第三章 愛の足音#6



 魔女達が棲む森の中に一迅の風が生まれ、意志を持った様に干されている洗濯物をいくつか吹き飛ばし地面へ叩きつけ、屋敷の子供部屋の開いた窓から入り込み折り紙や原稿の束を舞い上がらせ、使っていない畑に積もった葉っぱを近くの森へ帰し、さらにその森の奥にある今は空っぽの錆びた檻の中を通り抜け、最後に魔女の子ども、アイヴァンの帽子をさらって目の前の大きな湖の向こう側へ逃げていった。

「あー!まだ三回しかかぶったことないやつなのにー!」

「ははっ!日頃の行いが悪いせいだな!」

「アイヴァン!レオのバスケットにはみんなのお昼が入ってるんだから、ちょっかい出さないで!あっミレ!リージャ!湖の水は冷たいんだからいきなり触っちゃ駄目よ!」

魔女の子供達は湖からの光の粒を浴びて、ウィリアンの言う事もきかず自由に振舞っているいつも通りのピクニックが始まっていた。

その様子を見ながら、さりげなくロズンドに何かささやいて微笑んだ後、ナナヤはシートやテーブルを広げるための場所を探して湖の周りをゆっくり歩いていると、

「‥ヘンリー?」

ヘンリーが佇む視線の先には木製の少し曲がった折りたたみ式のテーブルと二脚の椅子のセット、そこには小さな虫がいくつも浮いている飲みかけのティーセットと粉の散らばった皿が置かれていた。

