第二章 私の命の速さ#15

僕の姉さんはお菓子作りが好きで、僕の家はいつもお菓子の甘い匂いがただよってる。

まだ見ぬ未来の彼氏のためにお菓子を作っている最中に、僕は後ろから近付いて、さっとつまみ食いする。

姉さんは体の色んな所に目玉が付いているのかと思うぐらい、僕のつまみ食いやいたずらを察知して、怒って追いかけ回してくる。けど今日は違う。

「ナキは変に物覚えが良いわよね‥いつも私のつまみ食いしかしてないくせに、これだけ出来るなんて。」

姉さんは棘のある口調でぼやきながら、かまどの中のキッシュの焼け具合を見ている。

「姉さんが物覚えが悪いだけだよ。僕は何度も手伝ってるよ。」

姉さんが手に持っていたミトンを投げてきたのをいつも通り避けて、僕は箱に焼いたカスタードパイを詰める。

「姉さんありがとう。行ってくるよ。」

「はいはーい。」

後片付けをしてくれている姉さんの声をあとに、僕は出来たてのお菓子やジュースの瓶を籠に入れて、ワイグの家へ向かった。

 玄関のベルの紐を引いて呼ぶと、満面の笑みのワイグが出てきた。

「おーはよ!ハム、良いかんじに仕上がったぜ!」

「ふ‥ほぼ伯父さん作だろ。」

「うっ、香り付けだけは俺がしたんだよ!」

始めて村の集まりで会った時はなれなれしくて嫌な奴だと思ったこいつワイグも今は僕の一番の親友になった。

今から二人で向かうのは、ワイグが好きな女の子二人を誘ってのピクニック。

もちろん誘ったのは僕。こいつは体と声はでかいくせに肝は小さいから、いつも僕が率先して行動するんだ。

「あ~!ドキドキしてきた。なあ?俺女の子の友達いないから分からないんだけど、女の子の部屋って、なんか良い匂いするのかな?それっていつもお菓子を作ったり食べたりしてるからとか…?」

「お前変態みたいだな。」

ワイグからの蹴りをかわしながら、まずは目当ての女の子そのいち、ウィリアンの家へ向かって歩いていく。

「お前は綺麗でお菓子が作れるお姉さんがいてうらやましいよ‥‥俺の妹はチビでブスで生意気だし、兄貴は背ばっかり高くて口うるさい奴だし。あ、あの花きれいだな。二人に摘んでいこうかな」

「僕の姉さんも他人の目がなかったらお前の妹と変わらないよ。むしろ僕は兄さんが欲しかったな。‥オルガスタは分からないけど、ウィリアンは花を摘むと怒るぞ。花だって生きてるんだから!って怒られた‥やっぱり精霊助師の家の娘は難しいな」

