第二章 私の命の速さ#14


ローズ。ロズンド。

私の最愛の人の名前。呼ぶだけで強くなれる名前。私を闇から救ってくれた人。

彼と見つめ合って、キスをして、野苺を摘んでいるだけで、これ以上ない幸せを感じるの。

 私は…父親のいない家に生まれた。誰も詳しくは教えてくれなかったけれど、どこかの家庭がある男の人と恋に堕ちて、私を授かったと聞いた。

私の母の両親は厳格な人で、そんな母を許せなかったみたい。

勘当されて、別の町へと移り住んで、そこで裁縫の下請工事で働きながら私を必死で育ててくれた。

母は大概いらいらしていて、でも私の誕生日はちゃんとケーキを作ってお祝いしてくれたし、苦しい生活の中でもそんなに不自由を感じたこともなかった。

母の職場の繋がりで、同じような境遇の家庭の子達とも友達になれた。

フラーナ、サラ、ディエゴ…ディエゴは私の初恋の人だったな…三人と遊んだ日々が懐かしい。

今も幸せだけど、あの頃の日々も思い出すとまた違う幸せがあった、って気持ちが胸に甘く広がっていくのを感じる。

でもそんな日々も十三才のとある日終わりを告げた。

母が亡くなった。過労からくる病死だった。

長年勤めていた工場からは何の見舞金もなく、ちゃんとした学校らしい所にも行っていなかった私にはこの先食べていくすべも浮かばなかった。

母の下請け仲間達がつくってくれた短い葬儀が終わってからは、私は部屋に籠り続けた。

時々泣くのを抑えられなかったけど、心配して食べ物を持ってきてくれる母の仲間の人達に甘えながら、しばらく過ごしていたある日。

叔父おじと名乗る人間が私を訪ねてきた。

どう言えばいいのか、何となくだらしない風貌で、最初は信じなかった。

でもその男が持ってきた、若い頃の母が写った写真の数々…を見て私は叔父であることを信じざるをえなかった。

家族と逢えてよかったね…と見送ってくれる友達の言葉を胸に秘めて、私は叔父と一緒に暮らすため町をあとにした。

そこからは地獄の日々だった。

叔父と母の両親はすでに亡くなっていて、叔父はさんざん放浪を続けた後この実家に戻ってきたらしい。

実家を引き継いだはずの別の叔父は、この叔父が実家に戻ってくるなり逃げるように別の所へ去っていった。

私をどうするかという話し合いの時、私も連れていくと別の叔父は言っていたらしいけど、姉の代わりは自分が務めるからとゆずらなかったと、後に叔父は胸を張って私に語った。

なら、どうして、私を。

 叔父はまともに料理をしようとしなかったから、私は本当は苦手だった料理を一生懸命覚えた。

母よりも低い賃金の日雇いの仕事で稼いでくるお金を一生懸命やり繰りして、生活用品を買った。叔父が呑む酒を買った。博打に使うお金も捻出した。本当にお金が無いときは万引きもした。実家も売って安いアパートに引っ越した。

でも、お金が、お金が、足りなくて。

それでお金とお酒が足りなくなると殴られた。

殴られることが段々と増えてきて、心配してくれていたはずの人達にも見て見ぬふりされるようになって。

 あの晩は赤い月が出ていたのを覚えてる。

その頃は叔父に付き合わされて酒を呑まされることが増えていて、その晩も酔いつぶれ着替えもできないまま、絨毯ラグの上に転がって寝ていた。

急に何か冷たさを感じて目が覚めて。 薄闇に目が慣れた‥と思った時、叔父の顔が異様に近くにある事に気付く。

冷たかったのは叔父の手で、それが私の上着を捲りながら肌を這っていく。

やめてっ…!かすれた声で一生懸命叫んでいる最中、瓶の口を押し当てられた。飲み残しの酒がどくどく流れ込んできて…咳き込んで、叫ぶことが出来なくて、頭もどんどん朦朧としてきて…