「これ…何日か前から見当たらなかったティーセットじゃない?このテーブルと椅子も…ヘンリー?あなたが持ち出したの?」

「…どうして僕が?」

「そうね‥ウィリアン様!」

「何かしらー?」

これ見て下さい、とその辺りを見せられたウィリアンは表情を曇らせた。ナナヤは大声を出して子供達を呼び寄せる。

「もう!勝手に持ち出してお茶会したの誰なの?名乗りでて!」

「ちがーう!」

「私じゃなーい!」

「僕じゃないけど…」

「何のこと?」

「…?」

結局誰も名乗り出ず、不自然な沈黙が続いた。

「もういいわナナヤ‥今日は釣りに来たのだから、楽しみましょう。」

さっきまでの沈黙は嘘の様に明るく子ども達は散って、各々釣り道具を荷物から取り出し用意を始めている。

ウィリアンは放置されたお茶会の跡片付け手伝おうとするナナヤを断って、代わりにあの辺りにお茶の場所を用意して、と伝えた後一人でその場所を眺めた。

 森の奥から続いている、大人の男と思われる革靴の足跡がテーブルの周りを何度も往復している…。

そしてその革靴を消そうとしているように、何かを引き摺ったひも状の跡…。

子ども達の足跡もたくさんあるが、それは昔から子ども達がここに立ち入っているのでいつのものなのか判然としない。

ウィリアンは金縛りに遭った様にしばらく動かないでいたが、一度だけ大きく顔を左右に振ると冷静にテーブルとティーセットを片付けて籠に仕舞った。

 後ろを振り返ると子ども達がもう釣り大会を始めていた。

「何が釣れたのかしら」とウィリアンがミレの空いた左隣に座って話しかけた。

「初めてみたこれ!キラキラのパーチ!食べれるかな!?」

「もちろん。いつも食べてる野菜と同じよ。ルルカは何してるの?」

「ミレ親分に釣り餌をつくってるの~」

「おかげできっとローズよりたくさん釣れてるはず!はっはー!」

「ウィリアン様、ミレはずるくないですか?ルルカ、僕の餌も作ってくれよ」

「ロズの明日のおやつ全部私にくれたら分けてあげるー」

横一列に、等間隔を開けてそれぞれ改良した餌で釣りを楽しんでいる子ども達…。

「ウィリアン様。」

呼びかけにウィリアンが後ろを振り返ると、蓋付きの小さな籠を着ているエプロンで包み抱えたナナヤが微笑んで、耳元に口を寄せた。

「これ、ウィリアン様にだけ食べて欲しくて作ったんです。みんなに食べてもらうのは、まだ自信が無くて…」

目の前にある暗めの金茶色の髪にキスしたウィリアンは

「分かったわ。後で一人でこっそり食べる」

とても嬉しそうな表情をしたナナヤの頭をなでた。

 「私には子供達がいるんだから」

小走りで自分の釣り場へ戻っていくナナヤの姿を籠を抱えたまま見つめた後‥弱々しい声で、しかしはっきりとつぶやいいた。

「なんて言ったのおー?」

すでに子供達の話し声で騒がしい周りの中ミレが訊き返す。ウィリアンは顔をあげて、ミレを見つめ返す。

「ミレは…人間の中に返っても、変わらないでしょうね。」

ミレは首を傾げた後少し考える様な仕草をして

「変わらない人間なんて絶対いないよ?魔女だって人間なんだからー変わらないはずないよ!って思いませんかっ?」

ウィリアンはなぜか傷ついた表情をして、返事をせず湖の上で踊る光の群れを見つめ続けた―。

「あのまるたー!きれいな鳥がいっぱい止まってるよー!」

「ルルカ‥!いまゆすったからさかながにげちゃったよ‥!」

「うわーすごい!リル!あの鳥はなんて名前なの!?」

「さぁ?この距離だと分からないわ。」

青い羽根の中に魔女の森特有の輝きを閃かせる鳥や桃色のまだら模様が個性的な鳥が代わるがわる何匹も一つの丸太に身体を休めて、魔女達に会いにくるようにゆっくり湖の流れを読んでこちらへ進んでいる。

「よーし…みんなが鳥に夢中になってるあいだに昨日夜なべして作ったこの『アイヴァンスペシャルプライスレスマーダー団子』でじゃんじゃん釣るよー!」

「うわっ!!朝から何かくさいと思ってたけどお前っ、何だそれ!?そんな生ゴミを湖に入れたら魚が死ぬだろ!」

「特別にひとくちあげるよ、あーんして!」

「うわああああ!!!」

「きゃっ!ぶつからないでよー。もう、レオは大げさなんだからー」

「ナナヤはけっこうゲテモノ好きだよね。」

「シルバ?私、前から貴方の減らず口をひねりたかったんだけどいいかな?」

シルバは顔色を変えずに立ち上がり、少し離れた所で服のデザインをスケッチしているヘンリーに釣り道具を渡すとその隣にいたロズンドの影に隠れるようにぴったりひっついた。

