最終章 人への旅立ち#10

ひと仕事終えて、部屋を追い出された私はのどが渇いたからレモン水を飲もうと思って一気に階段を駆け下りた、ところで誰かにぶつかりそうになった。

「きゃっ!ごめんなさい…あ…『パピイ』……」

パピイは、マンマアの対になるんだ。用心棒、っていうのが仕事で、変な客がいた時大体はマンマアがつまみ出すけど、それでも言うことをききそうにない時、パピイの出番だ。

パピイは綺麗な金髪だけど、短く刈り込んでいて、するどい青い瞳を光らせて、いつも喋らない。館の中を定期的にうろうろして何か異変がないかチェックしている。

パピイは今まで来たどの男の客よりもずっとムキムキで大きくて、前に受付窓口奥の部屋でマンマアと『仕事』しているのを見た時はまるで闇市の雄牛同士の戦いだった。どっちのあえぎ声も牛みたいだったし。

どうして、パピイは、マンマアと一緒に…『夫婦』になってるんだろう。

昔マンマアに訊いたら、「あたしの締め付けが良くてもう離れられないからさ」って言ってたけど…パピイはどうなんだろう?

「ねえ!パピイって何でマンマアと『夫婦』なの?」

「……私達は夫婦じゃない。」

「じゃあ何!?だって、マンマアの反対はパピイだから、そういうことでしょう!?」

「何を言っているのか分からない…」

パピイは、するどい目つきをちょっと下げて、私を見下ろしている。

「んーと…んーと…そうだ!ママに訊き忘れたんだ!あのね!私のパパって誰か知ってる!?」

私はある日、ママにはマンマアとパピイの様に、『パパ』って言う反対がある事を知った。それをママにも訊きたかったけど、追いだされちゃったから…パピイなら似た名前だし、知ってるかもしれないと思って。

「…パピイは、私だ。」

「違う!パピイじゃなくて!パ!パ!」

「パピイとパパは同じ意味だ。」

「違うってー!もうっ!分かってくれないよー!もういい!」

パピイの側を通り過ぎて、女達が控える休けい室へ行く。

そこでみんなとレモン水を飲みながら、ママが見つかったことを話して、パパも見つかるといいねってみんな言ってくれた。

私は…娼館ここで生まれ育って良かったって、この頃は思ってたの。




ママは私のこと、私のママだって認めてくれなかったけど、面白いお客の話をしてくれたり、身なりが汚いからって新しい服をくれたり、私にかまってくれるようになった。パパが誰かは教えてもらえなかったけど…楽しい毎日だった。十二歳に近づいた、ママが殺された日までは。

ママはお客にナイフで首を切られて殺された。一応部屋へ入る前に持ち物を預かるし身体検査もするはずだけど、上手くどこかへ隠していたって話だった。

ママの宝石類は持ち去られてて、身体に口紅で「あの頃の貸しを返してもらった」って書かれてたから、昔の…悪いことをしていた頃の知人なのかもしれなかった。

一応古参だったから、普通より豪華らしいお葬式が終わってしばらくした後、マンマアが私に話をしにきた。

「あんたのママはハーコートだった。知ってただろう。」

「うん…ハーコート、ママは、優しくて、ちょっと恐かったけど…大好きだった‥」

「そうだね。哀しいことだ。そう、ハーコートはマンマア‥この娼館に借金をしていた。金遣いの荒い女だったからね。」

「そうなの‥?でもハーコートは、いつも店の売り上げ三位には入ってたよ?」

「それとこれとは話が違うんだよ。子どもお前には分からないだろうが。そこでだ、母親の借金は子供が返すのが世の理だ。そうだろう?」

「ことわりって何?」

「意味は何だっていいんだよ。要するに、これからはお前がハーコートの借金を代わりに払っていかなければいけないんだよ。だから、お前は…もうすぐ十二か。うちの女達は下でも十五だが…まあいいか。明日からお前には娼婦になる訓練を受けてもらうよ。」

「えっ…私、その、ママにもらったお小遣いとか、あるから、それじゃだめなの?」

「駄目に決まってるさ。お前はここで生まれたんだからどうせ他へ行くところもないだろう。せいぜいあたし達のもとで、今までの恩を返してもらうよ。」

マンマアの言葉の通り、私が娼婦になる為の特訓が始まった。

子どもが出来ないための薬を毎日飲んで、下の穴にもねばねばした薬を入れる練習…子どもの頃から遊んでいたおもちゃの、本当の使い方を教わる…マンマアはおもちゃを下の穴に入れられて痛くて泣きわめく私を手加減しないで殴りつけてきたけど、たまに練習を手伝ってくれるパピイは優しかった。

棒をなめる練習をずっとしてたから、パピイので練習したいってマンマアに伝えたら、薬が

ちゃんと身体に効くようになってからだって言われて、また殴られた。

きちんと効いて、子どもが出来ないようになったら、私の初めての相手はパピイなのかな?普段は無口なパピイが私の上でどんな風に動くのか、声をあげるのか、ちょっと楽しみだった…


練習を始めて二か月経った頃、私は馴染みの客が忘れていったロケットペンダントを渡す為、マンマアに言われて後を追いかけた。ちょっと迷いかけたけど、道のはずれで追いついて渡すことが出来た。

