マイナスの相乗効果

森本 晃次

第1話 行方不明

この物語はフィクションであり、登場する人物、団体、場面、設定等はすべて作者の創作であります。似たような事件や事例もあるかも知れませんが、あくまでフィクションであります。それに対して書かれた意見は作者の個人的な意見であり、一般的な意見と一致しないかも知れないことを記します。今回もかなり湾曲した発想があるかも知れませんので、よろしくです。また専門知識等はネットにて情報を検索いたしております。呼称等は、敢えて昔の呼び方にしているので、それもご了承ください。(看護婦、婦警等)当時の世相や作者の憤りをあからさまに書いていますが、共感してもらえることだと思い、敢えて書きました。ちなみに世界情勢は、令和4年3月時点のものです。


 大都会、普通の都会、田舎町、いろいろな街があるが、どれくらいから、その境界に当たるのだろう? 広さ? それとも、人口の多さ? それとも、その二つを考え合わせたところ? とにかく、いろいろな見方があったもいいのではないだろうか?

 また、都会と言われるものでも、

「都市」

 となると、話が変わってくる。

 大都市と、大都会とでは言葉のニュアンスが違ってくる。例えば大都市というと、東京、大阪、名古屋、福岡などを中心とした、いわゆる、

「政令指定都市」

 などと言われるところであろう。

 ただ、これが都会となると、都市の中でも、商業施設などが密集している部分などがそうなのだろうが、ただ、これも個人の考え方なので、

「都会という言葉の定義」

 というと、若干変わってくるのではないだろうか?

 そういう意味で、都市との違いということで考えると、同じ東京の中でも、新宿、渋谷、原宿、大阪なら、梅田、難波、さらには福岡であれば、博多、天神などであろう。

 つまりは、大都市と呼ばれるところが、まず前提であり、その中で、象徴的な場所、つまりは、繁華街であったり、歓楽街のあるところ、そこを都会というのではないだろうか?

 だが、こんなに深く考えている人が、どれだけたくさんいるというのだろうか?

「大都市と大都会。同じようなものなんじゃない? 別に分ける必要なんかあるのかな?」

 という人だっているだろう。

 確かに、作者も、いきなり、

「大都会」、

「大都市」

 と言われても、最初は、

「どこが違うというのだ?」

 と感じたものだ。

 さらには、これが田舎と呼ばれるところに住んでいる人には、この二つを分かることにすら抵抗があるのかも知れない。

「どうして、都会と都市と二つも言い方があるの?」

 と言われているような気がする。

 つまりは、

「都会も都市も同じものだという前提があって、話す相手によって、使い分けるものだ」

 という感覚でいる人である。

 都会に住んでいる人間は、それを聞いて、

「しょせんは田舎の考え方」

 と言って、一蹴するかも知れない。

 しかしそれはあくまでも、都会に住んでいることを鼻にかけるようなもので、特に田舎の人間からそんなことを言われると、

「田舎の分際で、何も知らないくせに、知ったような口を利くんじゃない」

 とばかりに、いかにも、差別的な発想になるのではないか。

 昭和の頃であれば、大都会と呼ばれる中にも、部落のようなところがあったりしたものだが、オリンピックや博覧会などが催されてくるにしたがって、そういうものを排除して、都会というものを、作り上げてきた。いかにも、

