第三章 愛の足音#1
「う…気持ち悪い…」
まだ水分の抜け切っていない獲物達が吊られている小屋の中から飛び出してきたレオルドは近くの草の中に朝ご飯を吐き出した。
「もう…小屋の近くで吐かないでよ。 頭でっかちなだけで他は役に立たないのね。」
「うる…さい。こんなに肉が並んでるのなんか、普、通、気持ち悪いだろ‥。はぁ…」
「その肉を普段食べるだけのあなた達はいいわよね?」
小屋の中から出ることなく、リルティーヌは肉の熟成具合を確かめながらレオルドと話す。
今二人が居るのは、馬で行かなければ遠さを感じるほど離れた森の中で、リルティーヌが中心として管理している狩り場一帯と獲物を保管する小屋だった。
「皆食べるのは好きなくせに捕まえるのが出来ないなんて、根性のない子ばーっかり。おかげで私の仕事は増えてばかりよ」
リルティーヌが一番完成に近そうな肉を少し削いで、口に放り込んだ。
「鹿はすばやいし、うさぎは‥可哀そうだろ。無理だって、普通‥」
「普通。普ー通。そう言えばご飯が食べられるんだから良い言葉ね。」
「……」
レオルドは近くの大きめの葉っぱをちぎって、吐いた物に隠すように振り掛け、リルティーヌを振り返った。
「もう少し休憩してか、ら…狩りに行くから…」
「…もういいわ。一人でやるから、帰ってくれる?」
「え…でも‥」
「気分の悪そうな仲間をこき使ったらウィリアン様に怒られるだろうし。ね?」
「…‥足手まといでごめん。」
リルティーヌは鼻で笑うと、再び小屋の中へ引き返した。
「くそ…むかつくけど言い返せ」「ねぇ」
「わっ!何…」
またレオルドの背後に立っていたリルティーヌは、再び鼻で笑いながら、
「あなたの代わりにミレを連れてきてくれない?きっとあの子こういうの向いてると思うのよね。お願い。」
手にしていた弓をレオルドに向けて、見えない矢を放ち口元だけで笑顔を作る。
「…ちゃんとウィリアン様には連れてっていいか訊くからな。」
レオルドはリルティーヌの顔を見ないようにしながら、足早に自分の荷物を取って、連れてきていた
すでに仕留めた鳥らしき生き物の血抜きをしていたリルティーヌの耳に、馬の蹄の音が入ってくる。
何度も馬が通ることで自然と出来た道の向こうから、白い影が揺れて、まもなく
「呼ばれて登場!このたびはお呼びいただきー感謝です!」
「ヘンリーは夕食どきまた迎えに来て。」
「…」
ミレが勢いよく白馬から降りて騒ぐのを見届けヘンリーは頷いて、また道を引き返していく。
それを見届けているリルティーヌの肩をミレが後ろから両手で強く揺さぶって
「今日は狩りのやり方教えてくれるんだよね!!私の村では女の子って狩りしちゃダメだったから~すっごい楽しみ!あの小屋の中に道具あるの!?」
リルティーヌは振り返るとき優雅な動作でミレの手から逃れた。
「血抜きから始めてみる?」
「あ大丈夫ですー」
血に塗れたつるつるしたエプロンを見てミレは一歩後ろに飛び退いた。
分厚く長い皮の手袋、軽く動きやすそうな白いシャツとしっかりした生地の長ズボン、ふくらはぎまでしっかり包む編み上げ紐製の皮靴。
小屋の中でそれらを着せられたミレ、着せ替えを終えた後、皮の手袋と靴だけ履き替えるリルティーヌ。
「狩り人…女の子の私がこんな姿をする日が来るなんて…!」
「時間が無いからまず簡単な弓の練習をしましょう。その後は奥の狩り場へ入って私の狩りの手伝いをしてもらうから‥ミレ!!飛び跳ねないで!肉に当たる!」
「はい‥」
リルティーヌはミレと自分にも弓矢を装備、小屋を出て、木の密集した森の奥を迷いなく進んでいく。
「ミレ!止まって。ここで練習するわ。」