その後のことはよく覚えていない。 ただひたすら吐き気に耐えて、痛みに耐えた。

 やがて叔父の友だちと名乗る人達が部屋に出入りするようになって。私の身体は共有の物になって。

私の身体で遊んでいる最中に叔父の仲間に″俺と結婚するか?″と言われた。その後すぐにまぁ俺はもうしてるし、お前の叔父さんのおさがりは無理だなー、と嘲笑された。

何をされたか、私は今の幸せな日々の中で記憶が薄らいでいる。でもこのことは時々頭の中に甦って、嘔吐してしまったりする。

彼らの遊びが終わった後にわらいながら硬貨を投げ落とされ続けたせいで、金属が奏でる音で心臓が痛くなるようにもなった。

でもロズンドが側にいてくれて、頭をなでてくれるだけで。苦痛の全部は吹き飛んでいく気がした。

この幸せを手に入れるために、私は精霊に背く罪を犯して、この森へ逃げてきたの。

″もっとはやくにお前を引き取っておけばよかったな、お前の器量の良さは金になる″

仲間達に私を売るようになってから叔父はずっと上機嫌だった。

その日も仲間達が酒とさかなを持って部屋へ上がってきた。

仲間の一人が私の背中をたたいて、ベッドへ行くよう促す。

″こいついつまでたってもろくに技も覚えねーな″

″ははっ、悪いな、また次までには何か教え込んどくよ″

髪を強く掴まれて、何か汚い言葉を言われた後、口にハムの欠片を押しつけられる。

″これしゃぶって練習しろよ、はははっ!!″

このハムはどこから、と視線を流して周りを見ると、私を抱こうとしている男の後ろで別の男がハムの塊をナイフで削いでいた。

この男が私を痛めつけたら、次はあの男。また別の男。まだ別の男もいる。

ハムが口からこぼれ落ちた。次には私は全力で目の前の男を突き飛ばして後ろの男に噛みついてナイフを奪っていた。

″おいおい、何考えてんだこの女。歯向かう気か?″″ハムを切りたいんじゃねえの、おい叔父さんよぉ、ハムの切り方ぐらい教えてやれ!″

ナイフを握り締めてたたずむ私にハムの塊が飛んできて、顔に当たった。その瞬間ひざが震えて、ほこりだらけの床に座り込んでしまう。

″何でも勢いはいいが諦めの悪い奴だなぁ、ナイフを寄こせよ。″

男の一人が私のひとつに纏めたおさげ髪を引っ張って無理矢理に立たせて、ナイフを奪うと私のおさげ髪をくるりと私の顔の前に持ってきて、じょり、じょり、と音をさせて切り落とした。

