第4話 ストリッパー明美

 日本の場合は、奇跡とも言われたほどの復興と、経済成長を迎えることができた。戦後を思えばそれが、昭和だったのだ。

 戦後の復興で一番大きかったのは、二つあるのではないだろうか? これはあくまでも、形として表れているということであり、他の可能性などが絡んだことは、そのどちらかに含まれると言ってもいい。

 一つは、

「新円の改定」

 であり、もう一つは、

「朝鮮戦争における、戦時特需」

 と言ってもいいだろう。

 もちろん、占領軍による政策が功を奏したというのもあるが、何と言っても、戦後のハイパーインフレを何とかしたのは、新円の切り替えであり、そして、実際に産業が奨励され、戦争への軍需が、経済復興を支えたのは間違いのないことだった。

 戦争が起こってから、終結した時の敗戦国では、ほぼ間違いのない確率で、

「ハイパーインフレ」

 というものが発生する。

 物の価値が上がり、貨幣価値が暴落するインフレ、つまりはお金を持っていても、モノの値段が高すぎて、少々のお金では、モノを変えないということだ。

 何と言っても、食料品をはじめとした生活必需品が、国からの配給となり、お金があっても、売ってくれない。しかも、その値段たりや、とんでもない値段になっているのだった。

 だから、ヤミ屋が出現し、ヤミでものを買うというのが流行るのだ。

 それもお金で買うのではなく、物々交換ということが多くなる。

 いくら、政府がヤミ屋を取り締まったりしても、どんどん出てくるのだから、警察もどうすることもできない。

 何しろ国の配給も遅れ気味、法律を守っていれば、飢え死にしてしまうのがオチなのだ。

 そうなった時、国が打ち出した政策が、

「新円の切り替え」

 だった。

 ハイパーインフレを解消するための、完全な荒療治であった。

「旧円は、いくら持っていたとしても、政府が決めた時期から以降は、ただの紙屑であり、銀行に預けていたものを引き出そうとしても、国が決めた額以上を、引き出せないようにする」

 というやり方である。

 つまり、お金をたくさんため込んでいればいるほど、そのほとんどは紙屑となる。

 しかも、新円に両替するのも、それまでの価値の数千倍、いや、数万倍ともいえる新円に換えるわけだから、それまでのお金持ちは、紙屑を持っているだけになる。

 そして切り替えの日以降の旧円は、完全に紙屑である。そうすることで、物価を安定させるという、本当の荒療治となったのだ。

 これの目的とその効果としてのものは、

「財閥の解体」

 というものにも結び付いてきたことだろう。

 戦争責任の一端は、財閥にもあると言われていて、政府や財閥、そして軍の責任は重たいものだった。

 それまで、お金を持っていることで、それがそのまま権力になってきた財閥は、お金が紙屑になるのだから、没落もいいところだ。それは、華族にも言えることで、それまで、子爵、伯爵などと言われていた上流階級も、一般市民と同じになって、明日をいかに生きるかということだけが目的に生きることになってしまうのだった。

 もっとも、そのおかげで、貧富の差というものはなくなってきたかも知れない。

 そもそも、こんな混乱の時代に、貧富というのもおかしなものだが、この時代は、完全に、

「弱肉強食」

 の時代であり、ヤミであろうが何であろうが、なりふり構わずに生きた人間が、成功するようになっていた。

 ヤミ屋で儲けて、その後、日本の大企業にのし上がったところはたくさんある。中には、

「面白い時代になったものだ。金さえあれば、何でも手に入る」

 と言われるような時代が、少ししてやってくるのだ。

 新円切り替えにより恩恵を受けるごく一部の人間もいるということである。

 食糧事情と同じくらいに深刻だったのが、住宅事情である。

 アメリカの絨毯爆撃によって、街が焼け野原になった。何と言っても、焼夷弾の威力は、木造の日本家屋を焼き尽くすことを目的に作られた、「クラスター焼夷弾」が、空中で分裂し、木造家屋を突き破り、