「お前ってやっぱ俺にだまって抜けがけしてるだろ!?」

最近父親の仕事の手伝い、もしくは村の集まりに参加するばかりの毎日だったせいか、こいつと軽口をたたきながら行くいつもの道でも胸が弾んでいる気がした。

「さっきから焦げ臭いよな…」

「……」

ウィリアンの家の辺りで香ばしさを通り越した匂いがしている。ワイグがウィリアンの家の呼び出しのベルを鳴らして、しばらく待つ。 家の中から気配はしなかった。

「うーんどうしようか‥」「ウィリアン!!」

「ここよ!!」

僕が大声で呼ぶと隣の家の中からウィリアンの声が返ってきた。そっちに目を向けると、窓が大きく開かれてラーザント家の奥方、アリシスさんが僕らを見つけた。

「二人共お待ちかねよ!早く入ってらっしゃい!」

玄関にまわり込んで出迎えに来たアリシスさんに台所へ連れていかれる。

「ナキィル、ワイグ!遅いわよ!でもちょっと待って!」

「ごめんねあと少しで…」

「だから手伝うっていってるじゃない?」

「アリシスさんが手伝うと全部やってしまうから意味ないんです!」

こんな汚い台所は初めて見た。僕の姉さんですらここまでは…

「なあ…あの炭の固まりは何だ?うわっ、あの辺り粉の山が、てか二人がすすとクリームまみれ…」

「卵白は僕が泡立てるよ。」

「えっ、本当?」「さすがナキィル、ありがとう!」「氷が溶け始めてるわ!早くね!」

明らかに引いた態度で、台所で言い合いしている三人に近付こうとしたワイグを押しのけて、僕は輪に入る事に成功した。

「ワイグ!お前も少しは手伝えよ!」

「おい!俺が役立たずみたいな言い方するなよ?!」

僕は女性達に指示を出しながら、親友に声を掛けることを忘れたりしない。

「私もう疲れた…ワイグ、代わりに混ぜて~」

オルガスタがブルーベリーケーキの素が入ったボウルを持ち上げて横を向いた瞬間、すぐ側まで来ていたワイグとぶつかった。

「うわっ!??」「きゃあっ!!」

ブルーベリーケーキの素は勢いよくボールから飛び出して、ワイグの胸からお腹にかけてべったり覆いつくした。

「ぶはっ‥」「えっ!ケーキがっ!?」「布巾ふきんっ!」

「オルガスタッ!!」

「そんな恐い顔しないでよっ!!わざとじゃないわよ!!」

ワイグのシャツは誰が見てももう着れないぐらい紫になっていて、僕は笑いをこらえるのに必死だ。

「ワイグごめんね!私っちょっと何か着るもの探してくるわっ!」

別にウィリアンは悪くないのに、彼女は謝りながら自分の家へ駆けて戻っていった。

アリシアさんに布巾でごしごしと拭かれながらうなだれるワイグはもう使えないので、ウィリアンが戻ってくるまでオルガスタに後は何を作るつもりかきいて、残った材料でとりかかる。

「おまたせっ!ごめん、ワイグが着れそうなの、これしかないけど…」

息を切らせて戻ってきたウィリアンを見て、ワイグの顔がぱっと明るくなった。と、思った次には、彼女がひろげた服を見て絶望した顔になった。

「女の子のワンピースじゃんか!!ウィリアン、いくらなんでもこれはー‥」

「だって、…私はひとりっ子だし、まだ大きめの服っていえばこれしか無かったの…」

「えー?じゃあワイグってばピクニック行かないわけ?服がそんなんじゃ一緒には行けないわー!」

ワイグは眼玉をぎょろっと回して僕に視線を寄こして助けを求めてくる。

「僕に良い考えがあるよ。アリシスさん、どこか部屋貸してください」

「はいはい、こっちへどうぞ」

「お~‥我が友よ…」

「ちっ」「ええと‥私は手伝わなくて大丈夫?」

大丈夫だよ、とウィリアンに返事して僕は親友の肩を抱いて部屋へ入った。

「嫌だ!嫌だっ!こんな格好っ!!」「もういまさらだろ。お前がごねればごねるほどピクニックの時間が短くなるんだぞ?ほら!」

ワイグは俺に突き飛ばされてやっと台所へ顔を出した。

「わーあっ…ワイグ、本当の女の子みたい!」

「ぎゃはははっ!!さらに大変なことになってるっ!!」

僕も二人の反応を見て我慢の限界が来て大笑いしてしまった。

ワイグの今の姿は…ウィリアンが持ってきた薄い茶色のフリル付きワンピースを着て、がっちりした脚をアリシスさんに借りた白のタイツにおし込んで、短い髪とどう見ても男らしい顔つきをアリシスさんの子どもの頃のお気に入りだったクラシック古風さの漂うリボン付き帽子で隠した、可憐な少女だった。

「最悪だ…部屋に入ったとたん、頭がズコン!!て揺れたかと思ったら?!起きたらこれだよ!!」

「久しぶりに手刀を使ってみたけどきれいに決まってよかったよ。」

ケーキが焼き上がったと同時に、落ち込むワイグが帰ると言い出す前に僕らはアリシアさんに見送られピクニックへ出掛けた。

僕らの目の前で、村でも人気の高い女の子二人が、道端の花を摘んでお互いの帽子に差し合ったり、いじわるな知り合いのおばさんの話をしたりして騒いでいるのを見つめる…時々同じように見つめているワイグの姿も見る。

