最終章 人への旅立ち#18




天井の薄暗い照明の光を吸ってほんのりと輝く翠の水で満たされた、この地域の成人男性ほどの大きさをもつ水槽の中で三歳程度の子供に似た生き物が上へ下へと移動しながら外の世界を見つめているのか、時々目が合う。

リルティーヌは分厚い硝子越しにその生き物の飛び出した目玉を撫でた。

「本当に美しい子達…初めてここへ飛び込んだ時も感動したけど、ここが私のものになるなんて…自分の新しい子も造れるかしら…さっきから嬉しくて震えが止まらないの‥ミレもそうでしょう?」

「う~ん私はあーあの猫みたいな子は可愛いと思うけど他はあんまりかなあー…」

広い部屋の中には同じ型の水槽がいくつも据えられているが中に入っている生き物はそれぞれ形状が違う。

手足に鱗が生えていたり、猫に似た耳が生えていたり、目や脚が多かったり、ヒトから明らかに逸脱した容貌を持ったものもある。その立ち並ぶ水槽の間を、首にベルトと鎖をつけられたミレが歩き回る。

「水槽をむやみに叩かないで。子ども達がショックで死んだらどうするの。」

リルティーヌが片手に持っていた四角い箱にある突起を押すとその先に付いている鎖が少し箱へ戻りミレが地面へ転がる。

「痛ーっ!頭打ったかも!いきなりやめてよー!」

「これからも私の言うことを聞かなければずっとこういう目にあうわよ。」

無数の水槽が並ぶ手前側であり地下室の真ん中、四方に数段の階段があり高くせり上がった、人が十人は寝転べそうな場所がある。

そこにある仄かに前進が赤く光るつるりとした椅子に座ったリルティーヌが姿勢を崩してミレに微笑みをなげる。

「リルはずっとこういう生き物の世話をしてたの?いつの間に?狩りっていって小屋へ泊りにいくんじゃなくてここに来てたの?っていうか私にも椅子ちょうだい!」

「違うわミレ。ここはウィリアン様の研究所…私が引き継ぐことになったけど、ここを監督していたのはあの女よ。私がこの森の後継者になるんだから、従った方が良いわ…あなたの椅子はここよ。」

リルティーヌは自分の膝の上をぽんぽんとたたき、それに対してミレはしかめっ面で返す。

リルティーヌはまた四角い箱の突起に触れた。辛うじて転ばなかったがミレは強制的に前へ進まされ、リルティーヌの元へ近寄る。

膝へは乗らなかったが、椅子の足元へ座り込んで、リルティーヌの膝へ頭を凭れさせた。

「リージャもここで生まれたのかな」

「そうならここの子供達はあの子の兄弟ね。大切にしましょう」

何者かが部屋の入り口、地上への階段から降りてくる音がする。

「だ…」

声を出そうとしたミレの口をリルティーヌは手で覆い、水槽が奏でる水の音以外は静かになった地下室にシルバはゆっくりと、だが怯えはない動きで現れた。

「なんだ…お前の格好。」

「シルバ!助けてえ!」

「おかえり、シルバ。私のインスピレーションを伝えたらヘンリーが作ってくれたの、最高でしょ?」

リルティーヌはミレを床に投げる様に転がし赤く点滅する椅子から立ち上がった。

隙の無い笑顔と髪型は変わりなく、只服装は違う。

 右手に薔薇の形を模した金属製の棒を持ち、ワインよりも濃い赤紫のローブをはおり、その内側で恐ろしく透けつつも輝くドレスから見える部分はその下に何も身に着けていないことを現していた。

その姿に疑問など持たせないかのように細い脚の先にある真っ赤なヒール靴でローブを掃いながら階段を下りてくる。

「最悪な趣味だな…お前がこんな奴だと分かってたら、もっとはやくに殴りにいってた。」

「いつも似たようなことを言ってるわね‥それは本心…?」

リルティーヌは距離を詰めようとするシルバから上手く間を取りつつ歩きながら、四角い箱から鎖を引き抜き先を右手に持つ金属製の薔薇に繋げた。

「それはどういう意味だ?」

「私のこと愛してるなら、三人だけで暮らさない?他の子供達は私の仲間に預けて…」

シルバは舌打ちをして、息を整える。

「それは無理だ。ミレを返せ。ウィリアン様を殺したお前を許す気は無いし、次にこの森を収めるのは僕だ。その為なら、僕は…」

シルバは果物ナイフを取り出し、震えを隠す様にさらに強く握る。

「弓はどうしたの?得意でしょう?」

「お前の方が上手いしかなわない‥それにお前はミレを人質として近くに置くだろうから当たるとまずい…」

「シルバは何か誤解してるのよ‥私は、確かにウィリアン様を嫌っていたけどそのせいであの人が死んだ訳じゃないわ。全てはこの森を管理する妖精から託された啓示…精霊の意志なの。そうよ、ウィリアン様は精霊を嫌っていたのは知ってるでしょう。結局は仲良く出来なかったという事ね。