「消えないと言われた業火の炎が、人間までも燃え尽くすまで消えない」

 と言われるほどの威力に、今では、

「使用禁止兵器」

 の一つとされた、ナパームと呼ばれる兵器であった。

 ナパームは水では消えない。

 東京大空襲の時、墨田川に飛び込んだ人を、火が、川面を走るように燃え広がり、飛び込んだ人を焼き尽くしたと言われるほどだったというではないか。そんな爆弾によって、街のほとんどの建物は燃え尽くされ、生き残った人には、帰る家がないという悲惨なことになったのだ。

 しかも、それが東京だけではなく、日本の主要都市のほとんどが、似たようなことになっていて、終戦までの半年間、日本中の大都市は、廃墟と化してしまっていたのだ。

 したがって、住む家がない人が街に溢れ、バラックと呼ばれる瓦礫で、仮住まいにしたり、瓦礫の山で、どこからどこまでが、家だったのかということも分からないほどになっていた。

 したがって、土建屋と呼ばれる職業は、儲かるのだ。荒くれものが多いイメージだが、そこからやくざなどに発展した連中がいることから、どうも、土建屋というのは、昭和のことはイメージがよくなかった。

 戦後の混乱に拍車をかけたのは、復員兵にも関係があるだろう。

 国内の生き残った人たちだけでも、食糧、住宅不足なのに、南方や、中国大陸からの引揚者。満州にいた人たちは、ソ連に連行され、

「シベリア抑留」

 という違法なやり方で、強制労働をさせられる。

 そこで、かなりの人が命を落としたのだが、彼らも生き残った人は、次々に戻ってくる。こうなると、元々日本の国土だけでは賄えなかった食糧問題があったことから、満州の効力に乗り出したのに、戦争に敗れてしまうと、すべてが、水の泡になってしまった。

 元々は貧富の差が縮まるのではないかと思われたが、土建屋であったり、やくざなどの存在から、今度は新しい形の貧富の差が表れてきた。やはり、社会主義のようにしなければ、貧富の差は埋まらないのかも知れない。

 だが、その後に起こった、朝鮮戦争において、アメリカを中心に組織した多国籍軍が、韓国擁護のために、朝鮮半島にわたっていく。その武器弾薬の補給を日本企業が賄ったことで、日本は特需となり、その後の経済成長につながることになったのだ。

 だから、昭和という時代は、ある意味猪突猛進と言ってもよかった。まったくの焼け野原からの復興。そして、経済成長を繰り返すことで、どんどん世界のトップクラスのGDPを誇るようになる。

 それを奇跡と言わずして何というか。

 だから、新しいものが出てきては、それがすたれると、今度はまた別のものが出てくる。そういったことを繰り返して、成長していった時代だったのだ。

 平成に入り、それまでの経済成長のピークを越えると、それまで神話と言われてきたことが幻影であったことを知る。

 一番ショックだったのは、

「銀行は絶対に潰れない」

 という、

「銀行不滅神話」

 であったが、バブルが弾けてすぐに、それまでの過剰融資が回収できなくなり、簡単に経営破綻することになった。

 国も何とか助けようとしたものの、どうすることもできない。銀行だけではなく、ほとんどの会社が経営難になっていくのだから、すべてが後追いだったのだ。

 だから、時代は、昭和から平成になって、明らかに変わったのだ。年号が代わったのは偶然なのかも知れないが。バブルが弾けて、悲惨な時代になったのは、後から考えれば、当たり前のことだった。

 それなのに、経済学者をはじめとして、誰も気づかなかったということなのだろうか?