「臭い物には蓋」

 と言っているのと同じではないか。

 それを思うと、田舎と都会の差と、都会と大都市の差を考えると、そもそも土俵が違うのではないかと思うのだった。

 大都市で、政令指定都市などになると、市の下に、区というものがあり、その区でさらに行政が別れている。大阪、名古屋、福岡などがそうである。

 しかし、これが東京ともなると別だ。

 いわゆる、

「東京23区」

 と呼ばれるところは、

「東京都新宿区」

 というように、市という概念がない。いわゆる特別区23区と呼ばれるところだ。

 それで今まで違和感なかったので、急に、

「東京市」

 などという言い方をすると、おかしく感じてしまうだろう。

 しかし、今の、

「東京都新宿区」

 などという特別区などができたのは、郡県制が出来上がった明治初期ではない。

 時代は現代と呼ばれる時代であり、昭和18年、つまりは、大東亜戦争真っ最中なのであった。

 郡県制ができてから、昭和18年に、今の形になるまでの間は、いわゆる今の京都や大阪と同じで、府というものが制定されていた。つまりは、

「東京府東京市麹町区」

 などと言った形であった。

 東京都とし、さらに23区とすることで、東京都の力が、他の道府県に比べて、さらに力の強いものとなり、

「日本の首都」

 という形になったのだ。

「東京都知事は、総理大臣よりも、権力がある」

 と言われるほどのものを持っているといってもいいだろう。

 地方でありながら、中央に顔も効く。それが、東京都なのである。

 ただ、これは、あくまでも、特別な例であり、歴史も昭和18年以降のことなので、他の都市とは比較にならない。東京であれば、特別区が、まるで他の市と同じくらいの権力があり、市長並みだといってもいいだろう。

 ただ、実際にどれほどの権力があるかということまでは、詳しいところは分からない。それを知ろうと思うと、時間もかかるだろうし、知る意味もないだろうから、これ以上の言及は避けるとしよう。

 ただ、大都市に区があって、その区の中に、都会とっ呼ばれるところがあると考えることもできるだろう。

 繁華街、歓楽街、それぞれのコンセプトを持った街、街にもそれぞれに赴きがあり、いわゆるコンセプトなるものが、その都会によって違っていたりする。

 例えば、

「若者が集まる街」

 であったり、

「百貨店などが多く、セレブの街」

 であったり、

「電化製品専門店が立ち並ぶ街」

 などがあるだろう。

 さらには、

「出版関係なら、紀尾井町。薬品関係なら、大阪の道修町」

 などと、

「○○関係なら、XX」

 と言った感じの街の方が、若者から見れば、おしゃれに見えて、年配者から見れば、街づくりにコンセプトが感じられると、それだけで、しっかりとした行政を思い浮かべることができる。

 ただ、実際のそれとは、隔たりがあるのかも知れないが、都会と、都市というものの関係を考える時には、分かりやすいのではないだろうか?

 一つ言えることは、

「都会も都市も、どちらも、人口密度が高く、狭い範囲内に、たくさんの人が密集している」

 ということである。

 だから、広さというよりも、人口が、いや、人口密度が重要視され、下手をすると、狭いところを都市と言わず、都会と呼ぶこともあるのではないだろうか?

 そんなことを考えていると、都会というものが、実は却って分からなくなってくるのだった。

 都会というところは、時代によって変化が激しいところだといってもいいだろう。時代によってブームが違う。だから、前述のようなコンセプトで作られた都会の興亡というのは、同じ時代でも、そのランクはまちまちだ。たとえば、

「若者の街」

 として築かれた街であっても、ファッション関係の店が立ち並ぶ都会と、コンセプトカフェなどが立ち並ぶ街とでは、同じ若者が集まってくる店でもそのおもむきは違うだろう。

 ファッションは時代時代で移り変わっていくので、その情報を敏感に察知し、どんどん新しさを取り入れていかないと、取り残されてしまう。

 逆にコンセプトカフェなどは、同じくブームの時期は短いのだが、これはすたれるというよりも、低迷の時期に入ったというもので、その時期を何とか乗り越えることができれば、またしても、ブームはやってくるので、マイナーチェンジくらいで切り抜けられていれば、またそこからブームに乗っかって、儲けることができる。どれだけ儲けることができたかで、次回のブームまでの低迷期を我慢できるかということなのである。

 だから、一攫千金を夢見ている人には、コンセプトカフェが似合っているかというのは難しいのではないだろうか? もちろん、個人の意見であるが、いろいろ手掛けて、うまいタイミングで枝から枝へ飛び移っていける人であれば、事業家としては成功なのかも知れないが、コンセプトカフェの経営の神髄がそこにあるとは思えない。

 ただ、

「ブームに乗っかる」

 という意味で、あくまでも、

「ブームの時期に稼ぐことができて、ブームが去りそうな時期をうまく察知して、さっさと撤退する」

 ということを最初から考えていて、そのことだけに徹していれば、それはそれで、成功という勲章を手に入れることができ、本人にとっては、大満足に違いない。

 実際にそういう人が多いのも分かっているつもりだ。

 しかし、考えるに、コンセプトカフェというものは文化であり、芸術と結びついている

と考えるのは、少し買いかぶりすぎなのだろうか?