ねぇ…このまま私達が仲違いしたまま‥最悪殺し合いになる事は妖精も望んでいないし、きっとあなたも私もそうすべきじゃない。考えたのだけど…私に危害を加えないで、私を抱きしめてくれるならこの子を解放してあげるし、私も黙って森を去ってもいい。どうかしら?」

「僕にずいぶん都合がいいな。何か裏があるんだろ!」

「どうして?私…そんなに貴方にひどいことをした?私の体が男なのにこんな姿をしてるから嫌いなの?差別をするの?私は…この森が、私達が生きていける唯一の場所だから、守りたいだけなのに…」

シルバの顏が苦痛を感じたように大きく歪む。リルティーヌの瞳からは涙がこぼれ落ち続けている。

「さっき言ったことは…本当か?ハグ、すれば…森を出て行くんだな」

「心からの、私の幸せを願ってくれる、この森を守ってくれるっていう約束のハグよ。解ったかしら?」

「……分かった。その変な杖を捨てろ。ミレの首輪もはずせ。」

「まずはシルバも武器を捨ててね。私も武器が無いのを証明しましょうか?」

リルティーヌは一瞬光った金属製の棒を床へ置きながら、からかうような小声で言いローブを脱ごうとする。

「しなくて良い‥ミレの首輪を外せよ。」

ヘンリーが床へナイフを投げる音が響く。

「私を抱きしめ終えてからね。まだシルバが武器を持ってないとも限らないし、念のためにね。それとも貴方も脱いでくれる?」

「…今からそっちへ行く。」

シルバは深く息を吸い、胸に手をじっくりあてて心音を整えると王座のような椅子へ戻ったリルティーヌへ近づく為、石段を昇る。

両手を広げ、絵画に登場する美しい天使にしか見えない表情でシルバを待つリルティーヌ。その傍にはミレが椅子の足元にしなだれて二人を見守る。

一人分を空けてシルバがリルティーヌの前で立ち止まったその距離を羽ばたくようにして越えたリルティーヌがシルバを抱き締め、その目を覗き込んで首をかたむける。

唇同士が触れた瞬間、シルバがローブの裾から小型のナイフを取り出し、首めがけて振り下ろし

「わあ゛あ゛あっ!!!」「きゃーっ!!痛いっ!何っ?!」

床に置かれた薔薇の形をした金属製の杖から青い光が弾けシルバに当たり彼は段差の上へ転がり落ちた。同時に悲鳴をあげたミレも床に崩れ伏す。

「この薔薇の杖は妖精に貰った、敵意を感じるとその者に正義の雷を落とす魔法の道具…特に殺意には大きく反応する。そして動力は鎖を繋いだ先の生命…良い仕組みよね。」

「お前っ…許さない!!うああ゛っ!!!」「痛っ!!私もなの!?」

再びシルバの全身に青い光がはしり持ち上げた頭を床へぶつけることになる。

「ねえ、チャンスをあげたのに…私を仲間だって、愛してくれたら…こんなことにはならなかったのに、シルバの馬鹿野郎…あははははは!!!!ミレはあげない、私のものよ、今からよく解るようにここで犯してやるわ!!」

シルバが起き上がりナイフを投げるのと三度目の青い光が疾るのはほぼ同じだったが、わずかに手元が狂ったナイフはローブの首元の三つ編みに埋もれ、すべり落ちた。

シルバは倒れたまま動かない。リルティーヌはナイフを拾い椅子から腰を浮かせたところで、ミレが椅子のひじ掛けを乗り越えリルティーヌの膝へ乗り掛かった。

「やめて…シルバが死んじゃう。私もみんな仲良くしてほしいよ…」

「ミレは綺麗ごとが好きね。そういうところが可愛いんだけど…そうね。条件は私のお嫁さんになってくれたら、シルバも大切にしてあげるわ。」

まばたきを繰り返すミレの腰を、リルティーヌが強く掴んで引き寄せる。

「お嫁さんかー‥うーん…お母さんにもきかないと!かなー」

「まだ子どもね‥結婚するってことは大人になるってことよ。母親の許可はいらない。ミレもいい加減大人にならないと‥これからどうやって大人、まずは女になるか教えようかしら…」