 それこそ、

「銀行不滅神話」

 と言われるものを信じ、破綻するはずがないと思っていたのだから、ある意味、時代が何とかしてくれると思っていたのかも知れない。

 しかし、さすがに銀行が潰れるのを目の当たりにして、

「信じられない」

 と思い、驚愕している間、結局策もなく、どうしようもない状態が時代に必死に食らいついていたとしても、もうすでに、どうにもならないところまで来てしまっていたのだ。

 だから、平成以降では、上ばかり見ていてはいけない。下に落ちた時に、上を見るという考え方、そして、落ちる時も一気に落ちないように、いかに被害を少なくしなければいけないのかということを考えることで、ある意味、用心深くなってきたに違いない。

 昭和の頃のように、上だけを見ていれば、そこに自分たちが進むべき答えが得られるわけではない。だから、逆に言えば、一度はすたれたと言われているものも、炎としてくすぶっていれば、別の炎が沸き上がり、マイナーチェンジした新しい文化が生まれてくるのかも知れない。

 それが平成以降の特徴ではないだろうか。

「時代は繰り返す」

 それだけ、歴史に学ぶことが多いのも当たり前のことであろう。

 桜井が、昭和を知っているわけはないのだが、ストリップ劇場や、成人映画館を見ていると、初めて見たという感覚ではなく、

「前にも見たことがあったような」

 という、デジャブ感があるのだった。

 成人映画を見た時も、まるで連れ込まれるようにして中に入った。内容も、出てくるアパートも完全に昭和の佇まいであり、セックスシーンも、今のAVなどよりも、明らかに大げさであった。

「まるで素人丸出しはないか」

 と感じたが、それはそれで悪くはなかった、

 よく見ているVシネマ系のアダルト映画などのように、確かに女優も男優も垢ぬけしていて、可愛らしい雰囲気が出ていて、いいのだが、それも、最初に見た時の感動から比べれば、次第に衰えてくるのだった。

 それに比べて昭和の女優というと、ケバい化粧に、パーマのかかった女で、年齢もどうみても、30代後半ではないかと思うような女優が、セックスシーン以外の芝居も実にへたくそだったのだ。

 ただ、その時、新鮮に感じたのは、

「今まで感じたことのない昭和を感じることができた」

 という意味でだけ新鮮に感じられた。

 正直、興奮もしなかったし、普通の映画だと思って見たとしても、まったく新鮮には感じなかっただろう。

「昭和の成人映画」

 という意味合いで見たから、新鮮に感じられたのだ。

 だが、もう二度と見ようとは思わない。新鮮さは一度味わえば十分だった。そういう意味で、今回のストリップというのを見るのも、

「今回が最初で最後になるんだろうな」

 と思ったのだ。

 だから、このストリップ会場にて感じることの一択は、

「新鮮さ」

 だけである。

 もし、その新鮮さというものがなかったら、きっと、

「見るんじゃなかった」

 と後悔するに違いない。

 だが、入った以上、せっかくだから、新鮮さが得られることを期待しようと思うのだった。

 目の前の公演が終わって、次の準備の間に、ライトが明るくなった。といっても、そもそもの照明を暗めにしてあるのだから、公演の最中の、怪しげなライトから比べれば、少し明るいという程度だろうか?

 しかし、目がだんだん慣れてくると、やはり、あまり明るいものではない。客席を見渡すと、半分くらいの客が帰ったのか、それとも、ロビーで休憩をしているのか、中は清掃員の人が、ごみを拾っていた。この光景も、いかにも昭和を思わせた。

 先ほどまで、かぶり付きで見ていたおじさんたちは、いつの間にかいなくなっていて、別の集団が、前に陣取っている。

「違う女優の演技になって、その女優のファンの人たちだな」

 と思った。

 帽子をかぶっていて、汚いジャンパーを着ている。手には新聞が握られていて、耳には赤鉛筆が刺さっている。

 どうやら、ストリップを見る前に、競馬か何かに集中していたのだろう。

 そうやって考えると、

「ここに来るおじさんたちというのは、暇だから来ているのだろうな」

 と思っていたが、実は、結構忙しいのかも知れない。

 場所はいつも決まっているのか、実にスムーズに迷うことなく座っていた。女優もファンがいつも座る場所が決まっていれば、

「どの人にはどういう体勢を取れば、サービスになる」

 ということも分かっているのだろう。

 毎回同じ踊りなのか、それとも何度かに一度新たな踊りに更新されるのか、そもそも、おじさんたちが、踊りの部分を気にしているというのか、とにかく、分からないことばかりであった。