″お前やってる最中いつも髪は触るなってしつこかったもんな。これでもう大して触れなくなっただろ、あはははっ!″

切り落とされた髪で私は頭をぶたれて、また床に転がってしまう。

―私が何をしたんだろう。これが、男というものなんだろうか。―

短くなった髪を掴まれてベッドの上へ引き倒される。

「そーおだ!これから一回やるごとに傷入れてやろうか!どれだけ自分が使い古されてるかよく分かるようになるだろ!?」

「おい!俺の商品に何を―」

目の前でナイフの残像が揺れて、腕に痛みがはしった。

左の二の腕の辺り、赤い傷が生まれて、細く血が流れていった。すべての音が遠くに聴こえる。

―私は何で、ここにいるんだろう。

私は…ただ、母と一緒に暮らしていたかった。友達と美味しいお菓子が食べたいなって、語り合いたかった。叔父に、殴られるのではなくて、頭を撫でて欲しかった。

素敵な男の子と恋をして―結ばれたかった。

汚い目をした男がつばを飛ばしながら私の脚を開こうとしている。

そうだ。全部壊せばいいんだ。一度全部壊せば。また。

―「痛あ゛あ゛あ゛!!てめえええ!!!」

? 一瞬飛んだ意識が男の声で甦る。 私は男の手ごとナイフを握って、男の胸に突き立てていた。

男は私に掴みかかろうとした体勢のまま、横に倒れてベッドからすべり落ちた後、静かに震え続けている。

 壊せばいい。 壊せばいい。 壊せばいい。 壊せばいい。 

その後はずっとその言葉が頭の中に響き続けて、気づくと私は薄暗いどこかの路地裏に座り込んでいた。

スカートに引っかかったガラスの破片をつまんで、そうだ、私イスを振り回して窓を割って、二階から飛び降りて逃げてきたんだっけ、と思い出す。

身体が燃えているみたいに熱い。自分の身体をよく見つめると、足は片方しか靴を履いていなくてもう片方は傷だらけで素足だった。

もっとよく見ると腕も、きっと頬も傷だらけで血が出ている。

…あの男達の怒声と足音が聞こえる! 一息で立ち上がると脚に耐えられない痛みがはしって、でも見つかるときっと殺されるから、私は必死に薄汚れた壁づたいに逃げた。

色んな怖い人間や音の気配がするたびにそれを避けたり、隠れたりを繰り返して、やがて夜になると路地裏は恐ろしい気配に満ちてきて、私は思わず大通りに出た。

すれ違う人が私を奇異の目で見て、私はまた鼠みたいにこそこそと歩きまわるうちに、誰もいない公園へ辿り着いた。

可愛くない熊にみえる遊具の穴の中へ入って、私は膝をかかえて泣きじゃくった。

どうして私ばっかりこんな目にあうの。私は…私は……

「お嬢さん、どうしました?」

顔をとっさに上げると、中年の紳士風の男性がかがんで私を見つめていた。

その目は公園のガス灯のわずかな光に照らされて、星のようにキラキラ輝いている。私の家に出入りしていた男達の中にはこんな綺麗な目をした人間はいなかった。

「私…は…」

「怯えなくてもいいんだよ。私は君に危害を加えたりしないから。」

男の人にしては綺麗な、ほっそりした白い手を私に差し出して微笑んでいる。

今の私にはこの人しかいない。 本能的にそう感じて、私はその手を強く握りしめた。

  傷のひどかった私はもううまく歩けなくて、彼に近くのホテルへ連れていってもらった。小奇麗な、落ち着く雰囲気のホテルだった。

「脚…ひどい傷だね。どうしてこんなことに?」

「…私は…―」

流れて止まらない涙をハンカチで何度もぬぐってくれた彼を相手に、私は少しづつ自分の身の上話をした。

それからはずっと蜜月だった。 彼に子どものようにあやされながらご飯を食べて、暴力のないセックスをして、彼が仕事に出るのを見送る。

「ねぇ、いつになったら××の家へ連れていってくれるの?」

行為の後、ホテルのベッドの上で彼の背中にすり寄りながら訊いた。いつもは何にも動じない彼の背中が少し震えた気がした。

「私…もう一週間もホテルの中から出てない。本当は外はまだ恐いけど…あなたの家ならきっと大丈夫って思えるの。」

「そうだね…でも僕の家は汚いからなぁ…父に先立たれた母もいるし。色々難しくてね…あと少しだけ待ってくれるかい?」

彼はくるりと体を翻して私にキスをした。そのまま、また気持ち良さに溺れていく。本当は彼の家へ行くことなどどうでもよかった。ただ、この幸せにずっと浸っていたかっただけ…