少しだけ木同士の間隔が開いた場所でリルティーヌはしっかり立ち止まってミレに声を掛けると、
「はいっ!どうやって!?」
同じ体勢でミレも止まった。
ミレの問い掛けに返事をしないままリルティーヌは自分の矢を背負った筒から取り出し、弓に掛けミレに向けた、
「えっ!きゃっ!?」
と思うと矢が高速でミレの横を通り過ぎ、後ろの木に刺さった。
「こっちへ来て。今私が放った矢を後から折るように的にしてみて」
「はあ…はあ…殺されるかと思った…」
「ふふっ、そんなことしたら後からウィリアン様に何されるか分からないわ。」
「リルー!けっこういたずら好きなのは分かるけど、やり過ぎだよ!」
「はやくおいで?」
「…んー分かってんのかな!?」
ミレは怒りを表すように腕を構えながらリルティーヌの隣へ立つ。リルティーヌはその腕を捉え、優しい手つきで弓を握らせる。
「私の矢をこの矢で裂いて、ね?」
ミレの体を覆うかのように近づいて、腕を違う構えの形に作って矢をギリギリまで引かせた。
「えっ!いっいつ手離」
「今よ!」
ミレは瞬間目を細めて手を離した。
ヒュッ、と矢が鳴り飛んだと思うと、的にした木の根元から小さな炎が上がり、ミレが大きな悲鳴を
「なあっ、なに今の!!?」
「近づいて見てくれば?」
ミレがなぜか新しい矢を剣のように構えながらその辺りを見る為近付くと…舐められたような焦げ跡を残した草の一帯と、矢ごと地面に縫いつけられた中型の
「燃えてる?!なんで!?とかげに矢刺さってるし!!」
「これは火蜥蜴。名前の通り攻撃されると火を吐く。まぁこのあたりは湿地帯だからこの程度の火で燃え広がることはないけど。」
「…??そんなとかげ、いるの…?」
「ああ、魔女の森にしか生息しない種類だから。他にも痺れる粘液を出すのもいるし、これから狩る予定の兎や鹿も森の外にはいないわ。」
「‥‥すっ‥ごおい!!さすがっ!!!やっぱり魔女の森なんだね!!!正直そこまで普通の森と違いってないじゃん!?とか思ってたけど!!とり消すね!☆」
「ふん、それは合ってるけど…これからする狩りは慣れてないと危険なの。数日間はここへ通って、ミレには狩りの腕を鍛えてもらうから。」
「わーなんか燃えてきた!!もって練習する!!」
ぴょんと大きく一度跳ねて着地したミレの顔をつかんだリルティーヌは、ちゅうっと頬にキスをする。舌先が少し触れた。
「頑張りましょうね。」
「うん!なんか今お母さんのキス思い出したー!」
「お子ちゃま。」
リルティーヌは今キスしたミレの頬を軽く撫でるように叩くと、また後ろから包むように的の狙い方を指導した。
木の群れがまばらに点在する狩り場の中、中型の動物が走り回る音がしている。
ミレがボール蹴りで鍛えた脚で音のする方へ軽やかに駆けていき、リルティーヌが待ち構える場所まで空射ちの弓の音で獲物を誘導していった。
「そっちへ行ったよー!」
ミレの声を合図にリルティーヌが隠れていた木陰から舞い出て、目前の距離にいる鹿へ向け矢を放った。
「ミレ!」
矢が高速で鹿の顔のすぐ横を通り過ぎていき、驚いて高い鳴き声をあげるとミレのいる場所へ方向転換し奔りだした。
一瞬あぜんとしていたミレは、掛け声に我に返るとどうにか
意識を呼び覚まして震えを少し抑えると「ここ‥だあっ!!」と自分の大声に発破をかけられた様に思い切り矢を引いた
次の瞬間、木の繊維が細かく割れていく音がしたと思うと弓が真ん中から綺麗に折れて、矢ごと地面に落ちていった。
「ええ??折れた?!リル、どー‥わお!」
驚いて頭をかかえる暇もなく鹿がこちら目がけて突っ走っているのに気付きミレは中途半端な体勢のまま左へ飛びのくが、鹿の脚のつけ根がミレの腕に当たった。
ビ、リリリリ!!!
