第2話 最初の死体

 大和店長が軌道に乗ってきてからのことだったが、コンセプトカフェのある都会を擁する大都市には、いくつか区があるが、その中でも一番住宅街といえる区が、城西区と呼ばれるところであった。

 そもそも、この都市は昔からの城下町であった。中央区のその都心部には、城跡があった。天守閣も大阪城や、熊本城のような大きなものではなかったが、その作りは専門家に言わせると、

「一見派手ではないが、これほど防備に優れた城は珍しい。籠城しても、数か月は持ちこたえられるのではないかと思えるほど、食料と武器弾薬さえあれば、容易に攻城は難しい」

 と言わしめた城であった。

 天下人が、一番といってもいいくらいに信頼していた大名で、しかも、この土地というのは、天下人にとっての永遠のライバルと言われる大名のお膝元であることから、

「完全に、防波堤の役目をしている」

 と言われるくらいだった。

 この大名も、それくらいのことは分かっていて、そのうえで、

「大名冥利に尽きるというものだ」

 と、自分の役目をしっかりと自覚していた。

 しかも、旧地域名としては、一つの大きなところであり、

「一人の大名で、すべてを賄うのは難しい」

 と言われた場所なので、南北で分割統治が行われていた。

 この大名は、北部の海に近い方の賑やかな部分を収めていて、人口も街並みも、南部のそれと比べて段違いであった。

 南部はというと、山岳部分とその裏の土地であった。

 裏の土地は、内陸になっていることで、他の土地と隔絶されていることから、住民自体が、閉鎖的な性格だったのだ。

 排他性を許すことなく、半分は、自給自足を行っていたことで、村が点在していても、それぞれの村は、謎に包まれていた。

「攻め込まれないように、情報は表に出さない」

 という、

「生きていくための努力の一環」

 だったのだ。

 そんなわけで、山里離れた民家には、自分たちが生き残るための知恵が凝縮されていて、いわゆる、

「忍軍」

 と呼ばれる集団が生きていたのだ。

 その忍軍の中には、まるで、出稼ぎとでもいうように、他の土地の領主に対して、用心棒を申し出たりしていた。

 領主は彼らを保護した。密かに自分を暗殺しようとする、隣国の忍者を、こちらも雇うことで、身を守るのは、当然のことであろう。

 そもそも、暗殺というのは、汚いことのように思えるが、よく考えれば、正々堂々と戦を行っても、そこで発生する死傷者の数は半端ではない。もし勝てたとしても、自分たちの損害も相当なものだろう。いかに静かに行っても、戦は戦だ。勝った方であっても、ただではすむなどということはありえない。

 そういう意味で、特務機関としての特命を帯びた忍者が、領主だけを暗殺してくれれば、国は混乱し、そのどさくさで進軍すれば、それほどたくさんの血を流すことなく、事態を収拾することができるに違いない。

 だから、

「暗殺などというのは、秘境だ」

 と言われたり、夜討ちに対しても同じようなことをいう人がいるかも知れないが、現実的に考えて、いかに被害を少なくするか。そして、それは自分たちだけではなく、相手の被害も減らすことができるかということを考えると、ある意味この方がいいのかも知れない。

 どうせ戦になって、自分たちが勝ってしまうと、相手の大将の首は、風前の灯ではないか。

「生かしておけば、いつ、こちらの不利となって、後悔の念に苛まれないとも限らない」

 ということになりかねないと思うのだ。

 そういう意味での、

「忍軍」

 という存在は、絶対に必要なのだといえるであろう。

 この都市、F市というのだが、F市には、5つの区が存在する。県庁所在地で区のあるところとしては、少し少なめな気がするが、そのそれぞれがまったく違った顔を持っていて、広さというよりも、人口という意味で、分けられていると言った方がいいかも知れない。