短い間眠って、次に起きた時彼は服を着替えていた。置きっぱなしの荷物も近くに携えていて。

「どこへ行くの…?」

彼は少し冷たい視線を寄こした、と思うとすぐにいつもの笑顔に戻って、

「仕事が溜まっているから早めに会社へ行くよ。後、君と暮らす為の算段を母とつけてこようと思う。」

「本当!?」

「もちろん。何日か待たせるかもしれないけど、信じて待っててくれるかい…?」

「ええ…愛してる!××!」

深いキスを何度かして、私は彼を部屋のドアから見送った。急に寒さを感じて、自分が裸だったことを思い出して、ベッド近くのソファーにひっかけてあるドレスを着込む。

ふわふわの白いえりまき。スリットの入った赤いドレス。真珠のネックレス。 母や叔父といた頃は決して着せてもらえなかった美しいドレスや宝石を私はいくつも身に着けた。そのドレスを丁寧に脱がされながら、愛の言葉を囁かれて、私は人生をやり直すための道を歩き出していた。

彼がホテルを出て二日が過ぎた。彼との甘い夜を思い出し身体を撫でながら窓の外を眺めていると、部屋のドアがノックされた。ルームサービスは頼んでいないから、彼かもしれない。

「―あの、××様ですか?‥お支払いがまだなのでその件でお話し合いを‥」

「××は…私の‥彼、ですが…今は出掛けていて‥支払いって…?」

「まだ一日分もお支払い頂いていないのです。何かと理由をつけられて‥」

「えっ?私‥お金は持っていなくて…彼が帰ってくるまで待ってもらえませんか?」

私の言葉を聞くなり給仕係の男は顔色を変えた。

「先ほど‥当ホテルに××様からお電話がありました。伝言を預かっております。‥『私の部屋の支払いは、同じ部屋にいる娼婦が払うから、よろしく頼む。』と。」

「……」

「貴女のことですよね?」

「……私は娼婦じゃありません」

給仕係はさっと部屋の中へ入り込むと、ドアを閉めた。途端に態度を変えて、

「お前が娼婦じゃないって?ならその安物のドレスは何だ?いかにも偽物の真珠のネックレスは?臭い化学品の匂いのするえりまきは?どこから見ても娼婦だろ!!」

「違うっ!違うっ‥!!」

給仕係は私を無視して部屋のあらゆる物をひっくり返して金目の物を探した。

「おい…安物のドレスしかないってどういうことだ?金が無いにしてもひどいな…聞いてるか?」

部屋の隅でうずくまる私の頭の上から給仕係が文句を言っている。私が何も応じないのをみかねて、給仕係がもっと上の人間を部屋の電話で呼んだ。

「あんた、本当に一銭もないのか?連れの男はどうした?」

「ありません…××は‥私と一緒に住むための、話し合いを彼の母とすると言って…まだ戻ってきていません…」

給仕係より上の、まとめ役と言った中年の男はしゃがんで、私に憐れみの視線で目を合わすと

「あんたみたいな女はけっこういるんだよ。ここに連れだって来た時も何か様子がおかしかったからもしかしてとは思ったけどね。可哀そうだとは思ってるよ。…そういう女達の為にうちは救済処置を用意しているんだ。それでここのホテル代を払ってもらうが、いいね。」

私はまとめ役の救済処置を飲んだ。

ホテルの裏のサービスとして行っている性的な接待をする。このホテルはまだ高級な方だからそこまで下品な男はいなかったけど、それでもサービスを注文する男達は酒にべろべろに酔っていて、私の中に入れるなり乱暴に突くだけ突いて終わると眠ってしまうのがほとんどだった。

