬぐいまでしてくれているのだった。
だから、一年目はがむしゃらにできた。
しかし、2年目からはそうもいかない。間違っていると思ったら、先輩は、
「それは間違っているという指摘はしてくれるのだが、どこが、何が間違っているのか」ということを教えてはくれない。
「それは自分でちゃんと発見しなければいけないんだ」
と言われるのがオチだったのだ。
今では、その頃の教訓がいかされて、先輩から期待もされ、後輩にも指導ができるようなったと思っているが、まだまだ先輩に及ばないところが多かった。
「とにかく、自分からいろいろ思ったことを言ってみるといい」
というのが先輩の意見だった。
最初は、どんな発想であっても、間違っていると思ってしまうと、それよりも先に進まない。
しかし、先輩の話していることであっても、それをすべて正しいとは思わず、自分オリジナルの意見を出すようにすればいい。先輩の意見にばかり合わせていると、自分が先輩になった時、何が正しいのかが分からなくなり、率先して発想を出さなければいけない立場になった時、まったく発想が出せない刑事になってしまうと、
「そんなのは、刑事でも何でもない。誰にだってできることだ」
と言われてしまうに違いない。
だから、先輩の意見をそのまま受け入れるのではなく、どういう発想から事件を掘り下げていくのかというところを見るようにしていた。
「答えは、そこにあるとは限らない」
という発想に至ることができたことで、何か、それまでに見えなかったものが見えてきた気がしたのだ。
「身元不明の被害者が誰なのか?」
ということをそのまま考えると見つかるものも見つからない。
当然、捜索願や、やくざやチンピラなど、身元不明の死体で上がりやすい人たちを考えて地道に捜査するというのも、捜査のいろはとしては重要なことであるが、常識的な発想以外で、どういうものがあるかということを考えるのも、刑事の仕事だと思っていた。
「そのために、今までいろいろ経験したのでhないか?」
というものである。
この若い刑事、新山刑事は、学生時代、ミステリーが好きで、よく探偵小説を読んでいたりしたので、どうしても、そっちの発想に走り勝ちなのを、なるべく抑えようと思っていたのだが、先輩刑事と話をしていると、意外と、昔読んだ推理小説や探偵小説などの話を刑事の経験と一緒に絡めて考えるのも、悪いことではないかのように思えるのだった。
新山刑事は、学生時代ミステリーサークルに所属していて、自分でも、ミステリーを書いて、同人誌のようなものをサークルでも発行していた元々、ミステリーが好きだということもあったが、それよりも、自分で作品を書いて、投稿するというのが好きだったのだ。
だが、彼はプロになろうとは思わなかった。
「刑事になりたい」
という思いが中学時代から強かったことが理由なのだが、それはやはり、刑事ドラマなどの影響が大きかったのだろう。
だから、キャリア組というものには最初からあこがれることはなかった。それでも、
「えらくならないと、自分がやりたいことはできない」
という泥臭さもドラマの中で見てきた。
「どうして、それでも警察官になりたい」
と思ったのかというと、自分でもよく分からない。
警察官になることが、自分にとってどういうものなのかもわからなかったので、ただ、
「警察官になりたい」
という思いだけで、中学、高校時代を過ごしてきたので、大学に入ってから、自分の進みたい道を変えることへの勇気はなかったのだ。
「こんなことなら、最初からなかったほうがよかったのではないか?」
とも考えたが、それは、夢だと思ってきたことが、いつの間にか自分を拘束してしまっていることで、気が付けば、逃れられない運命を自分で築き上げてしまったのだということになってしまったのだ。
その時、自分が何について悩んでいるのか、何を悩まなければいけないのかという、
「大いなる謎にぶつかってしまった」
と考えるようになった。
それは、大学時代まで、何になりたいのかなどまったく考えず、胃が付いたら、就職した先が、別にやりたいことでも何でもないことだったという結末に至ったとしよう。
もし、そうなると、
「したくもない仕事をさせられている」
という意識を持つことで、自分の逃げ道を作ってしまったことに気づくのだった。
「どうせ、自分が最初からしたいと思った仕事じゃないんだ」
と思うことで、
「いやなら辞めればいいんだ」
と考えることで、自ら、逃げ道を作っていることに気づいているのに、気づかないふりをしていることだろう。
しかし、気づいていないこととして、
「一度辞めてしまったら、今まで以上の条件はありえない」
ということを、本人はわかっているつもりなのだが、理解はしていないのかも知れない。そして、もう一つの問題は、
「一度逃げ出してしまうと、逃げ癖がついてしまい、我慢をすることができなくなってしまう」
ということであった。
それでもいいと思っていると、成長はないと言われるが、仕事に対して、
「何を正著しなければいけないというのか?」
と考えるのだ。
そもそも、やりたいという意識があって飛び込んだ世界でも何でもない。
「仕事なんて、生活していければそれでいいんだ」
と考えさえすれば、そのうちに、自分に合う仕事が見つかるかも知れないと考えるのだ。
確かに生活ができればいい。自分が何者であっても、別にどうでもいいではないか?
もし、自分が警察官になっていなかったとすれば、そういう感情を持って、どこかで仕事をしていたかも知れない。
その時点で、仕事に対して執着はない。そして、自分の存在自体に執着すら持てていないかも知れない。
そんなことを考えていると、今回の身元不明の死体も、
「一歩間違っていれば、これが自分だったかも知れない」
と感じていた。
確かに中学の頃から、
「警察官になりたい」
という思いはあったが、確かに、そお信憑性は次第になくなっていた。それを確定させたのは、大学時代に所属していたミステリーサークルだった。
「小説を考えていると、中学時代に警察官になりたいと思ったことを思い出してきた。本当は探偵になりたかったが、探偵というのは、なかなか実用的ではない。それなら警察官になろうと思った」
というのが、今、刑事として、警察官をしている理由である。
そうやって考えてみると、身元不明の被害者が誰であるかということを、いろいろ想像できるのは、
「今の自分だからではないか?」
と、感じるようになっていた。
だが、逆に考えれば、
「考えるだけ考えて、結局分からない」
という結論になることにも繋がるのだろうと思うのだった。
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