第三章 愛の足音#5
ウィリアンはしばらく屋敷の前で立ち止まって、森の木々の光に照らされ繊細に明度を変えていく輪郭をただ眺めていました。今まで夜中に屋敷を出る時は、時間に追われていたのでこんな景色は見たことが無かったからではないでしょうか。
「た、だいま…」
小声で玄関扉を開けますが、屋敷の中はしんとしています。でもよく耳を澄ませると、食糧庫の方から小さく話し声が聞こえます。
ウィリアンは
ルルカが背のびして棚の中からキャンディの瓶を掴み出して蓋を開け、リージャは床へ敷いた雑紙の上へ何種類ものクッキーを並べてにやにや笑顔を浮かべていました。
「いたずらっこ共―?」
「ひゃあ!」「わっ!」
ルルカは瓶を落とし、リージャは紙をくしゃくしゃにしてクッキーを隠そうとしますが、さっと入ってきたウィリアンにほっぺたをつねられ、断念します。
「二人はいつもこんなことしてるのかしら?」
「ちがうのっ!きょうは、ウィリアン様がかえってこないから、ナナヤとリーとまってたの!」
「そうだよ!それで、あのね、こんなじかんにおきてることなかったから、おなかすいて…」
「それでわざわざ私の部屋から鍵をとって、つまみ食い?悪い子達ね。それに、ナナヤは?」
「あっちでねてるー」
ウィリアンが二人から手持ちのランタンを取り上げると、ルルカが指差した真っ暗な食堂の中へ進んで、代わりに灯りを無くした食糧庫の中では、やだー!くらいー!と二人の声が響いています。
「ナーナーヤ‥」
ウィリアンが恐る恐る照らした食堂のテーブルの一角に、つっぷして眠っているナナヤが現れました。
「わざわざ待っててくれたのね…ナナヤ、風邪引くわよ、起きて。」 ウィリアンが肩を揺すって、何かむにゃむにゃと呟いた後、ナナヤはゆっくり起き上がりました。顔に敷いて寝ていた絵本の跡がついています。
「ああ…ウィリアンさまあ…帰ってこられたんですね…んー‥」
「久しぶりに馬達の世話がしたくて夢中になってたらこんな時間になっちゃったの。待っててくれるのは嬉しいけど、貴女が風邪を引いたら申し訳ないわ…まぁ、後ろにいる悪い子達は別だけどね。」
「悪い子じゃないもん!」「……」
ランタンが照らす範囲に、目尻に涙を浮かべた
よく見ると、口がもごもごしているような…
「二人とも、何したの?まさか…つまみ食い?」
「リーがおなかすいたって泣くんだもーん」「クッキーが、ぼくをよんでた‥」
「…嘘よ。怒ってないわ。こんな時間まで起きてたんだもんね、それはお腹が空くわ…っていうより私もなんだかお腹が空いちゃったから、真夜中のお茶会でもする?」
「ウィリアン様!?」
「やったー!キャンディー食べほーだい!」「ありがとーございます…」
それぞれ騒いでいる食堂に、ゆらりと別の影が揺れて‥
「きゃっ!?あ、アイヴァン!?久しぶりね…足音がしなかったからびっくりした‥」
ウィリアンは無言でランタンを高く掲げ、その炎でも照らすことが出来ないような闇の気配を漂わせた瞳をもったアイヴァンが現れました。
「そーだよー!さいきんアイヴァン、私たちと遊びたくないってずっと部屋にいたくせにー!」
「…‥うるさいから起きたの。お茶会ってきこえたんだけど…」
「アイヴァン」
ウィリアンは長い脚で一気にアイヴァンへと距離を詰めて、ほどきっぱなしのボサボサの髪を撫でました。
「怖い思いをさせてごめんなさい。でも‥私が日頃からいいつけを守ってほしいと言ったのはそういうことだったの。ここは魔女の森だから…でも、私に従ってさえくれれば、大丈夫。必ず守るわ。ね、今から夜のお茶会をするの。それで忘れましょう。」
「うん…」
「なんのはなしー?」「こわいはなしなのかな‥」「……」
「三人共、食糧庫からいくつかお菓子を持ってきて!あとティーセットの用意も!」
「はい‥」「やった!ナナヤー上のほうにあるビスケットもとってねー!」「ぼくもたべたいのが…」
三人の子供達はそれぞれ食糧庫と台所を行き来する中、ウィリアンはとても優しげな笑顔を浮かべて、アイヴァンと手を繋いでテーブルへ着きます。
「必ず守るから」
もう一度そう言い、強く手を握り締めてくるウィリアンに、アイヴァンはやっと視線を合わせると、そこには、アイヴァンよりずっと、光の無い瞳がありました。
それを見て、やっとアイヴァンは体の力を抜きました。
