最終章 人への旅立ち#19




いつもはピクニックや釣りでさわがしい湖畔が今はただすすり泣きだけが聞こえる静かさに包まれていた。

桟橋に集う生き残った魔女達が目の前に浮かぶ小舟に横たわる主に花や手紙やお菓子を添えている。

「ウィリアン様…僕はずっと、貴女を忘れません。これ、僕の翻訳した文章を挟んだ異国の本です。ちゃんと‥完成してから見せようと思ってたんですが、間に合わなかったです…でも向こうへ行くあいだ途中まで読んでもらえたら‥僕は…」

レオルドはウィリアンの手に幾枚もの便箋がはさまれた本を添えると、後ろに並ぶ他の子に場をゆずった。

「ウィリ、アン様‥私、必ず演劇の台、本、完成させるから…上演されたら、身にきて、ね…ルルカも、リージャ、も連れて…」

クロデアは手製の上演チケットをウィリアンの顏まわりに添えられた花の間に差し込んんだ。

「…ウィリアン様‥私が貴女の分まで皆の母に成ります…見守っていてね…」

「僕は、父、とはいかないけど…頑張ります。」

もう仲を隠す気もないナナヤとロズンドの二人が互いの腰に手を回し、追加の花を添えた。

「そういえばヘンリー帰ってこないね?どうしちゃったんだろ?」

ミレの呟きに誰も応えられるはずはなく、一瞬の静寂が訪れた。

「もう陽も高いし…そろそろお別れの時間だ。」

「シルバ…もう良いのか?」

「うん…別れのあいさつは何度も要らないよ。」

ロズンドはレオルドと頷きあうと、船底に大きな釘を打ち込み穴を空け船を湖の真ん中へと向けて押し出した。

少しづつ入り込む湖水の中で船に添えられた花は祝福する様に踊る。

「バイバーイ!」

「…ウィリアン様ああ!!」

ミレの横にいた泣き通しのアイヴァンが叫びながら大きく跳躍しウィリアンの上へ飛びおりた。その重みで船は大きく揺れ、湖水が入り込む速度が増す。

驚いて固まる皆の中でシルバが一番最初に動き、湖へ飛び込んだ。

「アイヴァン…気持ちは解るけど、ウィリアン様はお前に一緒に死んで欲しいなんて思ってないよ。」

「やだ!!離して!!ウィリアン様が死んだなんて私は信じてないからあ!!」

「ウィリアン様は僕らを守る為に死んでくれたんだ。それを信じないのは魔女としてのあの人の魂を踏みつけているのと同じだと思わないか。」

アイヴァンはウィリアンが身に着けている白い手袋越しに透けてみえる火傷の様な傷を見つめた。

「……私、シルバとレオの言うことは難しくて分かんないよ…でも、聞いてると胸が痛い…」

「それでいいんだ、おいでよ。」

シルバは自分の妹のように思っている少女に右手を差し出した。少女は手を掴むがうまく船から出られずほとんどシルバとぶつかる形で湖へ落ちた。

反動で船は推進する力を得て、ゆるやかに回転しながら湖の真ん中へとせまっていく。

もう体力が無いのか泳げず必死でしがみついてくるアイヴァンを落ち着かせる言葉をかけながら、シルバは皆が手を差し出す桟橋へ辿り着いた。

ずぶ濡れになっている二人からの水滴で周りの者も徐々に濡れていく中、視線の先では小舟が小さくなり、やがていくつかの花を連れていくのを忘れたまま、底へと消えていった。

静かな、豪快な、言葉すら忘れたような哀しみが魔女達に拡がって‥誰かが空腹を訴えるまでそれは続けられた…



「みんなありがとおー!こんなにいっぱい…私一生懸命頑張るから、みんなも頑張って生きてね!!」

大きな霧の壁の前で、間深くフードを被った魔女の子供達が少女と別れを惜しんでいる。少年の一人はフードを少しまくり斜にミレを見つめて

「言われるまでもないよ。それにまた来てくれるんだろ?その時まで僕も異国の言葉をもっと勉強するよ。」

少女の一人は少年のフードを上からぽん、と押さえて寄りかかりながら

「私もいたずらをスケールアップさせておくから!次に来た時はバトルしよう!!」

「オッケーそれら受けて立つ!!」

ミレは指で合図を出して応える。

「はは…僕らは巻き込まないでほしいな…ミレ、僕らはこれからも君の味方で、家族だ。何か困った事があれば力になるから。村の皆さんにもよろしく伝えて。」

前よりも大人びた少年は微笑んで、ミレを見る振りをして隣の少女に注意を向け続けている。

「うん!!」

「…ミレ、私があげた花、大切に育ててね。お水もやり過ぎないで。」

隣から注がれる視線など何も無いかのように少女はミレの手を握る。

「何回も聞いたよー。」

「もうお別れなんて、信じたくない…あ、顔はのぞかないで…傷が治ってないから‥」

言った後少女は労うようにフードごしに触れてきた隣の手を激しく振りほどいた。ミレは目を左右に回して見ないふりをする。

「クロデアはけっこう喋ってくれるようになったよねー!すごく成長したと思うよ!次に演劇するときは私ももっと女優として頑張る!」

急に注意を向けられた少女は一瞬振るえたが、すぐ背すじを伸ばした。

「あり、がとう…ミレは、大女優になれそう、な気がする…。」

「へへへーそうかな!だといーなー…」

ミレはふうっ、と息をはいた後、ゆっくり子供達とその向こうを見渡す。

「シルバは…来なさそうだね。」

「僕らにウィリアン様の代わりはいないけど、その…この森を見守ってくれている人達との話し合いって言われたら断れないだろうしね。分かってあげて欲しい。」

「全然ー怒ったりしてないよ。ただ一言お別れ言いたかったなーって思っただけ。」

「またいつでも会えるわ…ミレはもう魔女としては立派よ。」

「なんかそれだと人間的にはまだまだって言われてるみたいー。」

穏やかな笑い声が拡がって、ふと止んだ頃、ミレは片手で霧の壁を触る。

「じゃーね!また会いにくるから!」

重なる別れの言葉を背にミレは霧の壁の中へ飛び込んだ。

霧の中で自分に似た誰かの気配や、何かに触られた気配を感じながら出口を求める本能にしたがって踊るように歩みを進める。

「はあっ!…息がおいしい…だけどー水の中を散歩してるみたいだったな…」

びしょぬれになったミレは霧の壁の反対側、魔女ではない者達が住む世界の土を踏み直した。

「なんか生まれ変わった気分~やっぱここは全然キラキラしてない~」

とりあえず真っ直ぐ進んでいるつもりのミレが感じる、木の翠が陽の光を返すゆらめき、湿度の少ない風、風に乗ってやってくる大人の声―…

「‥おい?!あれそうじゃないのか!?」

複数の人が走る足音が木々の間を何度か縫いつつこちらへ迫って、やがて立ち止まって視線を寄越していたミレを見つけた。

「ミレ!!探したぞ!手紙に書いていた日を過ぎたから、魔女の森へ踏み込むことも考えたんだぞ!」

十人ほどの大人の男達が手に鍬や地図を持ってミレを取り囲んだ。

ミレはさりげなく視線を奔らせてから、少し調子を落として言った。

「お父さんとお母さんは元気にしてるー?」



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