 つまり、北部の住宅密集地は、どの区も面積的には非常に狭く、そして南部の面積は以上に広かったりする。

 もっとも、南部は、山岳地帯もあるので、人の住める範囲が少ないということから致し方のないことであるが、この広さの差は、意外と珍しいのかも知れない。F市の中で城西区というところは、全体の市の面積からいけば、10パーセントくらいであろうか。それでも、市の5分の1くらいの人口がいて、ひょっとすると人口密度的にいうと、城西区が一番高いのかも知れない。

 繁華街や歓楽街の多い中央区は、人が住んでいるというよりも、仕事場があったり、買い物や食事に集まってくるということなので、住宅地としては少なかったりする。その点、城西区は、マンションも立ち並んでいて、ほとんどのマンションには結構な人が入っているようだった。

 確かに、F市の近郊にも人口の多い、いわゆる、

「F市のベッドタウン」

 ということで、通勤圏内としての住宅街も充実しているが、やはり、県庁所在地在住ということへの思い入れが多いのか、人は都会に集まってくるようだ。

 最近になって、

「勘違いしていたのかも知れない」

 と感じることがあった。

 というのは、

「都心部のことを、都会と呼んでいて、都会のことが都心部なのだ」

 と思っていたのだが、ひょっとすると違うのかも知れないと考えるようになっていった。

 確かに都会というのは、繁華街であったり、歓楽街のような人が集まる賑やかなところだという意識があるが、都心部というと、版画街などよりも、どちらかというと、オフィスが合いであったり、行政機関や司法関係、さらには、中央病院のような医療機関が集まったところではないかと思うようになった。

 つまり、平日に人口密度が上がるのが都心部であり、週末や休日に人口密度が上がるのが都会ではないかという考え方だ。

 それが、まったく正しいということではないだろうが、別の意味で考えると、もし敵国がミサイル攻撃をしてくるとすれば、最初に狙われるのは都心部であり、行政機関などは狙われるが、人道的に狙ってはいけない、病院やオフィス街、あるいは、都会の繁華街、歓楽街を狙うと、世界から避難されるレベルではないだろうか。

 ちょっとたとえが飛躍しすぎているが、そういう意味で、行政機関などの役所関係の近くに、病院やオフィス街があるというのは、少し危険な気がするのは、きっと考えすぎだと言われるだろう。

 平和ボケをしている我々日本人はこういうことに関しては非常に疎い。もっとも、外国の首都などの都市計画がどうなっているのかは、ハッキリと知らないが、もし、攻撃されることを前提に考えているのだとすれば、そのあたりは、最初に考えることだろう。

 ただ、一度開戦してしまうと、無差別攻撃に発展しかねないということを考えると、都市のどこにいても、安全とは言い切れないだろう。とにかくどこかに逃げて、難民となるか、都市にとどまって、殺されるか、占領され、占領下での制限される生活を強いられることになるか、ということは分かっても、それがどういうことを意味するかということが分からない。

 つまり、選択できるかどうかというところがまずは最初に来ることであろう。

 あくまでも、仮想の妄想であり、建前上は、

「有事が存在しない国」

 というのがこの日本ということなのだから、確かに、考えすぎだと言われても、それは当たり前のことなのであろう。

 F市城西区というところは前述のように、海に面していて、海岸沿いには、いろいろな施設がある。高層マンションが乱立していて、図書館や博物館などの施設も結構あり、プロ野球の本拠地である野球場、隣接された高層ホテル、さらには、大学病院や放送局などがたくさんある。

 元々、ここは数十年前に、博覧会が催され、その跡地を今のような形の都市に作り替えた。住宅街や、公共施設に生まれ変わって、数十年。博覧会で開発する前を知っている人は少ないだろうが、

「このあたりは荒れ地だった」

 という話を聞くこともあったのだ。

 そんな城西区には、高層マンションが立ち並んでいた。

 元々、F市というところは、高層ビルを建てることができなかった。その理由としては、

「玄関口となく国際空港が、都心部の近くにあるから」

 ということなのであった。

 つまり、飛行機が着陸してくる時に、高層ビルがあると、邪魔になって着陸できない。もし強引に着陸しようとすると、

「グランドゼロ」

 の再来になりかねないということであった。

 あれは事件であったが、こちらで起こることは事故でしかないのだが、結果としては、ほとんどの人が死に至るということで、起こってしまったことに変わりはないということになるのだ。

 そもそも、問題は、

「着陸」

 の時である。

「離陸」

 の時には問題にならないのはなぜであろうか?