「あー、私~最近おやつ食べてなかったからなーチョコレイトとか、食べたいなー!」
久しぶりに食堂に広がる、アイヴァンの陽気な声。
「ええ?アイヴァン‥チョコレートは高級品よ?めったに食べれない」
「実は私の隠しおやつとして少しあるのよ。取ってくるわ。」
急いでお茶の用意をしながら返事をしたナナヤを遮って、ウィリアンは自分の部屋へ走ります。
「アイヴァーン、もう元気なの?何にち会ってない?さみしかったよー」
「ぼくらがとびらのまえにおいたはな、きれいだったでしょ‥?」
お菓子をつまみ食いしながらも、左右から抱きついてきたルルカとリージャに、アイヴァンも力いっぱい抱き寄せます。
「もちろんー。ちょっとね、内緒だから言えないんだけど…少しだけ怖いことがあって…びっくりしちゃっただけだよ。もう、大丈夫。」
三人分のお茶を席に置きながら、ナナヤは優しい目で見守っています。
そこへ戻ってきたウィリアンも加わって、板のチョコレートを少しづつ割りながら、一人一人のお菓子の皿に置いていきます。
「さぁ‥お茶会を始めましょうか。いたずらっ子二人も席に着いて。」
「はーい!」「はい…」
いつもの定位置ではない、五人一列に並んだ、親しみを感じる距離で始まった夜のお茶会。
雲間から時折覗く月明りと、一つしかないランタンで互いの顔はよく見えませんが、不思議と表情は解ります。
「私ね!引き籠ってるあいだ、実は読んでなかった本を読んでみたの…すっごく面白かった!」
「どんなほんー?こんど私にも見せてっ!」「どこがおもしろかったの‥?」
「新しいイタズラの参考になりそうな喜劇の本!誰にためそうか考えただけでワクワクする!」
「もう、アイヴァン!物は壊さないでよ!」
「私もてつだうーもぐもぐ」「ぼく、ふぁ…こわいからひいよ‥もぐ‥」
ウィリアンは黙って見守りながら、そっと自分の分のクッキーを隣のリージャとアイヴァンのお皿に乗せています。
―食堂の開かれた扉の裏、中からの淡い光によって暗さが際立った影から誰かが様子を窺っていました。
さらにその後ろから、同じ様な背丈の人間が近づいて―
「ひっ!」「何してるのー?」
肩をたたかれたシルバが声を出して、背後のミレが不思議そうな顔をしました。二人とも小声です。
ミレも察してそっと食堂の中を覗いていると、服の首元をつかまれてシルバは後ろにひっぱられます。
「なに!?まざりにいかないの?」
「僕は…あの中に入る資格はないよ。」
「なんで?」
「同じ気持ちじゃないから…」
「…??んー…」
ミレはそっとシルバの手を握り、そのままゆっくり引っ張って食堂から離しました。足音を殺して二人で階段へ向かい昇り切ります。
「‥おやすみ。」「まだだよー」
「えっ?」「私の部屋でお茶会しよ!」
螺旋階段のすぐ側にあるミレの部屋に、シルバはあっという間に連れ込まれます。
ミレの部屋の中、ドアの側から混乱して動けないシルバの前で、ミレはくるくると踊りながらベットサイドテーブルにシーツをかけ、水差しを向きを変えて置き、書斎机の引き出しをごそごそしてハンカチを取り出し、テーブルに置いて広げると何枚ものクッキーと砂糖菓子が現れました。
「…ミレ、いつの間にお菓子を盗ったんだ。」
「ひと聞きわるいなー!女子会したときに余ったおやつを持って帰っただけだよ!まーまー、いーからここ座れよお!」
ミレがさらに書斎机の椅子を運んで置き、自分はベッドに腰掛けます。シルバはミレのことをよく分かっているので、逆らわず落ち着いて椅子へ座りました。
「ミレは…僕のことを憐れんでるのか?」
「何言ってんの?私はーシルバがなんでかあの中に混ざれないって言うし!代わりにお茶会してあげてるだけだよー。」
「……。」
シルバは黙ったまま、ミレの淹れてくれた水を飲みます。
「今晩は月がキレイですねー」
「……」
ミレは足をばたつかせた後、そのままベッドに倒れます。 シルバはそっと砂糖菓子に手を出し、口に入れて、
「…ベチャベチャしてる…」
「いちいち文句言うなー!おもてなし!してるのに!」
ミレは起き上がり、ベッドの上で仁王立ちになってシルバを見下ろしました。その姿は薄い雲を通して降りてくる月の光を浴びて、奇妙に神々しく見えます。
シルバはその姿をじっと見つめた後、目を逸らし、クッキーを食べて、
「これも…美味しくない」
「こーいうのは心で食べるもんなんだよ!」
「意味が分からない…」