 女優が出てくるのが早いか、ナレーションが早いか、いや、ファンの口笛が早いのか、桜井にはすべてが同じに見えた。女優が登場し、いよいよ彼女の公演が始まった。桜井にとっては、ここからがスタートだったのだ。

 音楽にはどうしても馴染めない。いかにも、エッチなダンスという感じの音楽で、女性はカツラをかぶっているのか、いかにも、ケバケバしかった。

 最初は、まるでポールダンスでも踊っているかのようだったが、やはり昭和の世界には似合わないのか、次第にそれが妖艶に見えてくる。だが、踊り自体のは、嫌悪感を感じあい。

 どちらかというと、踊りが芸術的に感じられた。

 だが、その踊りも、次第にマンネリ化しているように感じた。飽きてきたといってもいいだろう。

 そう思ったのが相手に分かったのか、彼女はパターンを変えた。

 それまでは、全員に向かってまわるように踊っていたが、例の突き出した舞台の正面にやってくると、お尻をついて座ったのだ。

 すでに、いつの間にか上半身は何もつけていなかった。最初は確かに、ひらひらのついた黄金のブラをしていたはずなのに、いつ外したのか、今はしていないのだ。

 それを見た時、

「これはすごい」

 と思った。

 まるで、マジックのようではないか。

 きっと、見ている方が無意識に彼女の踊りに誘導されるかのように、ブラを外す瞬間、別の方を見せるというテクニックを使ったのだろう。

 ずっと、エッチな踊りだと思っていたが、その見解を変えなければいけないようだったのだ。

 ダンサーが、かぶり付きの客の前に座ると、待ってましたとばかりに、かぶり付きになる。

 まだ、下着をつけたままなので、ご開帳というわけではないが、客の横顔を見ていると、その視線は、股間に向いているわけではない。彼女の顔を見上げていた。

「なるほど、タイミングは彼女のアイコンタクトにあるのだろう」

 と、桜井は感じると、彼女の表情よりも、ファンのおじさんの視線に目が行ってしまった。

 おじさんの視線がそれまで見上げていたものが、真正面の神秘な部分に向けられた時、

「ご開帳」

 されていたのだ。

 もちろん、まわりの客は口笛を吹いたり、拍手したりと、いかにも、

「ブラボー」

 と叫んでいるかのようだった。

 ダンサーの女の子は、目の前のおじさんの帽子を奪い取り、自分の股間を隠したり見せたりしていた。

 帽子を取られたおじさんは、最初から分かっていたくせに、わざとらしく慌てて見せる。そんな様子を見ていると、

「このおじさん自体が、この店のスタッフなんじゃないか?」

 と思わせるほどであった。

 だが、だからどうだというのだ。スタッフだろうがどうだろうが、もうどうでもいいと思えてきた。そのあたりが、以前見た成人映画の女優のわざとらしさに昭和を感じたあの時と、そんなに変わらない気がしたのだ。

 またしても、昭和を感じながらおじさんとダンサーを見ていると、その息がぴったりあっているようで、それだけに、

「このおじさんは、彼女の良さを引き出すことが最大限にできる人なんだ」

 と感じたのだ。

 そう思うと、彼女とおじさんの間に、いやらしい関係はないのではないか?

