第29話/未来へのリナシメント
二人が向かった先は教会であった、バスに乗って学校の最寄りのバス停を通り越し、更に五つ先へ。
そこから十分ほど歩いた先、小さな森の近くに廃墟となった教会があった。
バスに乗ってからも降りてからも二人は無言、その中で紫苑は驚きと希望を見ていた。
(嗚呼……七海先輩はやっぱり七海先輩なんだなぁ……、あの教会で結婚式の真似事をしようって)
同時に胸が締め付けられる、だってその話題は事故に遭う直前、話の流れで彼が思いついた事で。
どうか事故に遭いませんように、何も起こらず着きますように。
紫苑は隣の七海の腕をしがみつく様に掴む、その表情は俯いていたから彼からは見えない。
(震えてる、怖いのかい紫苑? いや……そうだよな不安だよな、だって何処に行くか察してたみたいだし……なら、殺されるかもって、そう思うよな……)
どうして、二人だけの結婚式をしようなんて、それを廃教会でやろうだなんて言い出したのか七海は自分が分からなかった。
でもそれはとても大切な事に思えて、何かに後押しされて口を動かしたという感覚すらある。
同時に、本当にこれでいいのか? 何かが解決するのか? と頭の中の冷静な部分が常に問いかけてきて五月蠅い。
(もう、バスから降りて歩いてるんだ……後戻りなんてできないよ)
足を止めたら発狂して紫苑を殺してしまうかもしれない、そんな恐怖すらある。
理性はもう限界だ、数々の疑問や問題に押しつぶされそう。
気を抜くと、ほら、弱音が出てきてしまう。
(これが本当に紫苑の、俺の、二人の為にあるのか? 言い出した俺が未来なんて考えられないのに??)
結婚式、愛し合う二人が未来を共にするための儀式。
愛し合っている、だが七海は紫苑を信じていない、そんな状態で例え嘘で欺瞞であっても誓っていいのか。
違う、誓えない、そんなもの七海は誓えない。
(でもさ……それでも、嘘でも欲しいんだ、紫苑と一緒に居られる理由が、俺たち二人はまだ終わっていないって理由が欲しいんだよ…………)
息苦しい、どうやって呼吸をしていたか忘れそうになる。
止まってしまいそうな足を叱咤して、歩いて、歩いて、歩いて。
――着いてしまった、目の前には壊れた門に草花が延び放題で荒れた庭とドアが片方外れた教会がある。
(……何も言わないってことは、このまま進んでいいんだよね紫苑?)
(行きましょう七海先輩、……何も変わらないかもしれない、でも、これが何かを変えられる最後の切欠だって思うから――――)
数秒の間、門の前に立っていた二人であったが何事もなかったような足取りで敷地内へ進む。
そして教会の中に入ると、そこは埃臭く薄暗かった。
光源となるのは奥のステンドグラスから差し込む光のみ、こんな時であるのに二人にはそれが妙に幻想的に思えた。
一歩一歩バージンロードを進んでいく、終点である講壇前に神父は待っていない。
指輪をもってくる役目の子供も、参列者だって。
もし第三者がいるとしたら、それは廃教会ですら見守る神だけだっただろう。
七海は結婚式なんて、愛の誓いの言葉なんてテレビやフィクションの中でしか見たことがない。
紫苑は親戚の結婚式に参列した事があったが知識としては非常に朧気で。
でも愛の誓い言葉はなんとなく覚えている、だから指輪の箱を紙袋から取り出しながら流れを頭の中で組み立てた。
泣きはらした顔を上げ、紫苑は七海をはっきりと見つめ。
「――――新郎、井馬七海、あなたは目の前に立つ佐倉紫苑を」
始まってしまった、彼は唇を強く噛みしめる。
「病めるときも、健やかなる時も」
言わなければ、誓うと、愛してると、それが誤魔化しであっても。
「富める時も、貧しい時も」
彼女の強い眼差しが突き刺さる、彼はやめてくれと叫びたくなった。
「妻として愛し、敬い、慈しむコトを誓いますか?」