 これは、飛行機が、宙に浮くということと、その力学に関係しているのである。

 読者諸君は、飛行機が離陸する時、どの方向に離陸するのかということを考えたことがあるであろうか? 理由がなければ、

「昨日は北方向に離陸したから、今日は南方向でいいか」

 という程度になるのだろうが、実はここに大きな理由がある。だからこそ、その日どちらから離陸することになるかを決めるのは、天気予報に大きく関係してくるのである。

 というのは、まず、紙飛行機を作って遊んだ時という記憶が、子供時代にあったのではないだろうか?

 その時に、皆はどう考えたであろうか? その時の記憶がある人は、ピンとくるかも知れない。

 そう、問題は風なのである。

 こちらに風が吹いてくるという、いわゆる、

「アゲンスト」

 の状態と、逆の、後ろから風が吹いてくるという

「フォロー」

 の状態、これが大きく影響してくるのだ。

 というのも、何も航空機だけではなく、野球をやっている人で、投手とする人はピンと来るかも知れない。

「今日は、アゲンストだから、変化球がよくキレる」

 という発想があるというのを聞いたことがあるだろうか?

 つまり、風の抵抗があればあるほど、まっすぐに進むのが困難なのである。

 ということは、飛行機のように、滑走路を助走して、その勢いで上空に飛び出していこうとするのだから、当然、アゲンストの方がいいわけである。しかも、一気に上昇気流に乗るようにしないといけないので、滑走路を離れてから短い距離で、高度がかなり上がることになるだろう。

 では着陸の時はそうであろうか?

 着陸する時というのは、車輪が、滑走路に当たった時、なるべく衝撃を少なくする必要がある。上昇角度と同じ角度で降りてくると、間違いなく。先端が間違いなく車輪より策に滑走路に当たり、大事故になるだろう。そういう意味もあり、着陸の際には、できるだけ低空で、滑走路に平行に近い形で降りてくる必要があるのだ。あれだけベテランのパイロットが着陸をした際でも、若干のバウンドがあるのだから、それも当然のことである。

 ということはあ、滑走路まで、低空である距離が長ければ長いほどいい、逆に着陸には、それだけの低空の距離を必要とするということだ。

 着陸の進路の当たる都心部に、高層ビルが立ち並んでいるとどうなるだろう? 飛行機はその方向からは、着陸ができなくなってしまう。それは空港の運営停止につながることで、空港が都心部から離れているというところが多いという理由の一つであろう。

 ただし、空港ができたのが、昔の軍の飛行場の跡地であったり、米軍駐留の際の飛行場の跡地であったりすることから、先に空港ができてしまって、都心がその後発展していったという特殊な例として、F市のようなことが起こりえるのだ。

 そのため、県の条例では、

「〇階建て以上の高層ビルを建設してはいけない」

 というような規定があったりして、確かに、F市はある時期まで、高層ビルがなかった時期があったのだ。

 今では、その条例もかなり緩和されてきていて、しかも、高層ビルも都心部から離れたところに建てられるようになったので、大都市としては、他の大都市とのそん色はない形になってきたのだった。

 そんな城西区にある高層マンションの一つで、一件の殺人事件が起こった。最初に発見したのは、その部屋の隣人の奥さんで、朝になると、早朝の皆が起きてくる前の時間に、マンションの玄関前を掃除するのが、日課になっていたのだ。