 と思えてきた。

 まるで、女優とマネージャーのような関係? あるいは、女優と、荷物持ち? 昭和であれば、そんな関係もありなのかも知れないと思った。

 彼女の名前は、

「明美」

 というのだそうだ。

 歓声の中に、名前を呼んでいるファンがいたから分かったのだった。

 ひょっとすると、彼女はここがフランチャイズではなく、全国を行脚しているのかも知れないと思うと、おじさんは、全国どこでも、彼女がいるところに出没しているのではないかと思った。

 彼女のダンスに魅了されたのは確かであったが、そう思えば思うほど、おじさんが気になってきた。

「何がきっかけで、今のあの場所に陣取るようになったんだろうな?」

 と考えた。

 そう思うと、楽屋にいる彼女と、そこを訊ねてくるおじさんの姿が見えた気がした。それが、舞台の打ち合わせなのか、それとも、小間使いとしての仕事なのか、どちらもありだと思うと、不思議な感覚に包まれるのだった。

 おじさんの中には、彼女を、まるで自分の娘のように慕って見ている人がいる。それ以外の人たちは、女の身体を舐めまわすように見ているのを思うと、その心境は幾ばくかのものかと思えば、やり切れない気持ちになることだろう。

 だが、女の子は必死になって踊っている。まわりを見る余裕がないわけではない。自分に与えられた仕事を一生懸命にやっているのか、ストリッパーという仕事に誇りのようなものを持っているのか、どちらにしても、この仕事に嫌悪感があったり、まわりの客のいやらしい目に耐えられなくなると、いかに仕事だとはいえ、次第に病んできて、舞台に立てなくなるかも知れない。

 それだけ図太い神経を持ち合わせているということだろうか。それとも、まわりを見る目が、次第に養われてきたのかということである。

 一生懸命に踊っている彼女は、しっかりと前を向いているように見えるので、決して嫌がっているかのようには見えなかった。

「これが私の天職だ」

 と思っているかどうかまでは、その表情から察することはできない。

 ソープのようなところで働いている女の子は、もちろん、人それぞれに事情があるのだろうが、相手をしてもらった時は、完全に恋人気分である。

 客の思い込みなのかも知れないが、彼女を作って、煩わしい思いをするよりも、言い方は露骨だが、

「お金で繋がっている」

 と言った方が関係性としては実に楽であった。

 時間を長めにとれば、お話だってできる。その時に、女の子から、いろいろ褒められたりすると、それこそが癒しになるのだ。

「彼女もできないから、風俗に逃げている」

 というやつもいるが、敢えてそれを否定する気にはならない。

 否定してもいいのだが、たぶん、そんな言い方をする連中には何を言っても、言い訳にしか聞こえないだろう。

 ずっと、平行線を描いていくと、交わることがないことに、いつになったら気づくのだろう。

 まったく意見が合わない二人であっても、その距離が、本当は遠くて、いつかは重なるかも知れないと感じる人と、最初から近いにも関わらず、まったくの平行線であることで、永遠に交わることはないと考えることと、どちらが安易な考えなのだろうか?

 風俗の女の子が、客であるこちらのことをどう考えているのか分からない。しかし、何と言っても、安いものではない。一時間半であったり、二時間などであれば、4万円を軽く超えたりするのだ。

 1か月の給料のうちの、4万円が、2時間くらいで消えてしまうと思うと、普通に考えると、

「もったいない」

 と思うだろう。

 彼女を作ったとしても、デートをしたり、プレゼントなどをしたりすると、一日で、3万円くらい使うことだってあるかも知れない。

 相手にもよるが、男性に出させるような相手であれば、正直、それくらい使ってしまう。デートを毎週していれば、どれだけのお金がかかるというのか。

「若いうちならそれもいいかも知れないが、どこかで奥さんと離婚したりして、男女関係が煩わしいと思うようになると。風俗で、性欲を吐き出すということの方があっさりしていいと思うようになる」

 と言っていた上司がいた。

 その人が、風俗の話をいろいろしてくれて、ソープの遊び方などを教えてくれた。さすがに、

「一緒についていこうか?」

 ということはなかった。

 その人はあくまでも、

「自分だけが楽しめればいい」

 という考えの人なのだ。

 確かに一人でソープに通うようになると、一人がいいと思うようになった。よく無料案内所に、飲み屋の帰りに、数人で出かけてくる人がいるが、ほとんどが、40分などのショートコースである。

 正直、

「これで、何を遊ぶというのだ?」

 と思ってしまうが、一体何が楽しいというのだろうか?