 コンセプトカフェというくらいだから、その店には他の店とは違う何かをコンセプトにしているはずである。

 たとえやってくる客が、ヲタクと呼ばれる人たちであったとしても、キャストの女の子に推しの子がいるというだけであっても、少数派の中には、その店の芸術性を求めてきている人が多いはずである。

 そもそも、その店を始めたオーナーが、

「自分なら、こういうコンセプトでやってみたい」

 と最初に一度は強く思ったはずだ。

 大金を叩いて、店を出すのだから、

「これは俺の店なんだ」

 という思いを持って出すはずである。

 その店のコンセプトが、看護婦風であったり、西洋風のセレブな店風であったり、猫カフェや、フクロウカフェのような、動物系の癒しを求めるお店であったりと、いわゆる店長の、

「こだわり」

 というものがあるのだ。

 そのこだわりは、店の内装であったり、雰囲気や、衣装に至るまで統一されていれば、そこは、俗世間と切り離された別世界を彷彿させるのではないだろうか。

 それこそが、芸術であり、コンセプトカフェの本当のコンセプト、つまりは、

「コンセプトと、芸術性とは、切っても切れない関係にある」

 といってもいいだろう。

 それを考えると、

「ブームが去った低迷期を乗り越えて、また以前のような芸術的な世界を華やかに彩らせる時期がやってくると思うと頑張ることができる」

 と思うに違いなかった。

 だから、ブームが去って、どんどん店を畳んで撤退する人が後を絶えない中でも、一定数の店はそのまま存続させている。

 ただ、何もしていないわけではない。その間に何かをしようともがいている店もあれば、静かに、時期が来るのを待っている人もいる。店自体を貸し出し、ギャラリーのようにして、その貸出代を安くして、アマチュア芸術家を支援している人もいるだろう。

 そういうことを宣伝し、全国からファンがやってくるという店もあった。

 さすがに経営難になり、公式サイトにて、

「このまま赤字が続けば、来年をめどに閉店を計画している」

 とオーナーが書きこむと、全国にいるファンから、

「それは困る。俺たちが何とかする」

 と言って、クラウドファンディングなるやり方、あるいは、商品を福袋のような形にして、お店で売るだけではなく、アマゾンなどのサイトに出店してみたりと、いろいろやっているうちに、少しは余裕が出てきたのか、オーナーも、

「皆様のご支援にて、このままお店を継続することにいたしました。お店存続のため、ご助力いただきました皆様には、感謝いたします」

 と、サイトに掲載することで、何とか延命できたのだった。

 これは、店主の人柄と、このような店が全国単位であってもほとんどないコンセプトだということで、想像以上のファンが動いたのだろう。

 しかも、店主自体が芸術家ということもあり、アマチュア芸術家にとって、その店主というのは、

「カリスマ店主」

 に見えていたのかも知れない。

 実際に店に行ってみると、

「ただのおっさん」

 なのだが、逆にそれが気取っているわけではない、

「庶民の味方」

 というイメージが出来上がることで、店も盛り上がり、なかなか表に出ることのできないアマチュア芸術家の力の結集が分かるというものであった。

 そんなコンセプトカフェが立ち並んでいる都会の一角で、事件は起こった。

 というのは、コンセプトカフェの一つであるお店の店長が、行方不明になったのだ。

 そのお店というのは、普通のメイドカフェであったが、いろいろなところに店を構えていて、たとえば、夜になると、フェチバーのようなものをやっていたり、この街ではないが、少し離れた歓楽街で、キャバクラに近いサービスをする店にまで手を出していた。

 広域に手広く商売をしている一種にグループ会社であるが、そこの雇われ店長というべき一人の店長が、急に姿をくらましたのだった。

 その人の名前は、

「花園店長」

 という人だった。

 独身の30代後半の男性で、物静かなところがあり、ある意味、コンセプトカフェの雇われ店長ということであれば、見た目はピッタリではなかったか。

 コンセプトカフェというところは、いろいろあるがこの店の場合、接客のホールスタッフだけが客に接していて、調理スタッフ、あるいは、経営に携わるスタッフは、基本表に出ることはない。