 その人はあまり、近所づきあいが得意な人ではなく、ただ玄関先にゴミがあるのを気にする人だったので、だいぶ前から、早朝に自分の家の玄関前を掃除するのが日課になっていたのだった。

 その日も掃除をするのに、玄関を開けて、ほうきとちり取りを用意し、表に出た。その時間というのは、日の出が早い夏至近くであっても、まだ真っ暗な時間である、5時前後くらいの掃除をしていた。

 隣人が何時頃に起きてくるのかまでは知らなかったが、5時前後であれば、起きてくることはないと思っていたので、その時間に清掃するようになった。

 元々、両隣の人たちにはこの奥さんは不信感を持っていた。なぜなら、一時期のことであったが、自分たちが出すわけのないゴミが玄関先に捨てられていたことがあったからだ。

 そのゴミというのが、事もあろうに、タバコの吸い殻だったのだ。

 正直、怒りが一気にこみあげてきた。しかし。だからと言って、直接抗議に行くには証拠があるわけではない。しょうがないので、マンションの管理会社に苦情をいうと、

「証拠がないんですよね?」

 と言われて、結局、何もしてくれないということが分かっただけで終わってしまった。

「マンションの管理会社なんて、結局親方日の丸と一緒よね」

 と、まるで警察のように、何か大きな問題が発生しない限り、単独での苦情くらいであれば、まったく問題がないということで、簡単に無視されるのであった。

 そのことが分かってくると、下手に苦情を言って、それが隣に漏れでもしたら、直接いうのと同じか、あるいは、直接いうよりもさらに、

「密告をした」

 という見られ方をすることで、余計に険悪なムードになるということが分かったからだ。

 本当は、動かぬ証拠をつかんで、管理会社に言いに行くということも考えたが、長い目でみれば、

「管理会社が動いて、何かをしてくれたとして、自分の利益になるのだろうか?」

 ということである。

 ひょっとすると、犯人と思しき人は、マンションの他の住人を味方にでもつけていれば、その犯人を敵に回すことで、自分が孤立してしまい、四面楚歌に陥ってしまうということになりかねない。

 管理会社としては、いったんの解決を見ているのだから、逆恨みをされたといって言いに行っても、そこまでは、管理会社が関知しないと言われてしまえば、本当の意味での四面楚歌に陥ってしまう。

 そうなると、残された道は、その部屋から退去するしかないだろう。管理会社に話をしても、

「どうしても嫌だというのであれば、あなたが、退去されるしかないでしょうね?」

 ということを言われ、最後通牒を突き付けられることになりかねない。

 そうなってしまってからでは何を言っても、

「負け犬の遠吠え」

 でしかないだろう。

 これはあくまでも、最悪のシナリオであるが、ありえないことではない。何事も最悪を考えてしまうというところがある奥さんとしては、これだけは避けなければいけない。

 となると、どこで身を引くかというタイミングを自分の中でしっかり持っていないといけない。

 引き際を間違えると、自分の中にストレスを残してしまうか、それとも、前述のような四面楚歌をもたらすかのどちらかにしかならない。

「末路は悲惨だ」

 ということである。

 それを考えていると、なるべく、顔を合わさないようにして、心の中で妄想し、相手がいかに、

「天罰を受けるか」

 ということを、自分が楽しめることで、自己満足するしかないだろう。

 それを深く考えると、自己嫌悪に陥ってしまうので、そんなことがないように、仕方なくではあるが、相手と関わらないことをいかに考えるかが重要なのであった。

 その日の掃除も、予定通り、朝の5時から行った。当然まわりは真っ暗で、通路も、半分、天井からの明かりがついているだけなので、すべての場所が明るいというわけではない。まだまだ早朝の5時というと、深夜という感覚に近いのであろう。

 なるべく、音を立てないように表に出て、掃除を始めた。どうしても、中腰になるので、長い間は耐えられない。これから一日が始まるという段階で、最初の行事から、腰がピークな状態になるというのは、実に危険なことだった。