「ああ、わざわざありがとう…君は、確か―‥アイヴァン。いつも僕の応援をしてくれてるね。嬉しかったよ。」

「あ、ありがとうございます!あの、私、半年したらちゃんとした娼婦としておひろめするんです!その時は、私のこともよろしくお願いできますか?」

「えっ‥君はいくつだい?」

客は青ざめた。どうしたんだろう…私のことは好みじゃないのかな。

「もうすぐ十二です…」

「まだそんなに幼いのに、マンマアは何を考えているんだろうね。…君がママだって言ってた、ハーコートのお墓は行ったことあるかい?」

「おはかって何?」

「墓も知らないのか、可哀想な子だ…ママに会いたいなら、着いてくるかい?すぐそこだよ。」

「ママにまた会えるの!?」

「多分ね。さぁ、おいで。」

私は客の手を握って森のはずれまで一緒に歩いていった…。


その場所は木が生えている間隔がちょっとせまい、館の裏からしばらく離れたところだった。

目印代わりみたいな大きさの違う石がいくつも置かれていてそれはとてもたくさん、だった。

「多分これは君のとこの娼婦達の墓だと思うんだ。君の娼館は…娼婦が病気になっても、町まで医者に連れてこないって噂でね。どうしているんだろうと前から疑問だったけど、どうにかして処分してここへ埋めていたんだろうね。」

処分‥それって、殺したってこと?

「そんな…だって、いなくなった娼婦達は、みんな、お客が連れていったとか、借金を払い終えたから夜中のうちに出ていったとか…マンマアが…」

「マンマアは本当に良い人?町の許可だって貰っていない娼館の主だよ。そんな所へ通っている僕も良い人ではないけどさ。」

「じゃあ…私も、借金が終わっても…出て行けないの?もしかして殺されたり…」

「さぁ…本当のところは分からないけどね。逃げるなら早いうちがいいと思うよ。じゃあ…」

「待って!どうしてこのこと、私に教えてくれたの?バレたら、あなたもマンマアに何されるか分かんないよ…」

「僕は別の地方へ転勤が決まってね。もうこの地を踏むことはないし餞別代わりにと思って。君のママ含めここの嬢との遊びはやみつきになっていたから惜しくはあるけれど…今は早く妻と息子達に会いたいよ。」

「私も連れていって!」

「無理さ。それこそマンマアは地獄の果てまで僕を追いかけてきそうだ。」

客は私が掴んだコートの裾を虫でもはらうみたいにさっと引っ張って、元来た道を戻っていった…

マンマア…それにパピイ…あなた達は…本当は悪い人なの?他の娼婦も、客も、この事を知ってるの?何を、信じたらいいのか、私は分からなくなっていた…

 結局逃げる勇気もなくて、私は娼館へ帰った。

マンマアにどこをほっつき歩いてたと言ってなぐられたけど、私は口ごたえしなかった。その様子をパピイはじっと見つめていた気がする。

私はその日からずっと考えていた。

私も病気になったりしたら、すぐに殺される?借金を返し終える日は来ない?

段々元気がなくなってくる私を、娼婦の練習がつらいんだと勘違いしたみんなが気遣ってアドバイスしてくれたりおやつをくれたりしたけど、病気と勘違いされたり気付かれたくなくて無理に元気に歌ったりいつもよりたくさん踊ったりした。

それから一月経って…この館から出て行きたい気持ちが膨らんでいった。

娼婦になんかなりたくないし、マンマアもパピイも女達も好きだけど、この場所以外知らないまま死にたくない。練習だって痛いし、こんなものがいつか気持ちよくなるなんて思えない。

紙に書いたらマンマアに見つけられてばれるかもしれないから、慎重に頭の中で組み立てて…あの日計画を実行した。

まず少しづつ貯めていたお菓子を背負えるだけ袋につめて、クローゼットの奥へ隠す。

前に女が媚薬の飲み過ぎで泡をふいて倒れたのをみたから、ほんの少しづつ女達から媚薬を集めて、瓶に詰めて隠し持った。

それをみんなが飲むレモン水の中に全部入れて、それでもみんなで分けて飲むから効き目は弱いかもしれないけど、きっとこれでみんな自分の仕事にいつもより集中して私が何かしていても気づかれにくい。

いつもより大きく響くあえぎ声の歌の中で、私はマンマアの練習を受けた後、ねぎらいもかねて、マンマアにコーヒーというマンマア専用の飲み物を淹れて、マンマアが机の中に隠しもってた大量の媚薬も一緒に入れた。パピイも邪魔するかもしれないから、パピイの分も。

二人はしばらくしてぜえぜえと苦しそうに息をしながら倒れ込んだ。私はその隙にマンマアに近づいて、首に下げていたマスターキーを奪った。

館を抜けだそうとしても、昼間はマンマアとパピイが交代で目を光らせているし、窓は二階以上にしかない、夜はどこもかしこもマンマアのこのマスターキーで戸締りがされている。

だから、この鍵さえあれば抜け出せるんだ!

よろめきながらパピイが私を捕まえようとしたけど、よっぽど苦しいのか白目を剥いたマンマアに跨って腰を振りながら逃げる私に向かって叫んだ。

「私は!!お前をどこまでも追いかけるぞ!!絶対に逃がさない!!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る