第4話 離婚

 白河のマンションから、500メートルほど離れたところにあるマンションで、ある日、殺人未遂事件が起こった。その事件において、一人の男が刺されたのだが、その時は、発見が早かったので、死ぬまでには至らなかった。

 その部屋の住人が刺されたのだが、大きな物音がしたので、同じマンションの同じフロアの人がその物音にビックリして表に出てみると、その部屋から、マスクをした、いかにも怪しいやつが飛び出してきたというのだ。

 その人も、マンションの近隣住民の騒音に対して、意識が過剰だったのだ。

 その人というのは、年配の人で、そろそろ還暦を迎えようとする、一人暮らしの男性だった。そのマンションに引っ越してきたのは、今から十年前、結構長くいると言ってもいいだろう。

 一度結婚をしたのだが、離婚をしたという。それからはずっと一人であったが、途中までは、

「まだ機会があったら、結婚したいな」

 と思っていたという。

 40代くらいの頃までは、婚活パーティなどにも積極的に参加をした時期があったようだが、

「女性の方が、どうも真面目に考えていないのではないか?」

 と考えたことで、行くのをやめてしまった。

 しかし、それは一種の勘違いなのかも知れない。

 なぜ、真面目に考えていないのかということを考えたのかというと、パーティの時に意気投合して、最終的にカップルになって、連絡先を交換したにも関わらず、こちらから連絡を入れても、まったく返事をよこさない人で、ひと月ほど待ったけど、返事をよこさない人が、こちらが、

「あの人はもういいや」

 と思って再度活動を始めた時、またその人と一緒になって、今度はまったく会話にならなかったのだったが、

「ひょっとすると、この俺をストックとでも思っていたんじゃないか?」

 と思うと、次第に頭が、スーッと冷めてくるのを感じたのだ。

 それから、婚活パーティにはいかなくなったが、最初は。

「舐めやがって」

 と怒りがこみあげていた。

 だが、その時は、

「それなら、他のもっといい人を探してやる」

 と、却って闘争心を煽ったものだったが、

「待てよ?」

 と感じた。

「相手だって、このパーティに参加していい相手を探そうと真剣なのかも知れないな」

 と思い、相手に対する怒りが少し収まってくると、今度は別の感情が浮かんできたのだった。

「彼女に非がないとすれば、俺のこの怒りはどうすればいいんだ?」

 ということになる。

 それを思うと、

「俺は中途半端な気持ちなのだということか?」

 と感じるようになり、

「俺はその場所にはふさわしくないのではないか?」

 と思うようになったのだ。

 そうなると、その場に自分がいることが想像できなくなり、完全に冷めてしまった。

 そもそもが、

「楽しく、今後のパートナーを見つけることができればいい」

 という程度の考えで、切羽詰まっていたわけではなかったのだ。

 切羽詰まっていないから、彼女のような存在を、

「相手を舐めている」

 と最初に思ったのだ。

 それを、こちらを舐めているわけではなく、

「とにかく真剣なんだ」

 と思うと、自分のような中途半端な人間が参加すること自体が、間違っているのではないかと思うようになったのだ。

 パーティにもいかなくなると、次第に一人孤立を感じてきた。

 30代中盤くらいで離婚したので、30代後半では、

「まだまだ、俺は若いんだ。その気になれば、いつだって相手が見つかるさ」

 と思っていた。

 そう思って相手を待っている状態だった。

 だが、そのうちに、一人でいるのが、気楽だと思うようになってきて、しばらくは、あまり人と関わるのを遠慮していた。

「女が欲しいと思ったら、風俗にいけばいいんだ」

 という意識があったのだ。

 一つ気になっていたのは、離婚した時、

「俺は悪くない。何もしていないではないか?」

 と思っていたが、よく考えてみると、ある時期から、セックスレスになっていた。

 それも、

「相手が避けるからだ」

 と思っていたが、よく考えてみると、最初に避けたのは自分ではなかったか。

 それから、最初はしばらく性交渉しなくてもいいと思っていたが、急にしたくなったので、こちらからモーションを掛けると、拒否された。

 そして、また1か月くらい後になって、またモーションを掛けると、拒否されたのだ。

 その間に、嫁さんの方からモーションを掛けてくることもなかった。それで、

「嫁さんがさせてくれない」

 という意識が強くなり、離婚を言い出した嫁さんに、

「俺が何をしたっていうんだ」

 というと、嫁さんは、何も言わなかった。

 少し粘ったが、結局まわりからも、

「まだ若いんだから、やり直せる。もう、二人の関係は行き詰っているんだろう?」

 と言われ、まわり全体が、離婚へと導こうとしたのだ。

 彼は、名前を姉川というが、姉川は、その時初めて自分が四面楚歌になったことに気づき、四面楚歌の状態がいかに息苦しいかを実感したので、

「四面楚歌になるくらいだったら、孤独の方がよほど気楽だ」

 と考えるようになった。

 それだけに離婚までには、決意してからはあっという間であった。慰謝料を要求されることもない。理由としては、

「お互いの性格の不一致」

 なのだから、せめて、財産分与くらいだ。

 それも、大きな問題もなく、簡単に済んだ。むしろ離婚を言われて、どうしようかと考えていた時の方がきつかった。それだけに、離婚が決まってからの形式的なことは、却って気が楽だったと言ってもいいだろう。