 そのため、掃除のタイムリミットは5分ということを決めていた。

 その日も、5分を目指して掃除を初めた、幸いなことに、半分の明かりしかないが、その主婦の玄関先の通路は普通に明るかった。そのおかげで、ごみがあればよく分かり、掃除もスムーズに行うことができた。

「今日も、予定通りに掃除ができそうだわ」

 と思いながら、掃除を続けていたが、さすがにずっと下ばかり見ていると、首も痛くなってくるので、時々、顔を上げて、首を少し振るようにしていた。

 最初の時には気づかなかったのだが、首を振るという定期行動の3回目に、ちょうど、隣の部屋の入り口が見えたのだ。

 そこは、自分の家の前が明るいのとは対照的に、いつも暗くなっている場所だったのだが、よく見るとその暗さのおかげか、あるいはそのせいかということであるが、扉から、明かりが漏れているのを感じた。

 その奇妙な現象に、思わず目を奪われてしまって、一瞬、思考停止でもしたかのように感じたが、もっとよく見ると、扉が開いていて、そこから明かりが見えているのを確認することができたのだ。

 そこで、

「なんだぁ。扉が開いていただけか」

 ということで、ホッとしたのだったが、次の瞬間には、別の意味で、気持ち悪さがこみあげてきたのだ。

「まさか、ずっと見られていたのだろうか?」

 と感じたが、それにしては、扉が閉じる気配を一向に感じない。

 相手だって、こちらが気づいたということが分かれば、少しずつでも、扉を閉めようとするはずである。一歩間違えれば、扉の陰から覗いている目と視線がぶつかってしまうという可能性だって無きにしも非ずと言ったところであろうか。

 そんな様子がまったくないことで、

「見られているわけではないんだ」

 と思い、本来ならホッとするはずなのだろうが、

「いや、だとしたら」

 ということで、今度は違う疑念が浮かんでくるのだった。

 それがどういうことなのかというと、

「最初からそこは開いていて、そのことに気づかなかったということだろうか?」

 ということで、気づかなかった自分に、そして、そもそも開いているのかという一番最初に感じるべき疑問の両方が一気に襲い掛かってきたのであった。

 怖いのはしょうがないとして、一番の後悔は、

「確かめないまま、戻る」

 ということであろう。

 何もなければそれに越したことはないのだが、この状況を考えて、何もないということは考えられないと、早い段階から覚悟をしていた。

 この奥さんは、普段は臆病なのだが、覚悟を決めなければいけない時などは、結構早く開き直ることができるということから、疑念を感じると、極端に行動力が出てくるという、知らない人から見れば、

「天邪鬼なのではないか?」

 と思われるようなところがあるのだった。

 度胸を決めて、ゆっくりと中腰のまま、覗き込むように近づいていった。本来であれば、立ち上がった方がよほど楽だし、早く確認できるのだが、いくら開き直ったとはいえ、一気に見てしまうには、そこまでの度胸はない。そもそもが臆病者にできているからであった。

 だから、中腰になってゆっくり近づくことで、次第に度胸が出てきて、辿り着いた時には、度胸が覚悟に追いついてくれているのだ。

 そうなると、迷いもなく中を覗き込むことができるのだが、中を覗き込んでみると、そこにこちらを見ている目は存在しなかった。

 ただ、入り口が空いていて、それを、ドアロックで抑えているだけだった。普通はチェーンのようなものがドアロックなのだが、ここは、U字型になった金属がドア特区になっていて、U字の先端部分をひっかけるところに置くことで、扉が閉まらないようになっていた。このマンションは部屋がオートロックになっているので、カギがなくとも、表からはロックがかかってしまい、入れなくなる仕掛けになっていた。いわゆる、