「――――っ、ぁ、俺、は。俺は――――ッ!!」
「私は誓うよ七海先輩、目の前で答えられない井馬七海を、貴方が病める時も、健やかなる時も、富める時も貧しい時も、……夫として愛し、敬い、慈しむコトを誓える、だから……ね? 先輩、誓うって、愛してるって、言ってよぉ……っ!」
その言葉の最後の方は、涙と震えで叫ぶように懇願するように出され。
七海の胸の奥底まで、深くナイフ突き刺して抉ったような衝撃と痛みを与えた。
言わなければ、言わないと、そんなどうしようもない言葉だけが脳を空回りする。
「っ、ぁ、――ハァハァ、ハァ、俺、お、れ、俺は……君を…………~~~~~~っ!!」
「言って!! 私を愛してるって、誓うって言ってよ!!」
「………………ごめん、ごめんよぅ紫苑。ダメだよ、俺は、ダメだ、愛してるけど、愛してるから、――君を信じられない、嘘偽りでも誤魔化しでもその場凌ぎでも、誓えないんだよッ!! どうしてッ、どうしてッ、誓いたいのに~~~~~ッ!!」
その悲痛な叫びに紫苑は歯ぎしりする、もしかしたら、そんな希望を抱いていた自分自身がとても愚かに感じた。
分かっていた事だ、二人の問題は何一つ解決していないのに、愛の誓いを井馬七海という男の子が言えるなどありえないと頭では理解していたのに。
だからもう一つ、彼女が本来考えていたプランへ移行する事にして。
「………………ごめんね先輩、無理、させちゃったね、私もさ、愛を誓う前に先輩と対等にならなきゃならなかったのに」
「し、おん……? ――――お、おいッ、何をしようとッ、やめッ、やめろぉ!!」
「それ以上近づかないでッ、私に近づかないで七海先輩!!」
「ッ!! ……近づかない、近づかないから、そのナイフを下ろそう? な? そんな事をしたら……」
「右目が見えなくなる、ですか?」
そう、紫苑は手にしていた指輪の小箱を鞄にしまうと同時に、家から持ってきていた果物ナイフを手に自分自身の右目に突きつけたのだった。
ナイフを逆手に持つ手は震え、今にも刺さってしまいそう。
なんで、どうして、何故いきなりこんな事を、そんな七海の表情を読みとって彼女は。
「ずっと……ずっと気にしてた、七海先輩は私の所為で右目を失ったのに、――――どうして私の右目は無事なの? 先輩はもう一生右目が見えないのに? なんで? なんで? なんで? なんで? どうして?」
「だ、だからってさぁ!!」
「先輩は命をかけて守ってくれたのに、私は何一つ傷ついてないの、そんなの不公平ッ、先輩が信じてくれないのなんて当たり前、何より私自身が許せないッ、ああっ、愛を誓って貰えないのなんて当たり前だったんだよっ、だって、私は七海先輩と一緒に未来を見たいのに、何より先輩の隣に自分がいる事が許せないんだから――――ッ!!」
「けどそれで紫苑が自分の右目を刺すのは違うだろう!!」
「違わないっ、そうしないと私は自分自身を許せないっ、先輩と対等に愛しあえるって思えないッ!! だから止めないでっ、私を愛してるならそこで黙って見ててよぉ!!」
「~~~~~~~~佐倉紫苑ンンンンンンンンッ!!」
七海は心の底から叫んだ、怒りで頭がぐちゃぐちゃになりそう。
ふざけてる、どうして彼女がそんな事を思わなきゃいけないんだ。
何より。
「バカにするのも大概にしろォォォ!! 例え君でも許さないぞ紫苑ッ!! 君を守った痛みは俺自身の痛みだッ、右目を失った不便さも後悔も全部全部、全て俺のなんだよ!! 一ミリ足りとも紫苑に押しつけようだなんて思ったことはないッ!!」
「私はそれを共有して欲しかったッ!! 私のせいだもん痛みも苦しみも一緒に感じたかったの!! 私の不幸のせいだから! 私を守って失った右目だったから!! お前のせいだって責めて欲しかった!! ――でも誰も責めてくれないッ!! なんで、なんでよぉ!! 私の所為なのにッ!!」