「ワイちゃんにもおすそわけっ!♪」

オルガスタがくるくる回りながら後ろの僕達に近づいて、ワイグの帽子に摘んだ花を挿すと、馬鹿笑いをしながらウィリアンのとこへ戻る。

「むかつくな…」

と、言いながらさっきから帽子の下でにやけていた顔がさらにゆるむのを僕は見逃さなかった。

ワイグは時々誰かとすれ違うたび帽子を目深にかぶってやり過ごし、その様子を三人で色々からかいながらピクニックをする予定の見晴らしの良い草原を目指す。

「着いたー!やっぱここは風が爽やかで気持ちいー!」

「最近じめじめする日が続いてるよね。ここに来ると気分が晴れるね。」

「おーい、どこに座るよ?」

「ワイちゃんのスカートが汚れない所を探そうか」

ワイグのスカートから飛び出てくる白い足蹴りを、持っている籠の中身を落とさないように避けながら陽当たりのきつくなさそうな場所を探した。

「ここの木陰、過ごしやすそう!ここにしない!?」

少し遠くの方で陽のきらめきの波にさらされそうなウィリアンが僕らを呼んでいる。誰も異論はあるはずない。

ウィリアンの隣には当然オルガスタが座って、僕達は当然その向かい側に人ひとり分の距離を空けて座った。

「じゃあ、何から食べちゃう?私はサンドイッチー!♪」

「もう食うのかよ!?ほんと豚みたいだなー」

籠の中身を広げないうちからオルガスタがワイグに掴みかかったいつもの光景―と思ったら、オルガスタはワイグにのしかかった。

「おまっ、な‥ぶぐっ!」

オルガスタはワイちゃんのスカートを限界まで捲り上げて、そいつの口に乱暴につっ込んだ。

おまけに脚を抱えてタイツを脱がせている。ウィリアンはきゃあ!と、叫んで手で顔をおおって俯いている。

「あっはは!!その汚い脚をさらしながらお家へ帰りなさいよ!」

「なんてことするんだお前ええ!!待てっ!!!」

オルガスタはワイグの下着付きのタイツをふり回しながら向こうの下り坂へ駆けていく。ワイグも素足のまま後を追いかけていった。

「もうっ!オルガはいつもああなのよ!妹さんにも乱暴だし‥困っちゃうわよね。」

「そうだね。‥何か飲み物ない?」

「あっそうよね、騒ぎすぎて私も喉がかわいたし、どれでも好きなのどうぞ」

思いがけずウィリアンと二人きりになれた。そのせいで高鳴る胸の音は聞こえないふりをしながら、差し出された籠の中の瓶詰めのジュースを選ぶ。

はちみつ入りの炭酸水を取り出して、ウィリアンの顔をながめながら口へ運ぶ。 彼女はこの草原の遠くを、いやきっと、違う場所を見ていた。

彼女ウィリアンはいつもそうだ。どこか哀しそうな目をして、僕らとは違う世界を思っている。

精霊助師の家の娘だからそう感じるのかもしれないけど…僕はウィリアンのそういうところに惹かれていた。

「ぶはっ!!げほっ!‥うえっ」

くそ不味い。何だこれ!? あまりのまずさに僕は口に含んだ水を草の上へ吐き出した。

「ナキィル!?どうしたの!?あっこれっ!オルガ‥あの子はもうっ!」

「何か変に口の中が甘い‥これは何?」

「オルガ特製しゃぼん玉水…せっけんがたっぷり入ってて、しかもしゃぼんが長持ちするからってはちみつも‥他に何が入ってるか分からない‥本当ごめんね!」

「うん…知りたくないからいいよ。ウィリアンは悪くないし。」

ウィリアンははにかんで僕からせっけん水の瓶を取ると、少しの間それを見てから籠の中を漁り始めた。

すぐに、はりがねを輪っかにして作られた、多分オルガスタ作の持ち手を見つけて僕にかざして見せる。

「オルガは不器用なのに、この道具の輪っかはきれいなまんまるに作れるんだよ。‥ナキィル、向こうの崖から飛ばしてみない?」

「向こうの崖‥どうして?」

「いいから。」

ウィリアンが僕の手首をつかんでちょっと強引に立たせた。―そのまま手をつなぎたい、と思ったけどウィリアンはすぐ僕から離れて遠くの崖へ一人で歩いていく。

―ウィリアンについていった先には、僕らの村が見渡せる景色があった。

空とも近くて、あと少しジャンプすれば鳥のように飛んでいけそうな気さえしてくる。

「…こんなところあったんだね。少し怖いけど、良い景色だ。」

「でしょ?今から吹くから、見ててね。」

形の良いウィリアンの唇がふーっ、と長く息を吐き出して、僕らの目の前の空にしゃぼん玉がたくさん生まれていく。

きれいだ、と言う前にごうっ!と大きな風が吹き抜けて、しゃぼん玉の群れは僕らの村を目指す様に落ちていった。

「この場所、大きい風が村に向かって流れてるんだよ。しゃぼん玉が虹の橋みたいで…すごくきれい。」

「でもこの感じだと村にたどり着くまでに全部消えるよ。」

しまった。と、思った。こういう言い方は女の子は一番よろこばないんだと、姉さんに怒られたばっかりなのに。