「な…何?って、わ‥ナナヤ…どうしたの?」

「くっ…何でもないわ…」

どこか怒った雰囲気を隠し切れない背中を見せたままのナナヤが元の場所へ帰った後、シルバは小さくため息をついて、

「順調?」

「まぁ…まだ二匹だけどこれからかな。シルバもヘンリーに渡してよかったのか?今日の優勝はウィリアン様が買いつけた珍しい物らしいし気になるだろ?」

「……そうだね。でもあの二人が組んでるのを見て諦めた。」

視線をやったのは二人三脚のように魚を釣り続けているミレとルルカ。

「ミレは本当に読めないというか、規格外な子だなぁ…それとも、僕らが知らないだけで、今どきの外の子は皆あんな感じなのかも‥?」

「そうだとしたら外の世界はすでに滅んでるよ」

「ミレは滅んだ民族の最後の生き残りだったりしてね。…これじゃ、まるで‥」

「まーるたーにのーってえ!とーりさーんがあーそーびーにきーた♪」

「いつものちび二人の歌が始まった」

「こ‥こーんにーちわ♪ぼーくーらーもーうーとーも…ね、ねぇ‥?ル、ル…き…じゃないっ…」

「とりー!私にもとまってー!」

「…丸太じゃないよー、これって…」

生まれたての赤子の頬のような色が身体に色づく鳥達が、互いに胸や嘴を睦み合っている合間に、数匹は留まっている物体の断面から肉を啄んでいる。

人の眼で捉えられる距離に来たそれは、白く突き出た骨を晒した、茶色く長いブーツを履いた男の脚の一部だった。

子ども達の絶叫が響き渡り、泣き出す者もいた。

状況を理解する為黙ったまま立ち止まっているシルバの足を、誰かがトントンと叩いた。

「これ…釣れたんだけど、同じ物かな」

ヘンリーが釣り糸をつまんで持ち上げた先には、柔らかくなって中の赤い筋がいくつも覗いている毛深い男の腕の一部が付いていた。

さらに広がる人間と鳥の悲鳴の中で、シルバは震えながらゆっくり膝をつく。

その途中で彼は目撃した。

ウィリアンはブーツが付いた脚をしっかり掴み、点検する様に角度を変えて見た後、ブーツの隙間に指を差し入れて何かを引き抜いた。

滴って形もぐしゃぐしゃだが、日常的に目にする‥防虫予防も兼ねた、クローゼットにいくつも置かれている、魔女達手製のラベンダーの香り袋サシェ

ウィリアンはぎゅっと握って水分を絞った後、ワンピースの襟から胸の間に素早く押し込んだ。

一連の動作が済んだ後、泣きながらうずくまっているアイヴァンを励ましているミレ達を見下ろしていたウィリアンがふと視線を上げて、シルバと目が合った。

わずかに哀しそうな顔をして口の表情だけで言う。

『いわないで』

 一通り子ども達の背中を撫でた後、泣きわめくアイヴァンを連れていくよう子ども達に伝えてウィリアンは一人調べる為に残ると話した。

「ウィリアン様だけなんて、危ないですよ!!私も残ります!!」

「ナナヤ‥大丈夫よ。貴女にはアイヴァンの面倒をしばらく見てあげてほしいの…少し調べたら戻るから。ね‥」

ウィリアンの腕に縋りつこうとするナナヤの手をいつもより事務的な動作で払うと、彼女は子ども達を視界から外して湖の周りを歩きだした‥

「…‥うーん、戻ろーか‥。アイヴァン、ごめんだけどちゃんと立って歩いて。私に掴まってもいいから。」

「ゔっ‥ああ…」

まだ血で汚れていない白い羽を持った鳥達が放置された腕の破片に気づいて次々と集まる様子を目の端で捉えながら子ども達は湖から離れていった。

  暗黙の了解で子ども達は言葉を交わさず帰り道を行き、玄関扉に辿り着きくぐると無言の中から声にならない声を絞り出しながら座ったり膝を着いたりした。

「あれ…一体誰のなんだろう」

レオルドが膝をついて、誰とも目を合わせないままつぶやいた。

「…分からないよ。とにかく、戸締りをちゃんとして、ウィリアン様の帰りを待とう。」

皆、言葉少なに自分の部屋へと帰っていく。子ども達の何人かは不安なのか互いの部屋を行き来して何かを話していた。

太陽もほぼ沈み窓を通して子ども達の頬に夕陽と夜の帳の色が灯り始めた頃、ウィリアンは帰ってきた。

「外から大人がやってきて、何かの事故に巻き込まれた可能性が高いのだと思うけれど…一応私の友人に頼んで見回りを協力してもらうことにしたわ」

保存していたパンとあっさりしたスープの食事を終えた子ども達の前でウィリアンはそう伝えた。

子ども達の表情は曇ったままで、ウィリアンの説明に何も言わずとも納得していないのは明らかだった。

「そー‥」

何かを言おうとしたミレを、近くにいたシルバが腕を取って制止する。

「じゃあ、おやすみ、みんな…愛してる。」

魔女は、すぐ側まで近寄っていた子どもクロデアにキスをして、言葉を交わすことなく開いた扉から明かりの点いていない廊下へと進むと一つになるように消えていった…。

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