第6話 自首してきた男
「うーん、今は基本的にやってはいけないということになっているので、私も詳しいことは分かりませんね。自分が合わせてもらった時は、まだ川崎さんがおられた時だったから、まだ、警察内部でも、公認の状態だったからですね」
と背が低い刑事が言った。
「私はまったく知らなかったですね。実際に、かつて、情報屋というものがいたというのを聞いたことがあるくらいで、今の常識から考えて、もういないものだと完全に思っていました」
と、のっぽな刑事はそういった。
どうやら、背の低い方の刑事は、結構真剣に捜査をする人間のようで、もう一人は、どちらかというと、堅物のようだった。見た目は、それほど性格に違いはなさそうだが、背が低い刑事の方が、熱血漢だということが分かったのだ。
佐久間警部補は、雰囲気もいかにも、麻薬捜査や暴力団関係を相手にしてきだだけの貫禄が満ち溢れているように見えた。
そういう意味では、見た目は、山本警部補とは、正反対なのだが、この二人の仲がいいというのは、どうにも意外にしか見えなかった。
「ところで、山本の方では、犯人の目星はついているのかい?」
と、佐久間警部補は、にやりと笑って聞いた。
こちらの方でも、まだ捜査に入ったばかりだということを分かって聞いているのか、山本警部補も、苦笑いするしかなかった。
「俺たちは、一つのことを、少しずつ計画を立てて、外堀から埋めていくような捜査をしているので、殺人の捜査とは、かなり違う。何しろ相手が組織になるからね。内偵があったりするのも、公然の秘密だったりするからな」
と佐久間警部補が続けた。
要するに、
「自分たちとは、捜査方法がまったく違う」
と言いたいのだろう。
「俺たちは、正直、危険のないところで情報屋を使ったりはしている。大きな声では言えないけどな。だから、そっちだって同じなんじゃないかと思ってね。ひょっとすると、殺された理由が、そちらの捜査に何か関係のあることかも知れないだろう? それを思うと、それぞれ自分たちのまわりだけを捜査していては、真相に辿り着けない気がするんだ」
と、山本警部補がいうと、
「確かにそうかも知れないな。お前の言う通り。こちらでも、話せる範囲で、分かっていることを、こちらでまとめてみることにしよう」
と、佐久間警部補は言った。
「そうだな。済まないが、何しろ殺人事件の捜査なので、話せる範囲でも構わないので、できるだけ協力してほしいんだ」
と山本警部補は言った。
「ところで、被害者の新谷という男はどういう男なんだい?」
と聞かれて、
「ああ、やつは。今あるテレビ番組のやらせ疑惑をスクープしようとしていたらしいんだ。だけど、話を聞いてみると、彼がそんなゴシップ系の記事を書くのは初めてだというんだ。それまでは、普通の旅企画の記事ばかり書いていたというので、何か変だなと思っていたところで、うちに川上刑事が、新谷という名前で、かつてお前とこにいた川崎刑事の情報屋だったという話を聞いて、何か関係があるのではないかと思った次第なんだ」
と、山本警部補は言った。
「だけど、少し、捜査を絞り込みすぎなんじゃないか? 普通に男女の嫉妬からの犯罪かも知れないし、彼の取材で何か損をした人間がいて、その恨みからとかはなかったのかな?」
と佐久間警部補が聞いてきたので、
「もちろん、そっちも並行して捜査しているんだけど、今のところ、これ以上のことは分かっていない。捜査はまだ始まったところだからな」
と、山本警部補は言った。
「もし、これが情報屋に絡んだ話だとすれば、ちょっと厄介なことになるだろうな。そっちではないことを願うばかりだよな」
と、佐久間警部補は言った。
この日、それ以上の情報が入ってくることはなかった。
しかし、捜査は、翌日になって、状況が一変した。何と犯人は自首してきたのだった。
犯人を名乗る男は、署の一階の受付で、
「私、人を殺したんです」
と言って、神妙にしていた。
「ひ、人を殺したというのは?」
と、さすがに受付の人もいきなりだったのでびっくりした。
しかも、犯人からは一番遠そうな気の弱そうな青年ではないか。もっとも、気の弱そうな人だから、恐縮して自首してきたのだろう。
「ちょっと待ってください。係りの人を呼びますから」
と言って、刑事課に、繋ぐと、少しして、川上刑事が降りてきた。この時間は、まだ9時前だったので、出勤してきている人もいる時間帯だった。川上刑事は、夜勤明けだったので、勤務時間中ということで降りてきたのだ。
「君ですか? 出頭してきたというのは?」
ということを聞くと、相手が老練の優しそうな刑事なのを見て、少し安心したかのような顔になったのは、半分、