 そういう意味で、見た目はピッタリといえるだろう。

 店長がいなくなった理由はハッキリしない。ウワサではいろいろあり、

「辞めていった女の子とできていて、店にいられなくなった」

 というものであったり、

「ギャンブルに手を染めてしまったことで、借金取りから逃げるため」

 という話であったり、

「店の金を使い込んだ」

 などという、いわゆる、

「金と女」

 という理由が当然のごとく、理由としては一番多いものが、まことしやかにささやかれていたのだ。

 ただ、こういうことは、コンセプトカフェをいくつも経営していると、たまにあることのようで、本社の方ではさほど慌てている様子はない。少なくとも、

「店の金に手を出した」

 ということはなく、そのウワサは事実無根だということになるのだろう。

 本社の方では、どうするかということが話されていたようだ。

「新たに店長を募集するか?」

 それとも、

「内部から擁立するか?」

 ということである。

 新たに店長を募集したとして、今の時代は、さほどブームの時期からすれば、低迷期に当たっていたので、新規人材が集まるかどうかも分からないし、ここで人件費を使うというのは、好ましくないという意見が多かったようだ。

 実際に、募集を掛けてみたが、集まる様子もなく、早い時期に店長募集をやめた。

 そこで内部異動が囁かれ、他の店での店長経験者を異動させようという話になったが、異動させるにたる適当な人物が見つからなかったことで、最後の手段として、

「内部昇格」

 が考えられた。

 そこで白羽の矢が立ったのが、大和というスタッフであった。

 彼はそもそも、店長候補生ということで、このグループに入社してきた。最初は店長教育を本部で受けて、いずれはどこかの店で店長をということで、今はその実践修行のようなことをしていた。

 実践修行をこなし、晴れて店長になれる時期がくれば、どこの店長になるかは、その時の会社の事情に任せるということであったが、今回は、

「店長の失踪」

 という非常事態なので、

「少し時期尚早ではないか?」

 という意見があるにはあったが、

「背に腹は代えられない」

 ということで、大和店長の誕生ということになったのだ。

 しかし、大和の方も、花園店長が失踪してから、警察に捜索願を出して、探してもらうという手続きは取っていた。

 ただ、大和がどこまで知っているかは分からないが、ただ失踪した人間がいて、捜索願を出したというだけでは、ほとんどの場合、警察は動いてはくれない。

 なぜならば、都会というところに、どれだけの人間がいて、そして、どれだけの人間が、一年で失踪をしているかということを考えると、それをいちいち調べるというのは、

「人員がどれだけ必要か?」

 ということになるのだ。

 ちなみに、年間での全国での行方不明者は、8万人から、9万人と言われる。つまり、一日に、全国で、200~300人が失踪しているということになるのだ。

 都会ということになれば、そのうちの半分だとしても、100人、そうなると、毎日一つの警察署で、数人の行方不明者がいるということになるのだ。

 当然、この数というのは、

「警察に捜索願が出された数」

 ということになる。実際の行方不明者は、さらに多いことだろう。

 捜索願を出されたものを一つ一つ捜査をしていれば、捜索願の捜査だけで、一つの警察署に何人の捜査員が必要だというのだろう。数十人に足りる数ではない。とてもではないが、そんな人数を避けるわけもなく、ほとんどは、

「届は出ているが、捜査などされるはずのない人ばかり」

 ということになるのだろう。

 警察が捜査に乗り出す人は、

「何かの事件に巻き込まれた可能性のある人」

 あるいは、

「自殺の可能性のある人」

 などの、放っておくと、直接警察が関わることになりかねない人だけをピックアップして捜査をしている。彼らが最優先に取り組む相手であり、それ以外の人は、ほとんどが無視される。

 なんと言っても、

「行方不明といっても、本当に失踪なのか?」

 ともいえるからだ。

 ただ、誰にも言わずに雲隠れしていたり、旅行に行っているだけで、ある程度のほとぼりが冷めた頃に、フラッと帰ってくる可能性がないとは言えないからである。

 それを考えると、無駄に捜索をするのは得策ではない。しかも、ただ雲隠れしている人であれば、見つけてしまうと今度は本人から、

「せっかく隠れていたのに、なんで見つけちゃうんですか?」

 と、逆に文句を言われないとも限らない。

 いくら警察とはいえ、そこまで言われる筋合いはないと思うことだろう。

 だが、実際には。放っておいたものの中から、死体で見つかったり、何かの事件に関わっていたりしたということも多かったりするだろう。むしろ、失踪者の事件にかかわっていたというのは、まったく捜査をしなかった人の方に多いことだろう。そうなると世間からは、