あせる僕の前に横からウィリアンがしゃぼん液の瓶を差し出した。

「じゃあ消える前にナキィルが吹き続けて!たくさん繋げていけばたどり着けるよ!」

ウィリアンは怒ったような口ぶりで笑っていた。

僕は…瓶を受け取って、持ち手を目の前にかざして自分の村を見た。

しゃぼん玉の膜の中におさまったトリスアイン僕達の村は‥ウィリアンは理想郷に映ってるんだろうか。

そこに届くように僕は思い切り、長く息を吹いた。

「すごいすごい!さすが男の子だねー!」

自分でもびっくりするぐらいたくさんのしゃぼん玉ができて、風がいっせいに運んで村への道を作っていく。ウィリアンの声援を背に、次々としゃぼん液を吹き続ける。

「オルガのしゃぼん液はほんとにながく飛ぶの。近所の子達にも好評よ?」

途中で消えていくだろうと思ったしゃぼん玉の群れは意外としぶとく飛び続けていて、もしかしたら最後の一つくらいは村へ届くかもしれなかった。

「ちょっとー!!私のしゃぼん玉セット勝手に使ってるでしょ!?」

「あっばれたわ」「こんなに飛ばして!!私が吹く分残ってんの!?」

崖の道から大きく回り込んで走る音がして、オルガスタが現れた。遅れて汚れたワイグもついてくる。

「オルガ!!またしゃぼん玉液、ややこしい瓶に入れて!ラベルとか貼りなよって言ったでしょ!ナキィルが間違って飲んだよ!?」

「えっ!?これ作るのだって材料使い過ぎってママに怒られたからこっそりやってんのに!余計減ったんじゃない!」

「もう!そーいうことじゃないでしょ!」

うるさく言い合う女の子二人と疲れた顔で黙ってたたずむ女子もどきを見るのも疲れて、崖の先の景色をまた見た。

―しゃぼん玉の群れは消えていた。…村への橋だなんて、ほんとおとぎ話だ。

「ちょっと犯人!私の話きいてますか!?」

「…虹の橋、オルガのしゃぼん液じゃ無理そうだよ。」

「そんなことないわ!まだあそこにちょっとしゃぼん玉残ってるのよ!村の近くまで届いてる!」

…最近本の読み過ぎで少し目が見えにくくなっているけど、オルガスタが指差す辺りを目をこらして見ると、確かにいくつかのしゃぼん玉がまだ浮かんでいた。

「うーん‥くやしいけどナキィルはしゃぼん玉の才能あると思う!今なら間に合う!もっとどんどん吹いて!」

「……息を吐くのは僕なんかよりワイグの方が才能あるよ。前に旅芸人が持ってきた風船をふくらますのも僕よりずっと早かった。なあワイグ。」

「あ″ー?」

何があったのか知らないけど、泥と葉っぱまみれになったワイグは僕をにらみつけてる。

「本当?ならワイグ頑張って!‥こっち!ここへ立って!」

「やめろよー…あ、すごく見はらし良いな…俺達の村よく見えるじゃん」

「ほら」

僕はさりげなくワイグにしゃぼん液を渡して二人から離れた。ウィリアンがどうしてか僕を追いかけてくる。

「どこ行くの」

「疲れたから先に座ってるよ。ウィリアンは虹の橋、できるとこ見てきたら」

「できたらオルガスタが大騒ぎして呼んでくれるよ。ね、おやつってお姉さんが作ったの?私、村のお茶会でお姉さんのケーキが美味しいって聞いて気になってて!」

「…そうだったんだ。じゃあえんりょしないで食べてよ。二人より先にひとくちどうぞ。」

「‥ありがとう!私ね、ナキィルともっと話したかったから、今日はうれしかったの!」

…お菓子目当てか。睨んでしまいそうなのを我慢してウィリアンの顔を見たら本当に…満面の笑みだった。

「―‥僕、もっ」

「おーい!なんでっ!二人とも抜けてんのーっ!」

「あはっ!しゃぼん玉、村まで届いたー!?」

「液が切れた!俺達も戻るぞーっ!!」

こっちに向かって走ってくる二人と手を振り返すウィリアン。

「…ウィリアンも大変だね。ウィリアンにはクリーム多めのあげる」

「そう!大変なの色々と‥ありがとう!」

よく考えたら‥僕はこんなふうに誰かとピクニックに行くことなんてなかった‥お父さんの友達の子どもとは仲良くしなさいと言われたから‥教わった、機嫌を悪くしない話し方をしたけれど。

こんなに楽しい、と思ったことはなかった。

僕は今日のことを忘れない。

気安く話しかけられて、背中をたたかれて、笑いかけられる友達を手放さないと、心の中で…ううん、目の前にいる精霊の化身のような人に祈って…

「どう、したの急に?手触って…」

「ごめん、何でもないよ。僕はどれから食べようかな」

さっきまで見ていたしゃぼん玉を真似て、僕は風に運ばれるように僕らのピクニック広場へ走っていった。


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