 離婚というのは、

「結婚の数倍エネルギーを使うものだ」

 というが、そうでもなかった。

 別れてしまうと、確かに離婚を言い渡された時、足元がぽっかりと開いて、奈落の底に突き落とされた気がしたあの時が一番きつく、時間が経つにつれて、次第に気が楽になっていったのではないかと思うのだった。

「でも、もう離婚などしたくない」

 と思うと、

 結婚するのが嫌になってきた。

 だから、彼

「女ができても、結婚するかどうか、分からないな」

 と感じていた。

 結婚というものに対して、抵抗感があったのだ。それは結婚に対してなのか、結婚する相手に対してなのか分からなかったが、思い返してみると、

「結婚すると、明らかに相手は変わった」

 ということを思い出した。

 それは、こっちが思うのだから、相手も思うことであって、そう思うと、それまでの結婚という夢のような出来事に対して、初めて冷めた基部になるのではないだろうか?

 それが、平成の時代に流行った言葉の、

「成田離婚」

 というものであり、新婚旅行で初めて一緒に過ごして、相手の悪いところに気づいた。そしてそれをどうしても容認できないということで、離婚に至るというものだが、最初、未婚の時、成田離婚のことを聞いた時、

「今時、結婚するまでに、付き合っている間、旅行も、一緒にどこかに泊まるということもなかったような夫婦なんてあるんだろうか?」

 と思った。

 希少価値なくらい、いるのはいるだろうが、その数から比べれば、成田離婚の数の方が多いだろう。それを考えると、

「何をいまさら、そこで離婚することになるのか?」

 と思ったが、

「結婚すると、相手が変わる」

 ということを考えると、成田離婚に対しても、一定の理解ができる気がした。

 やはり、

「結婚というものは、してみないと分からないものだ」

 ということである。

 結婚式を挙げて、婚姻届けを出してしまえば、もうクーリングオフは通用しない。それを考えると、

「結婚なんて、博打みたいなものだ」

 というのが、決して大げさではないように思えてならなかった。

 結婚をした時、確かに成田離婚というのが頭を掠めた。しかし、そこまではなく、正直、お互いに愛し合っていると思っていたのだ。

 実際に、最初の2年間くらいは、新婚気分で楽しかった。お互いに、

「交際の延長」

 という感じで、交際中同様、彼女は、姉川のいうことに逆らうことはなかったのだ。

 付き合っている時、どうやら彼女は、まわりから、

「あんな男、やめておいた方がいい」

 と言われていたようだ。

 その理由としては、彼女が何も言わないことをいいことに、命令ばかりしているように見えたからだというが、彼女はそんなことはないと口で言っていた。

 付き合っている時、まわりから、そんな風に言われていると話してくれ、その言い訳として、まわりには、

「あの人はそんな人じゃない。ちゃんと導いてくれる人だって言っているのよ」

 と、話しているというのだった。

 それを聞いた時、

「結婚するなら、この人だな」

 と感じたのだ。

「この人とだったら、末永く一緒にいられる」

 と思っていたが、それが違ったのは、姉川に過去のトラウマがあったからだ。

 これはトラウマというよりも、

「忘れられない人がいる」

 ということだった。

 その人のことは、彼女にも早い段階で話をしていた。忘れられない人と別れてから、まだ半年も経っていない時に知り合ったのが、彼女であり、まだ、忘れられない人と別れることになってからのショックが尾を引いている時だったのだ。

「彼女は、そんな俺に同情してくれたのかも知れない」

 と思ったが、それだけではないようだった。

 肝心なことは言ってくれるが、それ以外は、基本的に何も言わない。黙ってしたがってくれるそんな女性だったのだ。

 だから、結婚すれば、お互いに気を遣いながら、結婚生活を歩んでいけるに違いない。そして、成田離婚などというのは、ただの都市伝説であり、自分たちには関係ないと思っていたのだった。

 そんな二人も、結婚までには、それほどの困難はなかった。家族の誰も反対することもなく、前に交際に反対意見のあった彼女のまわりの人も、

「結婚を決めたんだったら、もう何も言わないわ」

 ということで、とんとん拍子のうちにゴールインすることになったのだ。

 確かに、

「結婚は人生の墓場だ」

 などという人がいたが、そんな言葉を信じてはいなかった。だが、結婚してすぐに初めて感じた。

「何かが違う」

 という思いは、違和感だったのだ。

 違和感は、無視してもいいところと、無視してはいけないところに結界があり、意外とその結界を分からない場合が多いのではないだろうか?