「救われた」
とでも思ったのだろうか。
しかし、出頭してきたのは、警察である。これから、嫌というほどの取り調べが待っているはずだ。それを覚悟で出頭してきたのだろう。
「殺したというのは、どこで誰をかな?」
というので、
「S出版社というところの事務所で、新谷という記者を殺害してしまったことです」
というではないか。
「じゃあ、こっちに来てもらおうかな?」
と言って、川上刑事は、刑事課まで彼を連れて行った。
男は、まだ20代前半くらいであろうか。中肉中背であるが、見た目は、日弱く見えて仕方がない。どうしても自首してくるのだから、殊勝な気持ちになっていることでそう見えるのかも知れないが、どうにも運動をしていたという雰囲気もない、どこに行っても目立つタイプではなさそうだった。
しかも、五分刈りにしているので、まるで、昔の集団就職の高校生のようではないか。
見た目は、
「どう見ても、殺人を犯すようには見えないな」
と思ったが、犯罪というものは、意外と、殺人を犯さないような人間が犯人だったりすることが多い。
それを思うと、自首してきただけ、殊勝ではないか。一体どうして殺すことになったのか、十分に聞いてみる必要があると、川上刑事は考えた。
刑事課に入ると、すでに、谷村刑事と、山本警部補は出勤してきていて、川上刑事を見かけて、
「どうしたんですか? あの青年は」
と。谷村刑事が聞くので、
「彼は、例の新谷殺しの件で、自首してきたというんだよ」
というと、
「自首? 彼が?」
「ええ」
と谷村刑事は、
「到底信じられない」
といった表情だった。
確かに、いかにも犯人ではない人が犯人だったということは、今までの刑事経験の中で、何度もあったことなので、そこまでビックリはしないが、どうにもまだ納得がいかないと言った気分だった谷村だったが、そもそも、まだ事件の情報を集めている段階だっただけに、
「私が犯人です」
と言われてもピンとくるわけでもなかったのだ。
とりあえず、取調室に連れていくことにした。
彼は、完全に観念した様子で、下を向いたまま、顔をあげようとはしない。完全に恐縮している様子である。
川上刑事が、座っていて、その横で立って聞いているのが、谷村刑事だった。その後ろに調書を書いている人がいるが、ほとんど気配を消しているので、彼の意識の中にはないようだった。
「まずは、名前と年齢、職業をいいかな?」
「はい、私は釘宮誠二。22歳です。職業は今のところ、無職です」
「殺害された人とはどういう関係だったのかな?」
「私はちょうど就活中だったんです。大学を卒業してから、職に就けなかったので、以前、別の出版社で、アルバイトをしていたことがあったので、興味もあって、S出版社に就活にいくと、そこに、新谷さんがいたんです。新谷さんしかその時いなかったので、新谷さんが、社長に話をしてくれるというので、私は安心していたんですが、実は就職の話。うまく社長にできなかったということで、断りを言ってきたんです。私としては納得がいかないので、その日、夜になって、出版社にいくと、あの人しかいないじゃないですか? それでもう一度詰め寄ると、あの人逆切れして、俺がせっかくうまく話をしてやったのに、お前が何もしようとしないからだろう。就職したかったら、もっと自分から動けよって、怒ったんですよ。こっちも怒りがこみあげてきて、気が付けば、背中を刺してました」
と、いうのだった。
「君は、じゃあ突発的な犯罪だったというんだね?」
と言われて、
「ええ、そうです」
と答えると、
「じゃあ、聞くが、凶器はどうしたんだい? 君はナイフをいつも持ち歩いているとでもいうのかい?」
と言われると、
「いいえ、あのナイフは、給湯室にあったんです。何かケーキでも切ったのか、流しのところに、ナイフが浸けてあったんですよ。本当は、怒りが収まらなかったけど、何とか抑えて、その場を立ち去ろうとしたんですが、そこでナイフが光っているのを見ると、急にムラムラと来て、そのナイフを掴んで、後ろから両手で、一気に突き刺したんです」
というのを聞いて、
「指紋は拭き取ったのかい?」
と聞かれたので、
「ナイフが濡れていたので、指紋のことまで考えなかったんですが、横にあったタオルで、持ち手のところを結構吹いたんですよ。だから、指紋を拭き取ったような形になっているかも知れません」
と言った。
「なるほど、それで君以外の指紋もついていなかったんだね?」
「はい、そういうことだと思います」
という。
谷村刑事は、最初の彼のあの狼狽ぶりから、取り調べになると、急に落ち着いたように見えたことを、
「何でだろう?」