「違うッ、それは違う!!」
「違わないっ、だって七海先輩は右目も、私と過ごした記憶も、告白した事だって、付き合おうって言ってくれた事だって忘れてる!! そんなのってない、そんなのってないよぉッ!! 望んでなかったッ、私は七海先輩にこれ以上守って欲しいなんて思ってなかった!! 未来予知なんて私たちには必要なかった!! ――――…………ただ、一緒にいられればそれでよかったのに」
それは魂の悲鳴だった、紫苑が隠し続けていた、目を背けていたモノ。
七海は今、それを知った。
彼女は力なく両手を下ろす、彼は衝動的に近づくと強く強く抱きしめて。
「…………喪ったモノはもう取り戻せないッ、右目も記憶もッ、あるのは今だ……いや、未来だってあるんだ…………だから、お願いだよ、嫌なんだ紫苑が死ぬのも、自分自身を嫌って傷ついて死を望むのも、辛い、辛いんだよ……」
「ななみ、せんぱい」
「一緒に乗り越えてくれよ、この先の何もかも、本音をぶつけあってケンカしてもさ、話し合って君を理解して愛したいんだ……」
「――――あぁ――――っ」
紫苑の手からナイフが落ちた、七海は感情のままに思いを伝え続ける。
「間違ってたんだ、喪ったモノを見ないフリして続けてたから俺たち間違ったんだよ、事故の前からの関係を続けるんじゃなくて…………」
「……新しく、先輩と私で始めるべきたった」
「そうだ、そうだったんだよっ!!」
七海はいっそう強い力で紫苑を抱きしめる、その目からは滂沱の涙が流れていた。
紫苑もまた、七海を力の限り強く抱きしめる。
二度と離れまいと、二人は抱きしめあう。
「この先さ、俺はまた自分よがりな気持ちで紫苑を守るかもしれない、それで君は傷つくかもしれない」
「私は一人で抱え込んで、先輩に何も言わず苦しんで傷つけるかもしれない」
「でも」「だから」
「もう一度始めよう、俺と紫苑で、新しい関係を」
「はいっ、聞かせて七海先輩っ!!」
七海と紫苑は名残惜しそうに一度離れると、彼は彼女から指輪の箱を受け取る。
そうするべきとそうしたいと打ち合わせした訳じゃない、二人とも体が言語化できぬ感情によって勝手に動いたのだ。
紫苑はそっと左手を差し出す、右手の手のひらは上に。
「……」
「……」
七海は彼女の右の掌の上にペアリングの片割れを、そして。
白く細い華奢な彼女の薬指に、両手を使って指輪をはめる。
そして彼も左手を差し出すと、彼女も同じように指輪をはめて。
「俺は誓う、紫苑が病める時も、元気なる時も、富める時も貧しい時も、……夫として、恋人として、男として愛し、敬い、慈しむコトを誓える」
「私も誓います、どんな事でもどんな時でも、井馬七海の側に居て支え、敬い、慈しみ、……全身全霊で愛し続けるって」
「佐倉紫苑さん、俺の恋人になって、それから結婚して欲しい、子供ができても、孫や曾孫ができても君と愛し合って生きて……それから皆に囲まれながら君と幸せに老衰して死にたいんだ」
「私も同じ気持ちです井馬七海さんっ!! ううっ、愛して、好きです、一緒にしわくちゃのお爺ちゃんお婆ちゃんになっても恋人で夫婦で、誰もが羨むような幸せの中で二人で人生を終えたいっ!!」
二人は再び抱きしめあった、しかしそれは先ほどの悲しみに満ちていたものではなく。
暖かく、優しく、希望に満ちたそれで。
いつの間にか微笑んでいた紫苑は七海を見つめると、そっと瞳を閉じる、七海もそうすると顔を近づけて。
「愛してる紫苑」
「愛してます七海先輩」
――一筋の光がステンドグラスからスポットライトのように二人に降り注いだ、まるで祝福するように。
七海と紫苑は、時間を忘れてキスし続けていたのだった。
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