 確かに人それぞれなのだろうが、桜井には分からなかった。何が分からないといって、風俗に来るのを、

「何かのついで」

 にすることだった。

 飲み会の帰りの、2次会、あるいは3次会のつもりでやってくる。女の子は、相手がフリーであっても、たぶん、

「私を選んでくれてありがとう」

 というだろう。

「それは彼女の優しさなのか、それとも……」

 などと考えると、彼女が可哀そうに思えてくる。

「一体何か可哀そうなのか?」

 と聞かれても、

「それは、俺の口からは言えない」

 というに違いない。

 何とも言えない思いがこの関係にはある。決して交わることのない平行線なのか、途中には越えられない結界があるのか、それなにに、彼女の口から、

「私を選んでくれてありがとう」

 というのだ。

 それが本心なのか、どうなのか? 本心であろうとなかろうと、その言葉の持つ意味は、どちらに転んでも、虚しく響くような気がして仕方がないのだった。

 もちろん、自分が風俗通いをするようになってから感じたことだった。最近では、ネットでの風俗の話題も結構ある。

「嬢のことを語り合おう」

 ということで、SNSが設けられたりしているが、次第にそのスレが乱れてきて、下手をすれば誹謗中傷に至ることも少なくはない。

 確かに、匿名での投稿なので、誰が言っているのか分からない。言いたいことを言えるということもあるだろう。サイトの管理人がいるのかも知れないが、あまりにもひどいものであっても、よほどの問題にでもならない限り、管理人に削除はできないようだ。

 管理人にどこまでの権限があるのか分からない。ただ、管理人がヘタレなだけなのか、それとも、勝手に消してはいけないという決まりごとのようなものがあるのか。少なくとも、それを名指しされて、誹謗中傷を受ける女の子がいるのも事実であった。どこまでが許されてどこからがアウトだというのだろう。

 少なくとも、誹謗中傷を書いている連中は、

「自分は悪くない」

 と思っているはずだ。

 ただ、病んでいるだけなのか、それとも、

「お金を払っているのに、自分の要望に相手の女の子が答えてくれなかったと勝手に思い込んだことでの逆恨み」

 というものなのか、たぶん、そのほとんどは後者なのだろう。

 前者であれば、書いた本人も、可哀そうだと、少しは、(本当に少しだけだが)同情の余地もあるかも知れないが、後者であれば、情状酌量の余地のない、執行猶予付きのない実刑判決ものではないだろうか。

 もし、それが原因で、その相手の子が自殺でもして、社会問題にでもなれば、その男は、これからの人生はもう終わりである。警察から開示要求が出て、匿名のはずが晒されて、裁判になって実刑にならなかったとしても、その人の人生は終わったといってもいいだろう。

 その時になって、

「軽い気持ちでやった」

 などと言っても、もう遅いのだ。

 こんな男を擁護するやつは、どこにもいない。せめて、親なら擁護したいと思うかも知れないが、それ以上に、

「こんな情けない子供を生んで、育てたのは自分だ」

 という自責の念に苛まれることになる。

 こういう男は、まわり全体が敵だらけになり、親からも情けないと思われ、世間に顔向けできないということで、確かにこんなモンスターを生んだのは、親の教育、まわりの環境が少なからず影響しているかも知れないが、事件が起こってしまった以上、全責任は本人にあるのだ。

 そんなことも分からないから、こんなやつが増えるのだし、あらたな社会問題がどんどんできてくるのである。

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