「大人の女の人ってことは…キスかな?キスするのが大人になることなんだよね!私もそれぐらいは知ってるよー!結婚はそれからの話だね?」

「あはははは!そうよ、あってるわ‥じゃあ、ミレからしてくれる?」

「おっけー!そーっと、だよね…」

端から眺めると女の子同士がじゃれているようにしか見えないが、触れ合った唇から覗く舌同士が絡み合う様は完全に恋人だった。

リルティーヌは時折ミレの舌を嚙みながら複雑に重なった服のどこから剥こうかさぐり、

「――!!ゔっ゛、がっ、ああ゛っ!?苦じっ、回る、ミレ、何した?!!ゔえあ゛っっ!!!―ゔ…」

震えだした手はミレの服の襟元を握り締め顔を突き合わせるが、そこにあったミレの不敵な笑顔を目にすると泡を噴きながら椅子から崩れ落ちた。

「やー、なかなか効果現れないからあせったー!んーてか死んでないよね‥脈は…ある!大丈夫!任務完了!!」

言葉とは裏腹にミレが二人の腕をとる仕事は丁寧にも見える。

「…う、身体が、痺、れる、さ、わるな…‥ミレ!?大丈夫、なのか!?」

ミレだと気づいたシルバが振りしぼって顔を上げると、いたずらをした後のような無邪気なミレの微笑みとぶつかりそうになる。

「バラのステッキからこの鎖はひっこ抜いたしもう大丈夫だよー。リルに仕掛けるのはものすごくヒヤヒヤしたけどー。」

シルバの顏が少し赤くなり、さりげなく身体をひねってミレから距離を取ると軽蔑した視線をリルティーヌに注ぐ。

「助かった…どうやってあいつを倒したんだ?」

ミレが両手を使い、シルバから見て右のおさげに付いたまるい髪飾りを捻ると、中から半透明に白く輝く飴を取り出した。

「最後にウィリアン様に会ったとき、この髪飾りと一緒に渡されたんだ。これは『妖精の羽』をすごく煮詰めて作ったキャンディで、この森にながくいない私には効かないけど森の子どもなら‥ちゅーどく!をおこして眠らすことが出来るから、私に何かあったらどーにかこれを食べさせてって。どーしたもんかとけっこう考えたけどー、ちょっと前から口の中で溶かしてキスでリルに飲ませた私頑張ったよね!」

「は‥?キス‥?ミレが、リルと…」

「もちろん初めてだったけどキスって噂にきいてたけどすごいねー!こー相手の舌が自分に」

「ミレ、そこまででいい。こいつを縛り上げて帰ろう。みんなミレに会いたがってる。」

シルバの顔をじっと見つめた後、何か返そうとしたミレだが部屋の奥から響いてくる足音に反応しそちらをながめ、シルバも続く。

「おめでとう。次の私達の仲間はミレね。歓迎するわ。」

屋敷で会った際の服装ではなく、材質の分からないつるつるしていそうな服を着た先ほどの少女が二人の前へ現れた。手には王族が好みそうな金色の装飾が施された、王冠よりも一回り大きい輪を成す物を持っている。

「えー?私は仲間になんかならないよー。もう村へ帰るつもりだし!勝ったのはシルバ、もしくはウィリアン様かなー。」

「シルバは一度リルティーヌに負けたけれど?」

「私はシルバの味方したの。ウィリアン様も私にそれを望んでたしこの人はけっこう優しいからみんなをひっぱってくれると思うよ!おすすめ!」

シルバはミレと目配せした後、ミレから首の輪を外し、その鎖で手早くリルティーヌを縛ると、少女の目の前に立った。

「僕はウィリアン様みたいに正しい道を選びたい。誰かを虐げる奴は罰を与えて、君達が望むものと僕らが歩みたい道を一緒に探そう…」

シルバは右手をしっかり差し出す。少女はただ微笑んで、その手に金色の輪を握らせた。

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