「最新型のマンション」

 だったのだ。

 その状態でマンションの中を覗き込むと、玄関先の通路から視線を徐々に上げていくことで、先の方まで見えてくるようになる。

 ゆっくりでないと、視界に目のレンズがついていかず、その時点での見えているものが、いきなり暈して見せてくると思ったことで、目の前に見えているものが、何であるのか、分かってくるというものだった。

 玄関先は電機はついているが、通路の電気は消えていた。しかし、その奥のリビングに当たる部屋の電気がついていて、一人の男が倒れているのが見て取れた。

 その表情はこちらを見つめていて、何よりもその顔が恐ろしい形相であり、

「こういうのを、断末魔の叫びというのかしら?」

 と、いかにも他人事のように感じたのは、正直なところであった。

 しかし、次の瞬間には、明らかに自分が恐怖で身動きができなくなっていることに気が付いた。後ろから誰も来るはずなどない時間帯なのは分かっているくせに、後ろから誰かに見られているかのような錯覚に陥ってしまったことで、さらなる恐ろしさに見舞われたのだった。

 そう思っていると、段階的にまるでコマ送りのように、時間が進んでいくのを感じると、自分が今度はどうすればいいのかということで悩んでいるのを感じた。

 このまま中に入って、どういう状況なのかを確認してから、119番なり、110番なりに連絡すればいいのか、それとも、目の前の様子では完全に死んでいるのが見えるので、捜査の邪魔にならないように、110番なのかで迷っていたのだ。

 しかし、まったく中に入るすべがないのであれば、迷うことなく110番なのだが、入ろうと思えば入れるこの段階で、表からの判断だけで110番というのは、無責任すぎないかという意識もあった。

 その時に取った行動は、なるべく指紋をつけないようにハンカチを手に巻く形で中に入ったのだが、指紋を残さなかったという保証はなかった。とりあえず、中に入って、オートロックがかかる状態にして中に入ったのは、もし、万が一この状況を誰かに見られて、最悪、自分が殺したかのように見えるシチュエーションが出来上がることを避けたからだった。

 中に入ると、案の定、被害者は、息をしていなかった。手を触ると、完全に冷たくなっていて、とにかく急いで110番に連絡した。

「事件ですか、事故ですか?」

 と聞かれて、

「殺人事件です」

 と思わず答えてしまったが、本当に殺人なのか、この時点で言ってもよかったのかとすぐに考えたが、この状況で、さすがに自殺ということはないだろう。

 被害者は、胸を刺されて、うつ伏せに倒れているのだ。

 目はカッと見開いていて、前述のような断末魔の表情である。

「誰をそんなに恨んでいるのか?」

 と考えたが、自分を恨んでいる男に違いないというのは、当たり前の発想である。

「ということは、本人には、誰が自分を刺したのか分かっているのだろうか?」

 自分は誰かに刺されたことも、殺されたこともないので、どういう状況で死んでいくのか分からない。

 刺された時、ショックで即死ということもあるだろうし、出血多量においてのショック死ということもあるだろう。この現場を見ているだけでは、実際にどっちなのかは分からない。

 110番の受付をしてくれた人に自分がどこまでの情報を入れたのか、後から我に返った時にはその時の状況をすっかり忘れてしまっていた。

 電話を掛けたという意識と、その意識がさっきだということは分かるのだが、その内容ということになると、まるでこの事件を発見する前の、またその前くらいのタイミングのように思えてしまうのだった。

 それを考えると、そこから、実際に警察が入ってくるまでの時間。

「静かに無駄な時間が、無為に過ぎていく」

 という意識の中で、じっとしていたが、後から思うとその時間をもっと大切に味わっておけばよかったと思った。

 その理由は、警察が来てしまうと最後、慌ただしい雰囲気を作るのが得意な警察によって、その場の雰囲気も時間の感覚までもが、すべてにおいて占有されてしまうことで、自分で何かを考えたり、感じたりする余裕がなくなってしまうということを、その時にはまったく分かっていなかったのだ。

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