と感じた。
そこで、一度席を外して、近くにいた若い刑事に、
「済まないが、一つ調べてくれないか?」
と言って、耳打ちした。
「了解しました。すぐに調べます」
と言って、彼に何事かお願いして、谷村刑事は、また取調室に帰った。
谷村刑事が気になったのは、彼があまりにも最初に比べて落ち着いているからだった。
最初の彼が本当の彼なのか? それとも取り調べの彼が本当の彼なのか、そんなことを考えていると、一つの疑問が湧いてきたのだ。
もし、谷村刑事が最初に受付で彼を見ていると、もっと違った感覚になったか、も知れないが、違和感があったのは、間違いのないことだったのだ。
取調室では、谷村刑事が表に出た間、時間が止まっていたのではないか? と思うほど、まったく話が進んでいなかった。
谷村刑事が戻ってくると、時間がまた進み始めた。だが、進んだのは時間だけであって、釘宮の様子は、先ほどとまったく変わっていなかった。聞かれたことには答えるが、それ以外はまったく無反応で、見た目。
「心ここにあらず」
と言った雰囲気だったのだ。
視線が虚ろであり、どこを見ているのかよく分からなかった。
犯人の中には、相手を煙に巻くという作戦で、何を考えているのか分からないように見せる男もいるが、釘宮の場合は、そんな雰囲気はなさそうだった。
まるで、
「記憶を失っているかのようだ」
と言ってもいいだろう。
それとも、
「薬でも使っていて。ラリった状態なのだろうか?」
と感じるほどだった。
それこそ、麻薬捜査の専門家に取り調べをお願いしたいくらいだった。
扉をノックする音が聞こえた。谷村刑事がそれを聞いて扉を開けると、耳打ちをされて、一緒に表に出た、そして、隣のマジックミラーになっている部屋に一緒に入ったのだが、その人は昨日、話をした背の低い方の麻薬捜査の刑事だった。
「すまないが、あの男を確認してくれないか? 見たことがあるかい?」
と、
「いや、私は知らないかな?」
というので、
「じゃあ、後で撮った写真を回すから、そちらの課でも、一度皆さんで確認していただきますか?」
というと、
「彼が何をしたんだい?」
と言われたので、
「例の、新谷が殺された事件の容疑者さ。と言っても、自分で自首をしてきたんだけどね。ひょっとすると、彼も、そちらの課で採用していた、情報屋じゃないかと思ってね。いかにも違いそうなやつが、内偵ではバレないだろうから、彼のような人間も、情報屋として、使っていたのではないかと思ったんだけどな」
と言ったのだ。
自首してきた時には、あれだけ怖がっていたのに、今は、意識が朦朧としている。いかにも雰囲気が違いすぎることに、谷村刑事は疑問を持ったのだった。
話はなかなか先に進まない。自首してきたというわりには、自分から何も話そうとはしないからだ。
警察の方で証拠を固めて逮捕状を取って、正攻法で捕まえた相手であれば、いくら相手が黙秘権を使っても、こっちには聞きたいことが山ほどあるとでも言わんばかりに、徹底的に質問攻めにして、逃がすようなことはしない。
しかし、この男は自分から、
「俺が殺した」
といってきたのだから、警察には、証拠もなければ、この男の存在すら今まで意識すらしていなかったのだから、何を聞いていいのか戸惑うのは当然のことである。
何とか、それでも質問を考えるが、それもあっという間に尽きてしまう。特に川上刑事は、取り調べが苦手だった。情状酌量のある犯人であれば、人情をちらつかせることで、相手に自白を強いることに掛けては、誰の引けも取らないと言ってもいいだろう。
しかし、このような相手は、昭和を生きてきた刑事には、実に苦手だった。相手が何を考えているのか分からない状態であれば、何をどうしていいのか分からないからだった。
どれくらいの時間が経ったのだろうか。警察官なので、黙秘権の相手に付き合うのは、それほど苦手ではないはずなのに、相手よりも参ってきていた。
もし彼が犯人ではなかったとすれば、彼を送り込んできたのが何となく分かった気がした。
「俺は、犯人ではないんだ」
と、背中が語っているような気がするが、それを悟らせないようにしていることで、後ろから見ていると、余計に分かるのだ。
「人間はやはり後ろが無防備なんだな」
と、被害者が背中から刺されたというのも分かる気がした。
「どうやって殺したんだい? 後で実況見分はするんだけど、状況だけは知っておきたいんで、教えてもらおうか?」
と、川上刑事は言った。
「あの日、僕は新谷さんに呼ばれたんです。ちょうど、今自分が取材しているのが、ある少年をテーマにしたテレビ番組があったらしいんだけど、その番組でやらせ疑惑があったというんです。そこで、いろいろ知りたいので、その少年のことを教えてほしいと言われたんです」