「警察って、何かが起きなければ、動いてくれない」

 ということが言われるようになり、ストーカー事件などと同じレベルでの、警察に対しての市民の不満が鬱積することになるのだろう。

 だから、実際にも、花園店長の捜索は警察内部では行われていなかった。

 店側としても、

「捜索願を出しているのだから」

 という理由で、勝手に安心してしまったのか、次第に花園店長のことを気にする人はいなくなった。

 それよりも、

「今後の店をどうするか?」

 ということの方が大きな問題であり、一応本部の意向もあって、大和の内部昇格が決定したことになった。

「いきなりで悪いとは思うけど、引き受けていただけるかな?」

 と、本部の人の言い方は低姿勢であるが、内容はほとんど、

「上層部の決定なので、逆らえない」

 というものであった。

 最初こそ、ビックリして、どうしていいのか分からなかったが、そもそも店長候補生としての入社であったし。いつどこでこのようなことになるかも知れないという心構えは少しはしていた。しかし、捜索願を片方で出しているのに、いきなり来ると言うのはビックリだ。

 しかし、逆に考えれば、捜索願を出しているのだから、あとは店のことを第一に考えなければいけないということになるので、いつまでも店長の椅子を開けておくわけにはいかない。

 もしも、花園店長が見つかれば、他の店で店長が足りなければ、そっちに行くということもできるし、そもそも、誰にも何も言わずに失踪したわけだから、責任がないわけではない。

 いわゆる人事部長か、社長預かりということで、しばらくは仕事らしい仕事から離れさせる必要があるだろう。

 下手をすると、精神的に病んでいる可能性もあり、通院、入院が必要となれば、店長に戻すわけにもいかない。本当に一歩間違えれば、解雇されても文句がいえない立場なのではないだろうか。

 しかし、時間が経つにつれて、花園店長が見つかる可能性はどんどん減っていた。それどころか、誰も花園店長のことを口にする人はいない。もっとも、失踪してすぐには、事情も何も分からなかったことから、緘口令が敷かれて、余計なことを言わなかったため、失踪は一部の人間しか知らなかったが、捜索願を出したところあたりから、どこから漏れるのか、失踪したということがウワサにあったりしていたのだ。

 そんなお店で今では店長として何とかこなすことができている大和店長は、言い方は悪いが、

「花園店長には、いなくなってくれて感謝だな」

 と感じていたのも事実だった。

 そもそも、大和はこの店が好きだった。

 どこにでもある、普通のメイドカフェだったが、壁紙を張り替えることと、衣装を購入することで、いろいろできることが分かると、月替わりくらいで、コンセプトを変えていくということもできると考えた。

 壁紙を変えるのも、衣装を購入するのも、果てしなくコンセプトを広げていくわけではなく、いくつかのパターンごとにサイクルしていけばいいと思っているので、また数か月後には同じコンセプトになる。壁紙も衣装も最初から購入しているので、店内改装も、最小限の経費で賄うことができる。

 考えてみれば、定期的にコンセプトを変えるコンセプトカフェというのをあまり聞いたことがなかった。それを思うと、ある意味画期的ではないだろうか?

 ナースであったり、学園系、さらには、幼稚園設定など、いかにもヲタクが喜びそうな店にするのは、店長としても、発想を考えるだけで楽しかった。

 企画やデザインはすべて店長が行った。後は業者にそれらしい内装にしてもらうだけだった。

 その業者にいろいろ指示を出すのも大和店長の役割で、

「これでこそ、店長として、店長冥利に尽きるというものだ」

 と感じていたのだった。

 今が一番の有頂天の時期、自分を店長にしてくれ、

「やり方は任せる」

 と言われたのも嬉しかった。

 人によっては、全面的に任されると不安しかなく、その期待に押し潰される人も多いのだろうが、大和店長はそんなことはなかった。

「やっぱり、天職なのかな?」

 と感じるようになった大和だった。

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