 そんな結婚だったが、前述のように、最初の二年間は、

「新婚ごっこ」

 をしているようで楽しかった。

 共稼ぎだったので、よく週末には、どこかにデートに出かけていた。過去の分担とまではいかなかったが、姉川も料理をしたり、片づけをすることもあり、お互いに、夫婦生活に不満などなかったはずだった。

 それなのに、どこか、ぎこちないところがあったとすれば、夜の営みを、仕事で疲れているということを理由に、最初に拒否した姉川にあるのだろうか?

 それが、よほどショックだったのか、それから、実は離婚するまで、一度もセックスをしていない、結婚5年目に破局を迎えたのだが、2年目の途中からは一切していないのだった。

 そんな話をまわりの人にできるはずもなく、他の家庭がどうなのか分からないので、羽果たして、3年のセックスレスというのが、長いのか、短いのか、いや、それよりも離婚するまで二度とセックスをすることがないというのは、普通にありなのかということが分からなかったのだ。

 それなのに、姉川は、最初に自分が拒否したということを忘れて、いや、棚に上げて、それ以降自分がモーションを掛けた時、拒否されたことだけを意識するようになり、

「セックスレスの原因は、嫁の側にある」

 と思うようになっていたのだ。

 だからと言って、他の女を抱きたいという意識があったわけではない。

 正直、嫁を抱きたいという意識もなかった。後から思えば、嫁からのモーションを拒否した理由は、自分の飽きにあると思ったからだった。

 付き合っている頃は、毎日セックスしてもいいと思うくらい、性欲が強かった。相手もそれを拒否することもなく、付き合っている時期、マジで、お互いに獣のように、貪り合ったことがあったくらいだった。

 それなのに、結婚すると、今度はセックスが億劫になる時期があった。

「どうしてなのだろう?」

 と最初は分からなかった。

 いや、分からなかったというよりも、分かっていて、認めたくなかったと言ってもいいかも知れない。

 それは、

「釣った魚に餌をやらない」

 という、まさにその意識である。

 つまり、

「いつでも手を伸ばせばそこにいることで、簡単に手に入るようになると、それだけで満足してしまうということか」

 それこそ、

「ウナギが焼ける香ばしい匂いだけで、満腹になってしまう」

 というような感覚に違いであろうか?

 心情は少し違うが、本能的にはそういうことなのかも知れない。

 そんな彼が、初めて、

「俺は結婚に向かないのではないか?」

 と考えたのだ。

 セックス以外の部分では、仲良くできているので、離婚などはありえないとおもっていたが、嫁は違っていたようだ。

 彼女もセックスを望んでいるわけではなく、寂しさに耐えられなくなったのではないかと思った。結婚していて、いつでも手を伸ばせば手に入る距離にいるのに、実際には、絶対に手に入れられない領域を作ってしまい、自分で、結界を設けてしまった。それが、彼女にとっての、離婚への引き金になってしまったということなのだろう。

 彼女は、

「身体だけの関係」

 というものを毛嫌いしていたかも知れない。

 だが、身体の関係を切り抜いた関係をありだと思っていたが、実際にはそうはいかなかた。その肉体と精神のバランスの崩壊が、彼女に離婚を決意させたのかも知れない。

 姉川の方は、精神と肉体の乖離は別に問題ないと思っていた。別にセックスをしなくても、妻への愛さえあれば、やっていけると思ったのだ。それが、男としての責任であり、結婚したことの証が、その覚悟だと思っていたのだった。

 つまり、嫁には、寂しさの限界が存在し、姉川には、まだそれが分からなかったとうことなのだろう。

 姉川に、結婚している間、寂しさというのはなかった。心の奥で、

「いずれ、嫁の気持ちはまた俺に戻ってくる」

 と思ったからだった。

 それまで、嫁との関係は、

「気持ちが一時的に離れているだけなのだが、一歩間違えると、取り返しのつかないことになる」

 という感覚はあった。

 どうなってしまうのかということまでは、想像が行き着かなかったが、離婚という二文字がちらついたのは間違いない。

 しかし、それを真剣には考えていなかった。離婚に対して、どこか他人事のような気持があったからだ。

「離婚してしまうと、戸籍に傷がつくということを、彼女も嫌っているに違いない」

 という思いは、自分と同じだと思っていたのだ。

 だが、そう思っていたのは、姉川だけだった。彼女の方が思っていたよりも現実的だったのだ。ただ一つの誤算は、男と女というものの感覚の違いだった。

「俺だったら、以前一緒にいって楽しかった時のことなどを思い出してしまうと、決して離婚に走るなどという発想は起こらないものだから、彼女だって同じだろう」

 と思っていた。

 しかし、他の人がいうには、

「それは男だから、そういう未練たらしいことを考えるのであって、意外と女はそんなロマンチストではなく、もっと現実的なんだ。だから、お前のように、昔の懐かしさにしがみつくようなことはしない。別れると思ったら、覚悟を決めてくるから、説得は難しいんじゃないか?」