というと、
「ん? ちょっと待って、その少年と君は知り合いなのかい?」
と聞かれた少年は、
「ええ、彼が行ってる中学校に、以前、掃除で入ってたんですよ。そこで、話をしたことがあります」
「最初はどちらから話しかけたんだい?」
と聞かれた釘宮は、
「相手から話しかけてきました。私はいつもこんな感じですので、自分から話しかけるようなことはないんです」
「そうなんだね? でも、彼の学校での話を聞いていると、あまりまわりと協調性がないようなことを、皆言っていたけどね」
と言われた、釘宮は、ここぞとばかりに、声を荒げて、
「だからなんですよ。彼は、本当は人と、もっと会話をしたいと思っているんです。でも、それが敵わない。なぜなら、まわりの人が自分のことを自分よりも知っているという被害妄想のようなものがあって、彼の場合はそれがひどいんです。私も実際にそういうところがあるから分かるんですが、彼は特にひどいみたい。話を聞くと、オオカミ少年と言われていたというじゃないですか。本人は気にしていないように見えて、かなり気にしているようです。だって、そうでしょう? 先生は皆と仲良くしろというけど、余計なこともいうなという。彼のような人間にとって、まったく正反対のことをしろと言われているわけだから、そりゃあ、何もできませんよ。ジレンマに陥って、結局、自分からはいけなくなる。そうなると、まわりから来ることもなく、孤立してしまうんですよ」
と力説した。
「なるほど、そういうころであれば、分かるような気がしますね。同類、相哀れむという言葉もあるけど、同じ境遇だったりすると、結構分かったりするものですよね。逆に少しでも相手のことが分からないと思えば、それ以上は分からないだろうという、自分なりの自負から、早い段階で、友達として排除しようとする場合もあるということですね」
と、川上刑事は言った。
すると、釘宮は、
「そうなんだけど、何と言えばいいのか、普段から人と接することに慣れている人と違って、いつも一人でいる人にとっては、何をしていいのか分からない時など。急に人恋しくなったりするんです。これが、最大の自分にとっての矛盾じゃないですか。自己嫌悪になってしまうんですよね。それが鬱になってしまうと、その鬱は、一度治っても、またすぐにぶり返すんです。それを思うと、躁鬱症というのが、交互に来るというのも分かる気がします。僕の場合も、釘宮君の場合も、鬱状態しかないんだけどね」
と、言った。
「そんな釘宮君に、君はよく話しかけてあげたりするのかい?」
「ええ、最初に彼の方から、おそらくかなりの度胸を持って話しかけてくれたんでしょうね? いろいろ聞いてきましたよ。それこそ、鬱病を治すにはどうしたらいいかとか。話ができる友達がいないんだけど、この私はどうなのか? などということをですね」
「それで、君はなんと答えたんだい?」
「最初は、何を答えていいかわからなかったんですよ。まったくそれまで知らなかった相手に変なことを言って、その人の人生を変えてしまうことになれば怖いじゃないですか。でも、話をしているうちに、彼と話していると、もう一人の自分と話しているような気がして、なんでも言える気分になったんですよね。だから、きっと彼も同じように、自分と話している気分になったんじゃないかと思うと、私も、彼に普通に話ができるんじゃないかと思って話をするようになったんです。二人で話をしていると、僕の方が結構話をしていたような気がしました。でも、他の人とは相変わらず話なんかできやしないんですよ」
と言った。
「それで、次第に二人の仲は深まっていったんですね?」
「ええ、そうなんです。彼は私に感謝してくれているようでした」
「というのは?」
「それまで、何をやっていいのか分からなくなっていたらしいんです。後で知ったことなんですが、彼が自分の言ったことが、ことごとく裏目に出ていたらしくて、それでも、何かを言わないと気が済まない感じになっていたって言います。でも、何かのきっかけがあって、彼がいうことが、すべてうまく行くようになったって言ってました。それを私のおかげだと言ってくれたんです。それがとても嬉しくてですね。そんなことがあった時、商店街の人の勧めもあって、テレビ局が自分のドキュメンタリーを作ってくれるということで、彼は楽しみにしていました。今までで一番嬉しいってですね。その時の嬉しそうな顔が忘れられないんですよ。ただ、実際にできた番組は、自分の思っていた番組とは、かなり違うと言っていましたけどね。