「説明したげる!」
ミレはベッドで一度ぽん、と跳ねた後、さっきよりシルバの近くに座り直しました。そしてまだ残っているクッキーに手をかざし
「シルバはー今まで頑張ってきたんだねー。」「何が‥」「全部!色々!だから!感謝の気持ちをこのクッキーに込め、ます!!はあっ!!」
「…はあ‥」
一つ掴むとシルバの口元へ持っていき
「あーん」
「は?」
「早く食べて!魔法が消えちゃう!」
「…」
開いた口に放りこみました。
「美味しくなったでしょ!」
「べ、つ…」
言葉を言いかけたシルバでしたが、哀しそうな表情になったミレを前にして、言葉を打ち切りました。
そして再び、
「少しだけ、美味しくなった気がする…」
紡ぎ直した言葉に、ミレは満面の笑みを浮かべました。
「私も食べよーいただきます!…すっごく美味しい!魔法効いてるね!私もそろそろ本格的に魔女になれるかな…!?」
「まだまだだよ。おこがましいな?」
「えーっ!?ケチッ!!」
二人で月の光の下でお菓子を食べていると…
「確かに、味が良くなった気が…」
「どしたのー?」
シルバはわざとうつむいてミレから視線をそらしていましたが、掛け声に合わせてそっと顔を上げます。
じっとシルバを見つめていたミレは、シルバと目が合うと、首を傾げてそっと笑いました。
「魔法か…」
それとも。シルバはその次の言葉が浮かばないまま、月を求めてベッドの向こうの窓を見上げます。
そのままじっと雲が去って月が現れるまで眺めているとミレの奇妙な声がしたので、視線を下ろすと上半身だけベッドに倒れて眠っていました。
「お茶会っていいながら…完遂出来てないだろ」
シルバはためらいながらもミレの足を持ち上げてベッドに乗せると、そのまま真ん中まで転がして寝かせます。
シルバがベッドから降りようと体を動かした時、
「それ、私のっ!食べないでーむぅにゃっ!」
シルバの服の端を強く掴んで引き寄せました。シルバはミレの頭にぶつかるのはかろうじて避ける形で枕もとに倒れます。
「寝ぞう悪すぎだろ…くっ!」
ミレの握り締める手をほどこうとしますが、やればやるほど強く掴んできます。
疲れてきたシルバは諦めて、枕元のわずかな隙間に体を横たえて、また月の光を見つめます。
「前に読んだ本…月の国から来た姫の話…ずっと昔は、月にも人が住んでいたのかな。」
シルバがひときわ古びたその本を読んでいた時、普段は話しかけてこないクロデアが珍しく寄ってきたので読み聞かせてやったことを思い出しました。その時の輝いていた目の色が、この月の光に似ていたことも。
月の光線と思い出していた記憶の境目が曖昧になったと思った頃、シルバの瞼を朝の光が突き刺しました。
「……朝!?」「ぶべっ!」
飛び起きたシルバがはずみでミレの顔にぶつかり、ミレも一緒に起きます。
「まずい!今何時だ!?ミレ、懐中時計は!?」
「あ~書斎机の上だよ~」
シルバがベッドから跳んできて散らかった書斎机の上から懐中時計を漁り、蓋を開きます。
「朝のあいさつまであと10分もない!仕度だ!!」
「待ってえ~手伝って~」
「ここで脱ぐな!どの服着るんだよ!?」
「なんでも~」
シルバはクローゼットを開けて、目についたワンピースをミレに投げると
「僕は戻る!昨日ここで眠ったことは絶対皆に言うなよ!」
「なんで~…行っちゃった‥あー着がえなきゃあー」
自分の部屋に戻ったシルバは水で濡らした布で顔をごしごしと拭き、パジャマを脱ぎ捨てるとシャツとオーバーオールを着て食堂へ駆けて行きます。
「おはようシルバ!いつも朝一番の勢いで来てるのにどうしたんだ?」
「…ぜえっ…夜ふかしして…」
「めずらしいなーあ、ミレも来たな!おはよー‥って頭ボサボサだな!?」
「ローズん、みんなもーおはよー…」
「ミレはめずらしくないもんねー!もしかして二人で寝てたのー?」
「ちが‥」「あーアイヴァン久しぶりじゃー」
「もういいから、朝の挨拶を始めましょう。席に着きなさい。」
朝食の席に着いていなかった他の子ども達も、ウィリアンの言葉でぞろぞろと椅子に座ります。その間に、ミレはぐっとシルバに『了解』のサインを出します。
シルバが睨み返す中、ウィリアンの挨拶と共に、いつもと変わり無いはずの朝が始まりました。
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