時々チップをもらったけど隠したそばから給仕係に盗られた。客が無い時はいつの間にか入り込んだ給仕係に犯された。

何かを考える力はもう無くなって、とっくにホテル代も払い終えているぐらいの日銭も稼げているはずなのに、私はホテルから出ることが出来なくなった。

用意された狭い部屋でまかないを食べ、眠って、起こされる時は客のところへ行く時。それがある日、まかないを食べても戻してしまうようになった。

「お前…妊娠してるだろ?」

名前も知らない給仕係が心底さげすむ目で吐き過ぎて弱っている私を見ていた。

「妊娠…って…」

「自覚ないのか?まぁこれでお役ご免だな。この事は上に報告するからな」

多いか少ないかも分からない金額を持たされて、私はホテルを追い出された。

妊娠。その意味が上手く理解出来ないまま私はさすらった。 安いホテルを渡り歩き、下働きとして潜り込んでも妊娠していることがばれると追い出された。

もう行くところが思いつかなくて、お腹もどんどん膨れてくる。自分がこれからどうなるのか、どうするのか、何も思い浮かばなかった。

 闇の中で飲食店裏のごみ置き場をあさっていると、裏口のドアの向こうから男達の笑い声が聞こえる。私は身を翻してごみの影と一体になるみたいに隠れた。

直後に二人の男がドアを乱暴に開けて出ると、一服し始めた。

「ふー‥つかれたあ…」

「俺にも、火。」

「はいはい、‥あーまかないより煙草たばこがうまいぜー…」

二人の男は今日来た客の悪口や店長の文句をしばらく言い合っている。

「仕事辞めてえなあ~あ~あ~」

「俺もやめて~な~‥そういやさ、知ってるか?東の森の魔女の話。」

「は、知らないな?どんな話だ?」

「この街からそんなに離れていない××村の森のもっと奥にあるらしい。霧の壁の向こうへ運良く行ければ魔女に会えるんだってさ。魔女なら金持ちになるって夢も叶えてくれるかな?」

「何を変な噂信じてるんだ…お前大分疲れてるな。」

「つれねーなお前は。それが、そこへ向かって行った奴らの何人かは帰ってこないままらしい‥身内がいない輩達だから誰も探さないだろうけどな。もしかしたらそいつらは魔女の元で幸せを手に入れてるか、あるいは…」

話の途中で店の中から怒鳴るような大声が聞こえて

「店長が呼んでるな‥」「戻るか」

二人は煙草の始末をすると店の中へ戻って行った。

元に戻った暗闇の中で私は考える。

××村なら近くまで行ったことがあるからなんとなく場所が分かる。…母が亡くなって、伯父に引き取られこの街へ来てから何も希望が持てなくなっていた。

私の心に何か暖かいものが流れ込んできた感覚。

魔女に逢いたい。私に…違う何かを、人生をやり直すすべを与えて欲しい。

 少ない手持ちのお金で買ったコートを着て、パンと水筒を布の鞄に入れて、歩きやすいブーツを履いて、街を後にした。もうこの場所へ戻ってくることはありえないと信じて。


××村まで来た時、暇そうなおじいさんが…最近やたら森へ入りたがる者達がいる、あんたもか?中には戻ってこない者もいるんだぞ、と口添えしにきたけれど、今までで一番頑張ってどなり返したら黙って去っていった。

 森へ入っても今のところ誰にも会うことはなくて、入った時は朝だったのに日が暮れそうになっていた。

ただ、段々と地面が湿っぽくなっているのが分かった。 霧の壁というからには周りは湿度がすごいはずだから…このままいけばたどり着ける気がしていた。

私は…私をどんなときでも、いつまでも信じるのをやめられない。

  「見つけた…やった!」

私はついに霧の壁の前へたどり着いた。思っていたよりもどこまでも続いていそうな大きな霧の塊だった。

でも…さすがにその中へ入るのは勇気がいった。ずっとどうしようかと、別の道がないかとうろうろしていると、

「どうしたの?」

女の子の声が響いてきた。

どこからしているのか分からない。ただ、目の前の壁の中から人の影が浮かんで、みるみる大きくなって、ついに出てきた。

「えっ…あのっ…」

「こんにちはわ。」

よくある栗毛の、可愛らしい、私より幼い女の子だった。黒いローブを羽織っている。

「こんにちは…あなたは‥もしかして魔女?」

「ええ。私は魔女の一人よ。」

「一人?というと…魔女は何人もいるの、かしら‥?」

「ええ。それでどうしたの?何か用?」

「…あの、私は…ナナヤ、で…。」

いざとなると、何を言っていいのか分からなかった。私は今まで何か積極的にものを言うことは無かったかもしれない。それじゃ駄目だって分かっているのに、うまく言葉が浮かばない。