 と言われた。

「そうなのか?」

 と聞くと、

「ああ、女というのは、ギリギリまで我慢するのさ。それで我慢できなくなったら、初めてその時に、相手に感情をぶつけるんだ。だから、女から言い出した時というのは、すでに女は自分だけで覚悟を決めているので、なまじっかな説得が聞くわけはないんだ」

 と言っていたが、まさにその通りだった。

「女が覚悟を決めたのなら、いくら過去の楽しかったことをネタに話そうとも、絶対に無理だというものだよ」

 と言われたのだ。

 だから、話をしても、もう無駄だった。戦争だって、将棋の世界や、選挙に至るまで、

「始まった頃には、もうすでに勝負は決している」

 などと言われるが、相手に対する時には、すでに万全の手は尽くされていたりするもので、何もしていなければ、与するしかないのだろう。

 結局、離婚することになった、いや、させられてしまった姉川は、そのまま、離婚をすることになり、身軽になったのだが、離婚の時に感じた、

「身軽だ」

 という気持ちが案外と気楽なもので、

「彼女くらいなら、いくらでもできるだろう」

 とタカをくくっていたが、なかなか、そうもいかなかった。

 女の子の友達は、それ以降、何人かできたが、自分の中で何かが物足りない。もちろん、身体の関係にもなったのだが、身体の関係になったとたん、何か思っていた感覚と違う思いを感じたのだ。

 それは確かに相手に感じた思いではあったのだが、相手を嫌いになったりしたわけではなく、女を抱いた時、ハッとした感覚になったというのか、それまで抱いていた、彼女ができたことによるドキドキ感が、急に冷めていくのを感じたのだ。

「明らかに結婚前の感覚とは違っている」

 という思いであった。

 それを感じたのが、初めて身体を重ねた時だというのが、不思議な感覚だった。

「身体を重ねることを目的に付き合ってきたはずだったのに」

 と感じたのは、身体を重ねることが最終目的だというよりも、身体を重ねることで、すべてを知ることができるという達成感のようなものが得られるような気がしたからだ。

 結婚前までの感覚というよりも、結婚してから、嫁と初めて身体を重ねた時を思い出していた。

 あの時も何かざわっとした感覚があったのだが、あの感覚に似ていた。

「ということは、達成感を通り越して、憔悴感すら感じてしまったということなのだろうか?」

 と感じていたのだ。

 離婚してから、10年近く、彼女と言えるような女性ができても、ほどんどすぐに分かれてきた。

 そう、漢字で書くと、

「分かれる」

 になる。

「別れる」

 ではないのだ。

 これはどういう違いがあるかというと、別という字で書いた時の別れるというのは、相手が人間である時に示す。つまり、離婚であったり、死別であったり、別居であったりと、いう場合だ。

 だが、分という字で書いた時は、人間関係以外の場合に分かれる場合で、分離、分解、などという時に使うものだ。

 そういう意味では、暖かさを含んでいるといえば、別なのだろうが、その暖かさを引き離すわけだから、残酷性は別の方にある。

 つまり、付き合っていた女との、

「分かれ」

 というのは、まるで血が通っているわけではない分かれなので、味気もなければ、感情も、思い入れもないという感じであり、気が付けば時が過ぎていたという、無為に過ごした時間だったということだ。

 若いうちの無為と、年を重ねても無為とでは、まったく意味が違ってくる。年を取ってからであれば、時間がもったいなく感じられる。つまり、その間、ただでさえ、時間があっという間に過ぎるのに、無為のうちに過ぎてしまうのは、もったいないというより、焦りが感じられるほどなのだ。

「若い頃というのは、1日が長いと思う時は、1週間があっという間だったり、逆に、1日があっという間に過ぎたかと思うと、1週間がなかなか過ぎてくれなかったりしたものだが、年を取ってくると、1日もあっという間であれば、1週間もあっという間、そんな時期なのだ」

 と感じさせられる。

 だから、過ぎてみて、何も心に残らなければ、本当に何もなかったとして、意識が記憶に変わるのが若い頃なのに、年を取ると、記憶に変わらず、しいていえば、

「忘却の彼方へと過ぎ去るのだ」

 と言ってもいいだろう。

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