ミレの腕が白い稲妻に覆われて、ミレはその場で声を出す間も無く倒れ、鹿は遠くへ疾り去っていった。
「痛‥ボールと間違えちゃやだよー‥んー‥あれえ…」
ミレは自分の身体に奔る痛みに気づいて目を覚ました。 目の前にリルティーヌの顔が一面にある。
「おはよう。はやく起きて。日が暮れる前にもっと狩らないと」
「なんで耳たぶひっぱるのー。体も痺れてるしー…」
「覚えてないの?雷鹿に触って倒れたのよ。しびれはそのうち良くなるわ。」
「カミナリジカ…?それって、今度は炎じゃなくて雷出すの…?」
「その通りね。弓は新しいの持ってきたから。雷鹿は、ほら、そこにいる。」
ミレはようやく上半身を起こすと、リルティーヌが顎で示した方を見る。リルティーヌのすぐ側には雷鹿が横たわっていて、開いた目には光が無い。
「鹿…仕留めたの?どうやって!?」
「動脈を狙えば一発で。はい、ミレも回数をこなせば出来るわ。」
ミレの鼻先に新しい弓が突きつけられた。
「…これも魔女の修業だもんね!努力します!!」
ミレは笑顔と同時に脚を跳ねて立ち上がると弓を受け取った。
「あのキツネは良い毛皮になるわ!やって!」
矢を放つミレ。外れる。キツネが長い高音の鳴き声を出す。ミレが倒れる。
「笛狐は耳あてがないとこの距離でも駄目ね。」
リルティーヌが耳あてを外して首にかけ直した。
「あのウサギは肉が美味しいのよ。毛皮もふわふわ。」
矢を放つミレ。外れる。ウサギが逃げ際に激しく輝く。ミレが倒れる。
「光源兎は目をつむってても眩しいわね。」
リルティーヌがまぶたを何度も閉じたい開けたりした。
「あっリスが持ってるあの木の実…美味しいのよ。追いかけて木の場所を突き止めましょう。」
追い駆けるミレ。足音に驚いたリスが木の上から屁をこく。ミレが倒れる。
「放屁栗鼠はこの木の実の成分から屁を作るのよね。私は食べなくて正解ね。」
リルティーヌが近くに転がる木の実を拾ってポケットに入れた。
「ミレ、あの鳥は‥あら、何処へ行くの」
走り出したミレ。中型のトカゲを踏んで、足に粘液を吐かれる。ミレが倒れる。
「痺れ蜥蜴を踏んだのかしら?きちんと足元を見ないから‥」
リルティーヌが矢を放って一撃でトカゲを仕留めた。
「もうやだっ!!いーやー!!館へ帰らせてもらいますっ!!」
「歩いて帰るには遠いわよ。あと何度か練習すれば迎えの馬が来る頃になるから、ね。」
「やーだーっ!!弓返しますっ!だいたいさー?何でわざわざ狩りするのさ?闇市で買えばいいのにー」
「あなたは闇市の肉の値段を分かってる?」
リルティーヌは膝をつき座り込んだミレに近寄って、弓を受け取る。
「知らない…高いの?鶏肉だったら安くてたくさん食べれるけど…」
「あなたの村は肉が安定して入荷していたからそういう事が言えるのかもね。お金の無い村なら肉屋が無いことも珍しくないから、小金持ちなら闇市へ使いをやって買ってくる。そういう人間の足元を見ているから、私達…魔女だって手が出せる値段じゃない。魔女は働いてないから、いつも貧乏なのよ」
「……」
「生きていくためなら何だってするのが、魔女なのよ。」
「うん‥私、魔女見習いなのに‥駄目だね!やる気だすよ!!獲物はどーこーだー!!!」
弓を取り返すと、ミレは闇雲に走り跳ねたり時々つまづく。
「大きい声を出すと動物達が逃げる!あと走らない!」
「はーい!!!」
ミレは返事をしながら、見つけた兎を追い駆けていた。
「今日はここまでで上がりましょう。ミレ、兎頑張ったわね。筋が良いかも。」
「かわいそーだったけどね!ありがとう!」
髪飾りをいじってぼさぼさのおさげの位置を直しながらミレは言う。その膝の上には狩った光源兎を乗せている。
「あーありがとう!」
リルティーヌがミレのおさげを整えている間に、ヘンリーが乗った迎えの白馬が現れた。
「ミレはこの馬で帰りなさい。私はこれから捌いて加工するから泊まるわ。」
「私もお泊りします!」
「狩りで疲れたでしょう。早く帰って寝なさい。この小屋で寝たら血の匂いで吐くわよ。」
「わっかりました!リル続けて頑張ってねー♪」
ミレは光源兎を渡しながらリルティーヌの頬にキスをした。リルティーヌは鼻で笑って、おでこをぶつける。
「出来た肉をいくつか持って帰ってもらうわ。ヘンリー手伝って!」
手伝おうとするミレを制して、二人は置かれた荷台に干し肉を積み込む。少しして、リルティーヌはミレがこちらを見ていない事を確認すると
「ヘンリー」
かすれ気味の声で呼び顔を近付ける。ヘンリーは目を瞑った。
頬に何かが触れて、甘酸っぱい香りが漂う。
「良い匂いのする草。前にどんな香りか知りたいって言ってたでしょ?お土産。」
ヘンリーが目を開けると、目前にリルティーヌの微笑みと、片手に握られた草の束。
「……ありがとう」
ヘンリーはリルティーヌの手から草を受け取ると、強く握り、もう二度は無いように深く息を吸った。
リルティーヌはもう興味はないとばかりに引き続き肉やミレの荷物を積み込む。
終わった後、ミレを呼び、ミレは肉の中に埋もれるようにして荷台の中心に座る。
古来より伝わる、市場へ売られていく子牛の悲哀を語った歌を奏でながら、馬車はリルティーヌの視界から消えていった。
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