「妊娠してるの?」

女の子が何も表情を変えずに訊いた。

心臓とお腹がドク、ドク、音をたて始めている。

「そう、よ、‥私、妊娠これのせいで、色々身動きがとれなくなって…」

「そうなの?」

「そうよ、あなたみたいな可愛い子には分からないでしょうけど、私っ…」

「え、私は可愛い?」

感情的になって浮かんでいた涙が少し引っ込んだ。

「ええ、可愛いわね…男の子にもてるでしょ…」

「この状態はまずいかも、と…またやり直しを検討。」

「…?」

「まだ続きがある?どうぞ。」

「…私は、母が死んでから伯父にひどい目に遭わされて、逃げてきたの。それからも身体を売って、妊娠してしまって…つっ…」

ここに来て急に涙が出てきて止まらなかった。息つぎも上手く出来なくなってきて…すぐ近くに女の子の気配があって、ちゅっ、と私の涙を吸い取るように頬にキスしてきた。

「子どもを無かったことに出来るけど、どう?」

「‥‥‥魔法で、ってこと?」

女の子の顔付きは変わらないまま、あ‥少しだけ微笑んだ気がする。

「ええ、魔法よ。あなたの望みを叶えてあげる。」

「私の望み…」

私の望みって、何だっけ、と思いを巡らせている間に女の子に頭を撫でられて…そこから意識が無くなった。


「ねえ…ねえ!!あなた大丈夫!?」

…さっき聞いたような、女の子の声がする。そっと目を開けると、そこには霧の壁は無くて、薄緑のドレスのすそと女の人の白い手が見える…

「あ…なた…は?」

喉が渇いて上手くしゃべれなかったけれど、金色の髪の綺麗な女の人が私を抱き起こしてくれた。

「私は魔女で…ここは魔女の住む森よ…」

「霧の壁は…あと…女の子がいた、けど…?」

「この場所は霧の壁の向こう側よ。烏が知らせてくれた私はここへ来たのだけれど、あなたはこの場所で倒れていたのよ。とにかく、弱っているようだから家へ連れていくわね。」

「家っ…叔父がいるわ!お願いっ、それだけはっ‥!!」

「…私の、いえ、魔女達の暮らす家よ。大丈夫だから。」

その女の人‥もしくは魔女は、とても美しい笑い方をした。私が今まで見てきた人の中で一番、嘘を感じない笑顔だった。

「歩けるかしら?」

「はい、‥痛っ!」

立ち上がろうとするとお腹に痛みがはしった。お腹の中から響くような痛み…手をあててみると、前よりお腹がへこんでいる。そう、さっきの女の子が言ってた、妊娠を無かったことに出来るって…

「どうしたの?お腹が痛い?」

「ううん、大丈夫です…」

この優しそうな魔女という女の人には…言えない。その時の私はこれからどうなるのかまだ分からなかったけれど、気持ちは晴れやかだった。

 その後私は魔女の館に住むことになって、私と似ている境遇の子達と共に暮らしている。その中にあの、最初に会った女の子はいなかったけど…誰にも訊けなかった。

そのうちに生理もきて…本当にお腹から子どもがいなくなったことを実感できた。そして…私は、運命の相手と出会えた。ロズンド。私のローズ薔薇

彼には、私が昔…どんな風に生きてきたか、叔父達に乱暴されたことも話した。彼はそんな私も受け入れてくれて…一生私を愛すると誓ってくれた。

穢れた性欲とは無縁の、私と彼の愛の日々。それは終わりが無く、精霊さえも見たことが無い本当の永遠が私達を包んでいくのを実感しながら‥私は魔女として生き続けていくの。




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