それでも、それまでおあれとはまったく違って明るくなったんです。その時に、種を明かしてくれたんですけど、彼が変わったというのは、今まで自分が感じたことの反対をすればいいんだって、思ったらしいんです、そうするとうまくすべてがいくようになったってですね。でも、本当は、そんなことは最初からわかっていたというんです。その気持ちに切り替えるには、きっかけが行ったってですね。それが、私の存在だったと言ってくれました。背中を押してくれる人がほしかったんだって言ってたんです。それを聞いて、とても切ない気持ちになったんです。まるで、自分のことのようにですね。私にも同じ思いが頭の中にあって、それで、いつの間にか、彼を自分の師匠のように思うようになっていたんです」
と、釘宮は言った。
「そうだったんですね?」
「ええ、だから、彼に何かあったら、私が何とかしてやろうっていう妄想のようなものに取りつかれたんですが、彼は次第に何かの渦の中に巻き込まれていっているようで、それが、自分の中で、いつの間にか膨れていって、自分でもどうしていいのか分からなくなってきて、せっかく自分を取り戻せそうだったのに、でも、悪いのは彼ではなく彼を取り巻く環境。そう思うと、絶えず彼のことを気にするようになっていたんです」
「じゃあ、そのあなたの危惧が本当になってきたということなんでしょうか?」
と川上刑事が訊ねると、
「ええ、そうなんです。放送があった時は、それほど世間では、あまり何も言ってなかったんですが、彼本人としては、何か大きな不満があったようで、自己嫌悪に陥っていて、それが、鬱状態に陥れているようで、見ている方も辛くなる感じだったんです」
「その理由は何か話してくれましたか?」
「いいえ、頑なに拒否しているという感じなんです。それまでは、少々のことであれば言ってくれると思っていたんですが、今回ではまったくそんな感じがなかったんです。それで私はどうしていいのか、正直困ったんですよね。そのうちに、今度はあの放送が、やらせだなどというウワサが出てきて、それを、新谷という記者が記事にしているというのを聞いた時、ビックリしたんですよ」
と、釘宮は言った。
「えっ、ちょっと待ってください。私の認識とその部分が違うんですが、今のあなたのお話を聞いていると、やらせのウワサが先にあって、新谷記者が、それを記事にしようとしていたように言われましたよね? 我々の認識だったり、聞き込みなどで聞いた話によると、新谷記者がやらせ疑惑を持っていて、それを拡散しているのであって、すべての元は、新谷記者だと思っていたんです。どっちなんでしょう?」
「確かに、今の状況から見ると、そんな感じになっていますよね、でもそれは違います。新谷記者は、あくまでもウワサを聞いてそれを記事にしようとしていたんですよ。そして、その記事には、とても、荻谷少年が容認できないことが書いてある。やらせ報道くらいであれば、そのうち、騒動も下火になって、世間は忘れて行ってくれるでしょうが、だけど、それが、荻谷少年自身のことになってしまうと、そうはいかなくなる。それを、新谷記者は、記事にしようとしたんです。そうなると、荻谷少年は、悪者となってしまい、下手をすれば、オオカミ少年の異名を持ったままになってしまうことになる、それが私は怖かったんです」
と、釘宮は言った。
「それで、君は新谷記者を殺めてしまったと?」
「ええ、何とか、説得はしたんですが、あの男は、こっちが下手に出れば出るほど、弱みを握ったかのように、頑なになる。足元も見てくるし、ジャーナリストの片隅にもおけないやつなんです」
「ところで、あなたは、荻谷少年の秘密がどういうことか、もちろん、分かっているんですよね?」
「ええ、分かっています。ここだけの話に絶対にしてほしいんですが、荻谷少年は、元々オオカミ少年と言われるほど、まったく予言が当たらなかった。それを彼は現実的に考え、正反対の発想にすれば、そちらが真実になるのではないか? と考えたことが、彼の一番のきっかけだったんです。でも、これを世間が知ると、せっかく、きっかけをまるで、神かかったかのような考えを持ってくれた人から見れば、裏切りであったり、がっかりさせることになる。勝手にまわりがそう思うだけで、別に荻谷君が悪いわけではないんですが、それでも世間は、荻谷君の生命線を奪うことになる。しかも、自分たちにはそんな意識はまったくないと来ているので、これほど悪質なことはないんですよ」
と、釘宮の言葉は、最高潮に達していたのだ。
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